1.1から1.17へ

 首都圏直下型地震や、東海や南海トラフ地震などが警戒された中、1月1日に能登で大地震が起きました。
 1月17日は阪神淡路大震災がもう30年近く前の1995年にありました。この時も、関西では地震なんてと思われていました。夜明け前、しじまを破る大きな揺れでした。
 大都市圏の都市高速や、鉄道、木造の古い家屋から高層建築まで大規模な被害を受けました。
 大都市であり国際貿易都市でもあった神戸が最も被害を受けたため、関西人の負けん気で今は住宅、経済を中心にかなり回復しきった感じです。それでも復興できなかった家屋や、この時のダメージで衰退した企業はあり、地震のトラウマは今後の南海トラフへの戒めともなっています。

 しかし、今回の能登北陸の被災と、災害関連死、その後の復旧の難しさを見ると、大都市圏へのインフラ重視、都会と過疎地の格差の問題を浮き彫りにしています。
 もちろん、都市部の混雑した地下街、列車、集合住宅での被災した場合のパニック、帰宅困難や海抜の低い土地の津波浸水、液状化など課題は多いでしょう。それでも、都会には物資も豊富で、代替交通含めて、耐震構築は進んでいます。逃げる場所や、被災時の助ける人や道がそれなりにあると考えられます。今後過疎地との、災害対策の格差は広がるのではと見られます。大都市に比べ、地方は通常のインフラを維持するのに大変で、災害のたとえば避難所の食糧、アメニティなどの充実、プライバシー対策など、予算的にも配慮して行きとどくのは厳しいところです。
 都市と地方の格差はこんなところにも感じるのです。
 

昔の鉄道は凄かった。廃線廃駅に残る足跡

私が廃線ウォークをする理由

 北前船や水軍が停泊した港町や、木材や鉱石や資材や作物を運んだ河川に近い町も、その他街道の宿場街も交通の要衝で栄えました。
 そのあとは鉄道の発展で水運を衰退させ、人力や馬に変わり各地に鉄道が発展してその要衝に街が発展しました。
 今は廃線や、廃止が噂されたり、無人駅になった駅にも栄華を極めていた足跡を見る小さな旅が、廃線ウォークやローカル線探訪の楽しみです。
 最近、岐阜県、兵庫県を重点的に歩いています。ここ山陽本線有年駅も今は無人駅でしたが、駅前の銘板、案内には栄華が偲ばれます。昔は廃止になった赤穂鉄道が連絡し、写真には駅員が十数人いました。駅前の地図でうかがえる、さまざまな店や施設にも時代を感じます。
 国鉄の人員が全国でものすごい人数だったことはここでもうかがえます。いわゆる国労、労組だけでも国を揺るがす人数だったのです。高度成長気でっモータリゼーションに取って替わられ昭和末期には国鉄は大赤字になり解体されます。国労という労働組合が、もしJRになっていなければ、その人員も無駄なままお客の少ない雇用されてい恐竜のような前時代の経営が続いていたのかもしれません。
 国鉄の民営化は、分轄のエリアなどで今になって失敗という人もいますが、偉業であったことは間違いありません。
 時代は間違いなく、多くの人員が雇えてそのままの仕事ができる国有鉄道が主役ではないです。今のJRは、不動産やホテル、飲食、カード、サービスなどが過半を占める多面的企業です。労組がいい悪いではなく、国労などの組織は無くなって良かったのです。
 そんな国鉄の足跡を、廃止や転換や三セクになったところの骨を拾う思いで見歩きます。特定地方交通線として廃止か三セク化を宣告されたところで、すぐバスに転換したところ、今でも残る貴重なローカル線もあれば、頑張って存続しても令和を待てず無くなった路線、それぞれ運命があります。今後、さらに多くの仲間のローカル線も存続が難しくなりそうです。
 地方に高速道路が整備され、役割は移ることは避けられないのです。そして、道路にさえ見捨てられる地方もあるのです。

