愚痴らず、「倍返し」頑張って欲しい元同僚、同窓

 役職定年という言葉がありますが。50歳など一定の年齢を過ぎると昇格は無くなる制度です。
 役員、経営層になることを目指した人にはショックでしょうが、いくら自分が優秀であってもそこまで上り詰めるのは類まれな才能と努力、幸運もないと大きな組織の会社では難しいでしょう。
 確かに大学を出て、正社員採用で大手企業を長年勤続すれば、それなりの管理職にはなれる場合が多いでしょう。またなれなくともある程度の年功の給与体系で、贅沢をしなければ安定した生活を送れます。しかし、同期や出世した後輩との格差も大きくなり差を感じます。
 実際に、同年代で悠々自適な人は多くいますし、逆に大手企業に入れず、転職を繰り返している人はかなりの苦労、努力をしてもそこまでの安定はない場合が多いでしょう。
 目算が経てば、早期退職で割増の退職金で悠々とした人もいますし、その計算が立たないからしがみついて苦労をされている方の話も聞きます。


 私のいたカネボウという会社も事実上粉飾で倒産し、事業を花王に譲渡された子会社の扱いで、もう社員の方は、「冷遇されている。早く退職できた方は幸運だ。残った私らは酷い目にあっている」「化粧品の仕事ができなくなり、洗剤積み上げる作業ばかりで、管理職などにはつけない」とよく愚痴られます。
 しかし、よくよく聞くと典型的な「大企業病」のバイアスのかかった妬み、嘆きで、社会全体から見れば何と幸運な人かと思います。
 管理職までやっていた人間、幹部を目指す若手が「こんな現場仕事ばかり」
 このようなことは、昔からありますし、競争が激しくなる時代どこでもあります。管理職でなくなって責任がなくても給料はあまり変わらないなんて、何ていい会社なのだと思います。ここで激減するとさすがにブラック企業ですが、大手はそこまでなりません。
 昨日まで上司、課長だった人が、部下だった人に逆転して仕える、逆転された方はイヤですが、能力や適性がそうならそうするのは会社として当たり前です。本来、給料も一気に逆転すべきですが、そうもいかないところに感謝すべきです。
 もし、自分に能力があり、適正もあると思うなら、自分でもっと努力し、勉強し、交渉をして再逆転を狙えば良いのです。自分と同程度の人間がまだ幸運に残って役職についている不公平へのヤッカミだけなら、浮かび上がる可能性はありません。その人は才能は同じでも努力して、幸運をつかみとったかもしれないし、大して変わらないなら器以上の仕事に振り回され、やがて会社に迷惑をかけて落されます。そんなこと羨んでも仕方ないことです。
 自分が会社のために努力して研鑽するか、ぬるま湯のままなら今を幸運と受け容れていけばよいことです。
 努力して勉強しても、こんな状況じゃ認められないかもしれないじゃないかと思われます。もちろん、絶対ではありませんが、例えば語学を秀でてマスターすれば、何もしないより可能性は格段に上がりますし、会社を離れた別の機会にも役立ちます。資格の取得もそうです。あるいは投資やノマドでもいいと思います。
 大学を出て、自分は優秀だと思って、高卒と同じ仕事がイヤなら、現場を楽にこなし、人一倍勉強して見返すことです。それこそ倍返しです。

女優 北川景子さん

シチズンポスターより

北川景子さん36歳で、出産もされましたが、大河ドラマで凛とした存在感を見せておられました。信長の妹で数奇で悲運の美女お市の方を、見事に演じておられます。
 美人だからと、やっかみもあるでしょうが。柴田勝家で共演されたミュージカル俳優の吉原光男さんもその演技と存在感を絶賛されていました。
 10代20代から、モデルやドラマの主演などをこなしておられる同世代の女優さんの石原さとみさんや、比嘉愛未さん、杏さんはじめ、少し下で新垣結衣さん、長澤まさみさん、戸田恵梨香さん、有村架純さん、のんさんら錚々たる女性たちがターニングポイントを超え仕事をされています。
 そんな中でも、北川景子さんの存在感は「美人女優」の王道という感じです。
 2007年に勤めていたカネボウでコフレドールという大型メイクブランドができたとき、柴咲コウ、沢尻エリカ、中谷美紀、常盤貴子と並び無名若手で抜擢されたのが彼女であり、綺羅星のごとくのその中でも輝いておられました。
 BSの旅番組のトークで30代まで仕事ができたことに対し、スタッフや家族など周りへの感謝をされていました。多くのライバルも敵もいる世界でいつまでも第一線と言う苦労も並みではないでしょうが、人間関係への気配りなどが、大女優として君臨できるところなのでしょう。
 
