40年ぶりのマックシェイク●●●●●● #コイバナ

昭和51年刊 毎日新聞社1億人の昭和史8

 高校が同じでも、マンモス大学だとほとんどすれ違い。
 幼馴染で大学まで行った恋愛ドラマのような話はそうそうないものです。内部進学で大学に行ける私学校でしたから、実はそのまま大学でも交際してゴールインというケースが友人には多いのですが、私の場合はそんなことはなく就職して、大学時代までにつながりのあった女性は年齢とともに疎遠となりました。
 高校生ぐらいの交際って、今とは時代が違うでしょうか。メールやLINEが無い分ハードルは高い部分もあったでしょう。
 マセた中学生から高校生の頃、関西でもマクドナルドが進出しだしたばかりで、今のようにあちこちにモールやドライブスルーの郊外店があるわけではなく、京都では繁華街の1店舗が関西1号店でした。
 日本で最初のハンバーガーエイジともいえる世代の我々は、親の世代も含めて、繁華街まで買い出しに行くとともに、若者は店先で、待ち合わせして、ストローを挿しシェイクを吸い、ポテトを頬張るのが流行り、今云うトレンドでした。当時の京都の若者には思い出深いマクドナルドですが、今は逆にその地所にはなくて、あちこちにあります。
 四条通を通っていると、ふとその頃の待ち合わせを思い出します。
 もっとずっと古い建物、老舗旅館や料亭、御茶屋もですし、神社やお寺、学校や西洋建築などが残る中で、昭和50年代のこれという価値のない建物やテナントは入れ替わりが激しいものです。
 