「災害関連死」「ペットと旅行」感情よりビジネス感覚で

 能登地震、元旦第一報から最初の夜の報道では十数人の死亡者から100名程度かと思われましたが、全容解明が徐々に進むとともに72時間を過ぎ、1週間経過すると200名を超え、不明者を合わせると300名、災害関連死と言われるケースを含めるとさらに増えそうです。
 地震の直接の被害から何とか助かるも、家族との別離や避難所のストレスで心身を患い、関連死となるのは何とも無念な悲しい話です。
 報道で映る、役所や学校などの避難所でたとえ食糧と水があったとしても、風呂やトイレなどが満足ではなく、日に日にストレスは溜まるでしょう。
 災害時の早急なT(トイレ)K(キッチン)B(バス)の確保、欧米が進んでいるとか言われますが、結局それを優先的に準備するお金の仕組みです。
 地震や台風、洪水は日本のどこでも避けられません。いざとなれば大金は免責になる保険会社ばかりを潤わさずとも、個人、自治体とも、市民の人口に相当する避難施設、アミニティや食糧を含めて民間と提携して義務化したお金でない保険をおくべきでしょう。
 今回も多くの業界に緊急要請を政府がしましたが、いざとなる前に提携しておくべきです。
過疎地に店を設けるのは不採算でも行政サービスや金融機関替わりにコンビニは本部が国と結んで出店しておくべきです。
 普段から姉妹都市提携などでもカバーしながら、いざとなったら、援助物資の提供や警察、消防の応援、被災者の受け入れなどまで、企業や他自治体とセットで組んでおくことでしょう。文化や歴史の交流、災害が起こってからの募金以前にしっかり結んでおくことです。
 備蓄食料なら賞味期限が切れかける時には特売や無料配布で回しながら、余剰や老朽したものも適宜入れ替えるのは民間と公的機関の綿密な監視と連携が必要です。それも含めてビジネスとして入札し予算を回し、企業は利潤を得るようにできるアイデアはあるはずです。
 それこそ、無駄な支出も抑えたいので、癒着や談合、中抜きのないように、しっかりビジネスとして民間の力を最大限生かした仕組みを作って「備える」のです。


 日航機の事故で、乗客は迅速な誘導で短時間で奇跡的に脱出しました、そこは賞賛されていますが、ペットが荷物扱いで客室に持ち込めないため、人命優先で助けることはできずネットでもさまざま議論されています。
 ペットを連れての長距離移動は、日本では難しいということです。その辺の原則は今始まったことではないです。富豪ならチャーター機でもということになるのでしょうが、その辺も結局はお金の問題です。
 つい100年ちょっと前は人間を動物なみに扱って、船底に乗せ重労働させ、売り買いしていた欧米の人種にエラそうなことを言われたくはないです。富裕層がいてペットを運ぶ旅をビジネスにして採算に乗せたかどうかの違いです。
 国内でも、ペットフード産業から、ペットを預けるホテルができ、今はペットと泊まれる宿泊施設も採算にのっています。ペット連れ専用のツアーなら、ペット同志の喧嘩や恋は心配でもアレルギーの怖れはありません。
 それを打ち出す列車や飛行機もニーズとアイデア次第で採算にのります。
ペット好きの芸能人やインフルエンサーが叫ぶ感傷はいらないので、良いプランを出してビジネスにするということです。
 

京都市長選挙 4すくみ  京都をよくできる人物か?

  

 現職の門川大作市長が2月21日に任期満了を迎え、今季限りの引退で再出馬はしないということで、私の住む京都市では、新人4人による市長選挙となります。

 京都市のHPによりますと(1)選挙の期日 令和6年2月4日(日曜日)(2)選挙期日の告示日 令和6年1月21日(日曜日)ということで、今は立候補者は説明会も昨年開催され、地元新聞には趨勢も報道されていますが、まだ告示前です。
 1月8日現在は、例によって木の板が準備されている状況です。
 巷に貼りだされているのは、正式な京都市長選挙の候補者としてのポスターではありません。そう印刷すると選挙違反になるので、よく見ると4人とも他の支持者などとの討論会(小さくて見にくいですが)という形式になっています。
 この写真では8人に見えますが、もちろん候補は一人ずつで、松井孝治、福山和人、村山祥栄、二之湯真士(各敬称略)です。
 告示とともに、役場、学校の前とか正式なポスターが貼りだされます。今はこれもせこいような常套手段で4人ともですが、予定の討論会の案内ポスターの態をとって、実質的に市長選候補をアピールしています。
 松井さんは現京都府知事の西脇さんと府市連携と門川路線継承をアピールしており、自民党と公明党、立憲民主党の推薦を受けています。他3人は門川市政を否定し、再生や変革を掲げています。
 村山さんは京都党党首の江村さんのものを撮りましたが、最近は維新の大阪府吉村知事、元国交相前原誠司さんとのバージョンも増えています。二人ととも街頭やら投稿動画でもよく見かけます。前2回は京都党だけの公認で落選でしたが、今回は地域政党京都党と、維新、国民民主党、前原新党の推薦です。
 弁護士の福山さんは共産党の推薦で、この方も再チャレンジです。あまり共産党色を出してないように感じられます。
 自民党府議だった二之湯真士さんは、参議院議員の元国家公安委員長を父に持つサラブレッドでしたが、今回は自民党を離れ、除名処分を受けての背水での初挑戦です。
 紹介だけで長くなりました、京都の財政など多くの課題はまた別の回に譲るとして、ポスターやこれから騒がしい選挙カーなど選挙そのものもまだまだ古臭い制度のものです。それらも含めて、中央の政治とともに変わっていかないといけない時代だとは思います。
 地方の首長選挙になると、国政でしのぎ合い、市議会など地方選挙でも争っていたはずの政党が相乗りで推薦するのもよくわからない事情です。
 それでも、自分の街の現在と未来のため、積極的に候補者の話を聞き、是々非々で投票に参加したいと思います。
 

コンビニ、スーパーは進化か試行錯誤か

ミスドと見まがうドーナッツ

 食べ物が行き届かない被災地の映像を見ると、近くにスーパーやコンビニがあり、すぐに暖かい飲み物や弁当も手に入り、トイレにも行けることがとてもありがたいことに感じます。
 普段でも離島や過疎地で買い物に不便なところに比べ、都会の中でコンビニやドラッグストア、スーパーがひしめくことは喧騒でもありますが、やはり便利です。

コンビニに100円の挽きたてドリップ珈琲がヒットして定着しています。早いものでもう登場して10年以上経つのですね、
 珈琲が安くても250円はした時代で、今はもう少し豆が値上がりしていますから、当時から少し値上がりしたりグレードを上げたブレンドの投入はあっても脅威的な値段で販売を続けて、なおかつこれによってスタバやらのカフェ、缶コーヒーが凋落したわけではなく、共存して珈琲全体の消費が上がっています。セブンイレブンに始まり、ファミマ、ローソンがすぐに追走して、大手の寡占化とともにイベントチケット発券、キャッシング、公共料金の支払いも今や住民票などの発行もできます。

 そんな中で、以前は珈琲マシン導入のすぐ後に100円でドーナッツが並んだ時期があります。コンビニの秋冬の定番と言われるおでんに比べ、衛生管理などが楽なためこれにも力をいれた各社ですが、おでんが真夏以外がずっと生き残る中、結局ドーナッツは立ち消えていき片隅に追いやられました。
 試行錯誤もある業界ですが、わりと大きな失策に近い読み違いでした。ドーナッツの業界自体も厳しく店舗が減る中ですが、思ったような食習慣を定着させ売上に結びつかなかったのでしょうか。
 スイーツの棚も、新商品開発と、売上と利益がギリギリまで追求されているなあというのが良くわかる入れ替え、栄枯盛衰が激しいところです。
 スーパーに比べ価格は高いのが当たり前だったコンビニは、このところNB、PB ともに負けないぐらい安くなり、味や品質も良くなっています。
 かつてはダイエーあたりから始まったPBは安かろう悪かろうでしたが、メーカーもコンビニが大市場となり、こぞって自社ブランドを捨ててPB生産のダブルチョップ戦略を打ち出しています。日用品も食料品なども、大手メーカーのブランド(NB)と、大手メーカーの作ったコンビニブランド(PB)が並び品質には遜色なくパッケージが違うだけです。

 しかし、都会の交差点の左右に店が溢れ、コンビニやドラッグストア、牛丼チエーンなど同業が並び、店長らはライバルと競うのにキリキリする様相を見ると、この1軒がまるごと過疎地、被災地に移ればどれだけか喜ぶ人がいるのにと思います。
 
 
 

マイナカード被災時などに柔軟対応を

 みんなが集まったお正月、それもよりによって元日に大地震がくるとは、被災された地域の方には本当に心よりお見舞いを申し上げます。いろいろな思いが巡り、ご提案したいこともありますが、まずは何とか復興を早くとも思います。

 避難所にまだまだおられる方、危険覚悟で被災した自宅に住み続けている方も、ときおり来る余震におびえている状況だと思います。交通が遮断され、物資も満足に届かず、ライフラインも心細い状況が想像されます。
 仙台に居た頃の知り合いの女性、子供も私の子供の仲良しでしたが、東日本大震災で被災され、余震は怖いが、避難所の学校の体育館などもっと危険でとても眠れないし、行く気になれないと、停電した中、時折電源をいれてメールをして嘆いていました。
 当時私ならどうしたかとも考えますが、今ならもっと年を取り、トイレが近い問題もあり厳しいかもしれません。
 無事な正月を過ごせ、水も食糧も困らず、ベッドもトイレも不自由しない生活に心底感謝します。
 避難所では感染の問題、体調管理、医療の問題も深刻です。災害関連死は実際の死者なみになります。


 河野デジタル大臣が
 《マイナンバーカードをお持ちの方は、スマートフォンからマイナポータルにログインすることで、御自身の過去の医療情報を確認し、普段飲んでいる薬の情報を避難所等で医師と共有することができます》と発信されています。

さらに《スマホにマイナンバーカードを搭載した方は、マイナンバーカードを読み取らなくてもマイナポータルから御自身の過去の医療情報にアクセスし、薬の情報を共有することができます》
 この情報は間違いではないし、役に立つこともあります。しかし、これらの発信に対してそもそも電気が限られ電源を節約したい、電波が届かない状況で何を言うかとの反発を持たれ炎上気味なようです。

 予算を緊急でつけ、援助物資を要望がなくとも割り振って送るプッシュ支援のやり方が必要とも言われます。こんな時こそ住所が特定できるマイナンバーカードがあること、マイナンバーを附番した利点を生かして、迅速に被害と照らし合わせ、避難場所の人数やその他の居場所を推定して、積極的なプッシュ支援を行っていくべきでしょう。
 そして、マイナンバーカードはこんな時はスマホが使えないということも想定し、番号を記憶して、誕生日や住所と照合して暫定的に保険証替わりとして診療を受けられ、病歴や投薬の履歴とアクセスできるようにすべきです。
 あるいは支援金、援助なども、半分プッシュ型でマイナンバーと生年月日、住所でカンタンな申請で一定額を渡すか振り込むようにすれば当座の安心は得られます。こんな時に不正を働いたとしても、たかが知れています。読み取り機器やエビデンスの書類コピーが必要とか言わずにそこは簡便に申請可能にすると随分安心感は違います。
 日本の申請主義は煩雑で、そのプロセスで難しく投げ出す割合が多いのです。こんな状況では誰かに頼むとかもできないのですから、シンプルにすべきです。その代わり、こんな時の不正は厳格にすると戒めておけばいいのです。
 被災への援助はとにかく迅速にしないと、命にかかわります。

ジャニーズの次は吉本?性被害の闇

 例によって、テレビではそれほど報道されませんが、文春砲の強列なのが大物のお笑い芸人を直撃してネット上はかなりの騒ぎになっています。
 ジャニーズが衰退した今、芸能界の最大手プロダクションは西からお笑いで全国制覇した吉本興業です。吉本と週刊文春のかなり力の入った全面戦争に入るのでしょうか。吉本側も実は女性側も感謝していたとのLINE過去ログを示し逆襲し、文春側もそれを承知で次の攻勢に入るのか、裏で妥協するのか、そもそも出来レース的なものか予断は許さない状況です。

 関西で育った私は子供のころから、新喜劇や漫才などで良く見知った会社でした。元々は吉本興業という名前の通り、キャバレーや映画館、ボウリング場も経営し、喜劇や漫才、落語の劇場を持っていました。多数の人気タレントを抱えてテレビ局に対して強い影響力があるというのはどこの芸能プロでもそうですが、吉本の株式は非上場でフジテレビはじめ在京5社、在阪5社のテレビ局がかなりの株をもっています。
 これでは忖度報道になって当たり前ですが、そこはネットの時代で、テレビで放映しなくてもどんどん雑誌の情報は拡散します。パワハラや性被害の話は隠せない時代なのです。
 
 芸能界に限らず、どこの会社もパワハラやセクハラ、性被害というものはありました。ジャニーズの場合、男性が男性にという特殊さもありますが、英雄色を好むというのが当たり前でした。
 私のいた大手化粧品会社(昔は紡績が本体)でも社長が全国の地区販社(支社、支店)を行脚するのは、大名旅行でした。そして、その表向きの会議内容や、業績ばかりではなく、いかにキレイな女性を集めて接待するのかが、地区の幹部には正念場でしたし、まさに美人局のような形で出世が決まる悪習がまかり通っていました。
 本社のお金が動かせる幹部で、そういう悪習が通るのですから、そういう息のかかった地区の幹部も女性の多い会社でやりたい放題の輩はいました。また女性もグレーというか、それを許しながらキャリアを積んでのし上がる方が多かったぐらいに思います。
 ここらあたりは、どこまで書いていいのかと思いますが、CMモデルなどの有名なタレントに話を聞いた女性の中堅幹部が、「どこの業界もキレイな女性がカラダはってのし上がるのはアリアリ」としみじむ感想を話していました。

 今回のダウンタウンの松本人志の場合など、動かせるカネが桁違いです。彼個人の所得がは20年ぐらい前から億単位となり、最近は10年以上にわたって10億直近では20億稼いでいるのです。
 投資や貯蓄、散財しても、女遊びやその他危ない遊びでもハンパなく、少々問題が起こってもカネで解決できるでしょう。モラルのしっかりした人間でさえ毎月10億も入れば、どんな誘惑でもかなえそうです。
 漫才が面白かった、笑いのセンスがいいプロだから、そんな所得を与えるそういう構造も大問題です。漫才の祭典、M-1が面白いといってもここでスターを作り冠を取って億を稼いでやりたい放題が芸人の目標というのは、夢とかサクセスストーリーとしておかしいです。

 芸能界、特に演芸、興行は反社会勢力が近くにいます。10億稼いでも、大谷翔平ではないですが小学校に寄付とまではいかなくても、個人でため込むならまだ良いですが、良からぬ連中に流れるのが大問題です。
 島田紳助問題や闇営業問題など、吉本の大きな問題が発覚しても、反社と興行会社が完全に切れたなどということはありません。マスコミ、テレビ局はむしろ吉本というクッション(昔でいう座布団)を置いて目くらましして反社とつながっているのです。
 M-1はじめ多くの国民から商品の売り上げからのスポンサー料で、反社につながる芸人が億単位のお金を稼ぐ構造に、多くの人が気付かないといけないのです。
 そういう面では、多少違和感はあるものの文春砲が力をつけるのは正義に見えます。
 ジャニーズで反省したと言ったテレビ局が吉本に毅然とした態度がとれるのでしょうか。
ジャニーズの男性被害に比べれば、吉本はじめ、〇〇坂や〇〇48とかを仕切る人、その他のプロダクション、業界のセクハラ。女性被害は数は多いでしょう。
 男女の本能的な性とは別に、ビジネスや芸能、音楽などの性犯罪はやはりまずいですし、反社会勢力につながる可能性のあるところに大金が流れるのは避けないといけないでしょう。


 
 
 

墓参り 正月に思う

 お正月は初詣など、日本人が神仏に比較的接する時期です。今年も穏やかな天気で厳かに墓参りに行きました。
 子供の頃、あまり墓参りといっても意味が分からず。お墓で走り回り転ぶなと言われたことぐらいしか覚えていません。
 墓に入っているのは、子供時代だと顔も知らない曾祖父や先祖でした。年齢を重ねるにつれ、自分と一緒に暮らした祖父や祖母が入ることになり、そして父や母が墓に入っていくことにより墓参りは意味合いも良く分かりある意味重いものにもなりました。
 正月と、彼岸、お盆、何か事あるごとに、自分の周りの変化や孫の成長を報告に行くことになります。
 雑談やSNSの中でも同世代の友人がかつては、親子とは言え、わだかまりもあり、不仲だったのが、いざ亡くなってみるとよく墓参りにいくようなこともあるようです。充分に話し合えなった親に報告するのか、あるいは自分の気持ちを確認するためでしょうか。
 亡くなる直前は、痴呆が進んだり、病気で悪態をついたりでもう介護も看病もほとほと疲れイヤな感情を抱いても、やがて1年もすれば、自分を育ててくれた感謝すべき父母という思いも戻り、強くなっていくような人も多いようです。
 スピリチュアル的に考えると、霊魂、守護霊のようなものともいえます。親の思いや感情、思考はDNAのパターンと同じく知らず知らずに何らかの形で子に伝わり、いい意味で子供を守ることがあるのではと考えます。
 反面教師だったような親でさえ、何らか自分が迷った時、父なら母ならこうするこう言うと考えることで選択のヒントを与えられ、アドバイスになるのではと思います。
 墓参りはそれを思い出させますし、それでヒントがつかめればまさに「守護」以外の何物でもありません。
 お寺の費用もかさむため、墓仕舞いの話も聞きます。新しい家系、若い世代では墓を持たないケースも増えているようですが、仏壇や写真でもいいですし、守護してくれる親を思い出す機会は人生のプラスになるのではと思います。 

地震に火事 古い木造、保つなら防災とセットで

 元旦に起きた令和6年能登地震、観光客も多い朝市で知られる輪島の建造物が相当数全壊したり、全焼を伴う火災が発生した模様です。
 輪島市や珠洲市では消防が対応できるキャパを超えた地震による火災が発生したのではといわれています。
 狭い道路を挟んで、情緒のある佇まいの古い木造建築の観光地は、個々に限らず京都など全国にあります。
 そして、羽田でも飛行機事故で火災、小倉でも旧市街が大規模火災でした。私の住む京都の有名観光地、清水寺の二年坂でもこの正月飲食店から失火があり、死者は出ていませんが消防車22台が集まる大騒ぎになりました。
 一昨年の年末に、私の住む京都の太秦近くでも相次いで火事があり、1件は木造長屋が全焼していました。この時も狭い道路の奥まったところで、随分たくさんの消防車が離れた道路に停車して、難しい消火活動をしていました。近所の3階建て住居の壁は焦げ、周りの瀟洒な家の住民も恐怖だったでしょう。3戸が連なる長屋で住民が住んでいたのは1戸だけで、あと2戸は空き家で、木造家屋は解体され更地から、今は駐車場になっています。
 昔は木造が当たり前でしたが、今は燃えやすい長屋、それも管理もぞんざいな空き家が近所にあることは不安で、治安としても防災上も危険です。
 観光地の木造建築も、風致地区だからとか、古い民家や町家を残すのはいいですが、今回の地震などで大火災につながっては元も子もないです。観光や街並みを重視するなら、防災は自治体と関連業者がしっかり防災の計画を立てていないといけないでしょう。
 これは、東京などよりも地方都市の方がシンプルでまだやりよいのではと思います。財政面だけが問題ですが、インバウンドがさらに進み、人がもっと増えてからだと二進も三進もいきません。
 京都も市長選がありますが、古い町並、木造住居も多く、こういった防災も含め、さまざまな論点があるでしょう。
 これから、古い家で老いていく高齢世帯は増えて、失火などの危険性は増大します。自覚のしっかりした人やサポートできる人がついている人ばかりではありません。高齢化社会の街の大きな課題です。

既得権、雇用のための無駄が多い

 鎌倉時代以降、武士という身分であり職業が日本にはありました。今でもサムライJAPANなどと言われ、日本人の心のよりどころともされますが、明治期に武士という職業はなくなりました。
 天下泰平の江戸時代でも、戦国時代に比べて戦い領地を奪い、領地を守るということはなくなり、刀を使い武道を心得る職業としての武士は失職気味で、支配層の身分としての武士階級が残っていました。豊臣秀吉が天下を取り、「刀狩り」で勝手に武士になることを制限したこともなかなかスゴイことでした。それでも戦いが続かないと、軍隊の役割はなくなり、海外への無謀な戦争につながったのです。
 明治維新後、四民平等となり武士という階級も職業もなくなりました。藩主などの上級武士は貴族になりましたが、中級以下は身分も職業もなくなる「失業」状態となります。ハローワーク、労組もない時代、多くの侍は警察官、消防士、国鉄職員やがて軍人今は自衛隊など公務員という受け皿に収まりました。劇的な転換に不満も多くありましたが、受け皿を用意するのは最低限必要なことです。
 今の時代は労働者が法律や組合に守られ、社会に必要な仕事が変わっても、公務員も民間企業もなかなか転換できないのです。
 JRやNTTの民営化はそれでもよくやったと思います。郵政は少し失敗とも言えます。
 それほど劇的でなくとも、社会はどんどん変わっていくのに、同じ職業、同じ雇用は既得権の老害的な幹部や業界団体、組合に守られ、世論を操作してなかなか改革が進みません。
 目の前の仕事、今まで関わっていた仕事がいきなり無くなり、明日から新規事業だと言われると誰でもびっくりしますし、不安になり不満を愚痴りたくなります。現状を守りたいのが権利だと騒いでも、「世の中変わっている、仕方ないから、新しい仕事を頑張れよ」という声があれば良いのです。職場は守れないと、賃金も労働条件守れというと、経営者も何もできません。ましてや役人、行政の上の方はつぶれないのですから放置したままになります。
 明治維新や戦後のドラスティックな変革を推進したのも、最終的には改革を受け容れ進める国民です。このまま、日本がゆでガエルの30年を続けるかは選択の時期です。