 
 

空に一番近い恋人の聖地 天使が舞い降りる4 #コイバナ #人生応援

 天使が舞い降りる、人生応援のポジティブなブログの原点ともなった体験話。ついに完結編です。
【前回までのお話】化粧品メーカーに勤めていた私の50代半ば頃、任された現場イベントで、女子高校生と見まがうような幼い素顔ながら、メイクアップするとアイドル級のメイクアップアーティスト水島香菜と出会いました。2日間にわたるメイクイベントの初日は、さまざまなトラブルもありながら、彼女の元気で明るい笑顔と、的確な動き、高度なテクニックを披露して、スタッや私のサポートもあって乗り切りました。その後の食事、カラオケで楽しんだ後、恋人の聖地お初天神で、年齢の離れた彼女から思わぬ告白を受けます。そんな二人を良からぬ輩が取り囲みました。↓というのが前回まで 詳しくはこちらを

梅田の奇跡 天使が舞い降りる1 #コイバナ #ラノベ #人生応援 #ハロウイン – 天使の星座 (seizafpkotodama.com)

梅田の聖地でピンチに 天使が舞い降りる2  #コイバナ #ラノベ #人生応援 #ハロウイン – 天使の星座 (seizafpkotodama.com)

【死にたい少女との再会】
「エエ年して、可愛い子をたぶらかしてんな。こっちに回せやおっさん!」
 クレーム対応でやくざ者の相手もしてきたので私は相手の力量は読めます。正面から啖呵をきって戦う手もありますが、香菜さんを上手く傷つけず守ることが肝要だと思いました。
 胸倉をつかんでくる、リーダー格の手を、横に動いてかわします。
 その腕にゴツンと石のようなものが当たり、男がひるみます。
 香菜さんが石のような何かを掴んで投げたのです。
「その人は、私の大事な人や、手出すな、許さへんで!」
 どっちが、助けてもらうのか分からないですが、こちらもカバンの中から店頭作業と護身用も兼ねて持っているカッターナイフと大型のステプラーを持ちました。ポスターを壁や天井に打ち付けるホチキスのデカイやつですが、ガン型でスタンガンのような威圧感で抑止効果があり、実際に接近戦で相手の腕などに打ち込めば、威力があります。
 そんな武器を使うまでもなく、香菜さんは礫を別の方向に投げ、敵の黒幕を悟っていたようです。礫はガラスのように光るビー玉、それでも樹皮を切り裂く威力。護身術?印地と言われる古武道投擲術のようです。かつて、それを特にしたスケバンのヒロインがいましたが、現実に見るのは初めてです。
 木の影から現れたのは彼女の事務所の細身でイケメンのマネージャーでした。
「香菜、おじさん好きは分かるが、あんまり、のめりこむな。それに危険なビー玉のおもちゃは仕舞え」
「どういうつもりやの、この人には絶対手は出さんといて、私の命の恩人、私たちに大事な2日間やの」
(そうか、徳島出身と言っていた、この子はあの時の中学生か。確かに死にたいと言っていた女の子を助けた。まさか、こんなにキレイに成長してアーティストになっていいたなんて)

四国で出会った死にたい少女の事 天使が舞い降りる3 #人生応援 #コイバナ #大歩危  – 天使の星座 (seizafpkotodama.com)

「何をしようと、その後のウチのビジネスに影響するようなことにはするな。ただでさえ、休みの日に勝手に他所の仕事をしてるやろ。今度遅刻でもしたら許さへんからな」
「わかってるわ、子供やないんやから。とっとと帰れ」このマネージャーも、素人ではなく、優男ながら喧嘩になれば他の雑魚よりも強そうな雰囲気を持っていました。
「〇〇化粧品の井上さんやったかな。この女はハンパやないからな、せいぜい気をつけな」
 マネージャーが去ると、気が張っていたのが力が抜けて、香菜さんは膝まづいた。
「ごめんなさい。お目汚し、はしたない、お見苦しいところをお見せしました。お上品な女やないですから、ナマの私こんなもんや。でも井上さんに迷惑かけたなかった、もといマーベラスを絶対に誰にも傷つけて欲しくなかったんや、これは本当の気持ち、あなたは私の王子様、天使だから」
「僕こそ、あなたにそこまで買いかぶられる存在ではないけど。あんな連中に手を出されたくなかった。素晴らしい技術を持ったアーティストであり、傷つけることはさせないと思った」「それは仕事で大事だから?」
「いいえ、僕個人としての大事な人だから」
「ありがとう。マーベラスが思い出してくれたの分かった。気持ちは読めていた。でも言葉にして確かめられて嬉しい。ますます好きになってしまった」
 決して媚ているわけでもなく、あざとさもないその顔は、神が作った最も美しい造形物に思えた。彼女こそ天使ではないのか、そんな女性に天使と呼ばれたことが意味不明で気恥ずかしくてならなかった。
「私たち、あと1日、思いっきり仕事頑張って、思いっきり楽しい時間にしたい。明日は、あそこの看板に書いてあったもう一つの『恋人の聖地』に行きたい!」
 猫がじゃれつくように水島香苗は抱きついて離さなかった。
そして、そんな状況なので、彼女のマンションまで送っていくと、まだ飲み直すという誘いを断り切れないで、すでに日付が変わりそうになる。ビジネスホテルが無駄になりそうなことは後悔でした。

 【思い出した過去
 香菜さんは、翌日から東京でブライダルメイクの仕事が入り、その翌週以後イタリアに勉強に行くので、当分日本には戻らないという。その前まで2か月近くオフがないという。かの事務所の契約の仕事とは別に、フリー契約での仕事やレッスンを入れるため、休みを取らないため、掃除洗濯まで大変だという。
「誰かを幸せにする仕事って面白いし、私休み取ってるより、仕事してる方が楽しいんや。だ子供の頃から、けっこうヤバイ運命で、暗い重い女の子やったん、死にたいとばかり思っている子やった。」
 冗舌な香菜さんのいろんな前向きになれた話を聞けた。
「あの時、父親にもDVを受け、学校でもいじめられていた。そう、助けてもらった。だからマーベラスは私の天使」
そう、やっと完全の香菜のことを思い出した。
 そしてそれは私も自分が生きてきた意味、生かされた価値が分かったのです。
 電車に飛びこんで死のうとしている中学生の女の子を助けた、その少女とこんな形で劇的に再会するとは。
 「人間生きていればきっといいことがあるから、それまでがむしゃらに頑張って生きろ」と他人を励ますとともに自分に言い聞かせたのでした。
 私自身、仕事で取引先がらみの借金を背負い一時辞表を書こうとか、死のうかとも思ったことがありました。粉飾続きのブラック企業に落ち込み、何もかも忘れて、ふらりと電車に乗り四国の景勝地まで行ったこともありました。その時、ふらふらと渓谷に飛び込もうとしていた中学生を止めた。
 それが、今の水島香菜なのでしょう。私たちは、お互いにとって天使であり、それでも平凡な日々を生きる平凡な人間なのでした。
 さんざん呑んで、おしゃべりをして、なんやかんやで、気がつけば寝入っていて、窓の外は明るくなりかけていた。私の横にタヌキ顔の可愛い天使が寝息を立てていた。
 翌日、さらに元気に明るく派手にイベントは盛り上がった
 集客に苦しむ時間もあったし、スタッフは土曜で妻子持ちのベテランが集まらず苦戦したが、香菜の動きはさらに冴えた。クレーマーもストーカーも来るが圧倒する勢いだった。
 少しの間に、自らハロウインメイクを施し、ホラーっぽい梅田の都市伝説の「赤いワンピースの女」で露出の高い肢体まで見せて、周りの度肝を抜きました。
 かと思うと、子供向きに戦隊ヒーローっぽい、衣装でホンファと二3人で特撮ヒーローショーアクションまで演じて子供連れを集めました。ちなみに「謎」だった、マーベラスとルカのニックネームはある戦隊ヒーローからとっていたのでした。苦労と言うよりは、やりたい放題に楽しんでいました。 
 何人か本社幹部やも来訪し、圧倒的な活気に驚いていた。グループ全社ナンバー2の販社社長や媚びるあざとさで化粧品会社のトップに上り詰めた里崎まで来ました。
 かつて、私と張り合い私の後見だった星井さんが亡くなったため地位を横取りして成り上がった女です。厚い化粧と面の皮の女で、私の様子見に来たのでしょうが、イベントの盛況ぶりと、若いアーティストの魅力的な動きに、また羨望のような妬みの目で私を見ていました。

水楼閣の思い出 京都の中心で哀愁を叫ぶ #カネボウ♯自伝小説#コイバナ#ラノベ#京都観光 – 天使の星座 (seizafpkotodama.com)

 とんでもないヒーロー衣装で経営幹部にアテントして談笑し、記念撮影をした。
 本社取材で後に社内報にも載り、優良従業員賞まで貰うことにつながりました。
 記録的な動員と売上と、インパクトの注目度で、他のライバル流通を圧倒したという自負はありました。そして、何よりも生涯でも最も楽しく、熱く面白く仕事をした体験でした。

【空中庭園へ】
 50代の身体でもアドレナリンが満ち続け、疲れ知らずで、打ち上げを行い、その後は約束通り二人で、梅田の北側の高いビルに向かいました。35階から空中庭園への架け橋、シースルーエスカレーター「ハブーブエスカレーター」に乗り継いで39階の「空中庭園」へ向かいます。
 実はなかなか行く機会はないものです。もう出来て長く経つのですが、色あせることのない梅田のスカイビルの空中庭園です。香菜さんは、年の差の自分たち二人を棚に上げ、他のカップルのメイクやファッションから、どんな経緯の交際だろうとかを想像で茶化します。大阪湾が遠くまで広がり、視界の良い日には神戸の先に淡路島や明石海峡大橋も微かに見え京セラドーム、大阪府庁咲洲庁舎や天保山大観覧車、ユニバーサルスタジオジャパン、そして大阪城、通天閣まで360度見通す散歩道「ルミウォーク」を仲良く手をつないで歩きます。
 それでも、自分たちがふたりだけの特等席「エスカルゴキャビン」のシートに収まると、清楚な感じで空と星と夜景に感動していました。
「いいですね、夜景」
「本当に、僕みたいなおじさんが相手で申し訳ないけどね」
「マーベラスはおじさんじゃない。落ち着いているし、包容力がある。私は若い独身のイケメンではダメなの。私ね、言ったでしょう。ほとんど顔を見れば考えることが分かる。私もマーベラスが好きだし、同じぐらい、マーベラスも私のことが好きなの。いろんなことで言えないこともあるでしょうが、いいの、もう言葉はいらないから」
 空と海が、遠くで交わる。数えれない星と街の明かりに照らされて見るものを羨み照らすように思える。
「ルミ・デッキ」という最も聖なる場所、ベンチに二人は座れた。高さ173mの梅田スカイビルに誕生した恋人たちにとっておきの場所。中央のベンチに腰掛けたりすることにより、床の光が様々に変化すると言われます。ベンチに座ってしっかり手をつなぎ左右のドームにふれると愛し合うふたりの心が映し出される。ウエディングベルが鳴り響きます。
 もはや、時間も空間も、日常から離れている。二人のエネルギーが霊的な空間になっている。
 走馬灯のように、二人は自分の生まれてきた時間から今までの思い出を共有していました。それを奇妙とか霊的とも思えないのです。
 世俗とか、常識を超えていました。自分にとってのお互いは、現世を超えたパートナーなのか、初恋の人や、親友や配偶者でもあるのだと感じました。
 そして、二人の辛かった思い出もまるで再び体験しているように、脳裏をよぎります。
 都会の仕事に疲れ、電車でふらりと旅に出て、田舎でたくましく生きる農夫や漁師の姿に励まされた時、そこで出会ったのが香菜です。
 香菜もまた閉塞した田舎で、父親と反りが合わず、学校でもいじめにあい現実から逃げようとしていました。
 そこで二人は出会い、また奇跡的に大阪で再開しました。香菜の自殺を止めているあいだに、自分もポジティブになれたのです。私が星井さんの下で本社幹部にでもなっていれば、このような現場で彼女にまた会えることもなかったかもしれません。
 逆に私たちが再開するために、他の運命がアジャストされてきたようにさえ思えます、
 香菜さんの目も私の目も、大粒の涙にあふれています。
「こんなことって」
 香菜は私を企図して探してのものではない。あくまで、この出会いは偶然の双方の組織のビジネスシフトが巡り合わせた偶然のはずです。
「このままでは、こんな偶然誰も信じないでしょうしね。でもこれから、生きていたら、こんなにいいことがあると、どこかで、若い人にも年配の人にも、いろんな人に。できるだけたくさんの人に教えてあげて欲しい。生きてれいればきっとこんな出会いや奇跡的な再会、美しい光景が見られることを」
「香菜っー!」 
「ここまで、ポジティブになれても、それでもあたし明日の朝少し怖い。朝ごはん食べて別れたら、引きずらないかなと、でも前向いていく、たぶん振り返らない」
 展望台の営業