 そう、そんな中で何度か待ち合わせのため、その繁華街のマクドナルドに行きました。
 就職の内定が一つ決まった頃だったと思います。
 今はキャリアセンターとかフューチャーセンターとか言われている、大学の就職課の前で何年かぶりかであった高校の同級生T子さん。当時、私は国立大の歯学部に通う年上の彼女と同棲まがいでしたが、気持ちは離れていた頃でした。
「ひさしぶり、就職決まりそう」と声をかけると
「まだ、大阪でも京都でも真ん中へんだから通えるんやけど、なかなか、内定ゼロ、どんくさくて大事な時に、顔怪我しちゃったし」剣道少女は照れ臭そうに鼻の絆創膏を見せてくれて、笑いました。就職前の大学4年生を少女と呼ぶのも変なのですが、ノーメイクのあどけない彼女の笑顔は少女そのものでした。
「大丈夫や、みんな本命はこれから!」
 私に彼女がいることは、どこかで見知っていた節があり、部活で演劇をやっていることもなぜか知っていたことには驚きました。
 高校時代は一方的に私が片思いしていたようでした。その時期も告白以前にそれぞれ相手がいたりタイミングが合わないままで、マンモス大学で学部もサークルも違えばどんな足跡かも分からない4年間でした。
 何かを押しのけての熱烈な恋愛でもない感情だったのだろうとその時は思っていました。何気にお互いの世間話、就職の苦労話をしていました。でもやはり、心の中ではドキドキしていました。
 本来なら、T子さんとは市バスの後は、別の電車でしたが、寄り道してマクドナルドに行こうということになりました。
 二股とかそういう罪悪以前に、憧れていた人と話すことに心臓のドキドキが止まらなかったのです。
 それでも、少し彼女は内定が出ないことの焦り、悩んでいたようでした。
 当時の女子大生の就職事情は今とは雲泥のものです。自宅から通うというとそれもハンデで、大企業の総合職の割合はまだ少なく、女性に求められる価値観がまだ「結婚までの腰掛け」と思われていた時代です。偏差値も全ての能力で優れた女性が同じ職場で、コピーや書類のファイリングやお茶出し程度というのもあった時代です。そして、コネ入社でねじ込むのが当たり前でした。
 彼女の悩みを聞きつつ、自分自身もまた、情けないことに家業や結婚という逃げ場のない次男という立場を嘆いていました。
 気楽に何でもチャレンジできるとは思えず、不安と億劫な思いに満ちたモラトリアムな若者でした。
 今、目の前にいる彼女こそ大好きで抱きしめることができず、就職で忙しいから、まだ別れていない恋人がいるからと言い訳を考え、胸の鼓動を抑えました。
「私、マクドのシェイクすきなんやけど。あんまり家から行かへんし、これオイシイわあ。サイズ大きいのにしようかな。やけ食い!」
 彼女はポテトのLとマックシェイクのストロベリーを頼んでいました。サイズは女の子が頼むSではなく、MだかLだかまあまあ大きい方でした。バーガーとともにポテトは私も頼みかけていたので、分けようとやめました。
「男の人はいいよ、大きな会社で全国どこでも飛び回れるやん」
 内定が出ない彼女の嘆きがむしろ、社会に出ることにおびえている自分を励ましてくれました。
 シェアしたポテトを譲り合い、指が振れけけるのを微妙に意識し合うのがわかりました。
「〇〇さんやったら、きっといい仕事につける」
 私はありきたりな語彙で平凡な言葉で励ますしかその場を凌げなかったのですが、T子さんは同級生の言葉に元気づけられていたようでした。
 私が当時付き合っていたのは、歯医者さんになるために文化住宅を借り猛勉強していたハングリーな女性でした。その人に比べれば、T子さんは、お嬢様でもあり、また自分の未来へ悩みがあるのだなとも思いましたが、共感する部分は多かったと思います。
 内定を一つ貰って少しだけ優越と不安が混じった甘い考えしかもたず何もできない私は、遠慮する彼女を家まで送っていくと言いました。
「すごく、市内?の井上君の家に比べたら、遠い田舎やで」
 断られかけても、久しぶりに遭えた縁なので話の続きがしたいと私は少し強い意志で彼女を見つめ食い下がり、何とかついていきました。話題が尽きたらどうしようかと思いましたが、同級の昔話や、面接した会社ややりたい仕事など、幸い話題は尽きません。私鉄の駅から、バス停で3つ4つの道をてくてくと歩きました。
 彼女は話を聞いてくれたことにとても感謝し、いい時間だったと言ってくれました。
 次に会うような約束はしませんでした。
「これ、さすがに大きかった、余っちゃった、口つけっちゃったけど、もったいないかあ良かったら井上君持って帰って飲んで、ストローは洗ってからね」
 そんな衝撃的なプレゼントが貰えるとは、今までの話題が飛んでしますほど嬉しかったです。
「頑張りや、もう少し、僕も頑張る」
 内定決まったら会いたいとか、気の利いた次の展開を考えることもできずに、彼女の家の前で別れました。
 いくつもの大きなお屋敷に囲まれた、古い格式のありそうな大きな家でした。高校生ぐらいの弟さんが出迎えて、好奇心いっぱいの目で私を見て会釈しました。
 帰り道をまたてくてくと、甘いマックシェイクを飲みながら、何となく嬉しさに浸りました。

 ずっと後に仕事で、その近くを通った時は、もうその地所のお屋敷は整理されて、こじゃれた駐車場のある建物になっていました。
 今はマックのハンバーガーも高熱調理器で、オーダー後に手早く焼く調理をしていますが、昔は作り置いたバーガーを順番に渡していて、パンが蒸れていた感じなのが今昔の味の違いでしょうか。サムライマックとか月見とか様々新商品もある中、ウーバーで宅配されたり、決済もオーダーも変わりましたが定番の商品も健在です。
 あのマックシェイクのストロベリー味を40年ぶりに頼んでみました。ストローは環境保全のために、素材が変わっています。あの時の彼女のストローの味も、さすがにもう忘れています。

学生時代 通り過ぎた人、初体験話 #コイバナ#ヰタセクスアリス  – 天使の星座 (seizafpkotodama.com)

剣道少女は負けない #コイバナ#ラノベ – 天使の星座 (seizafpkotodama.com)

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください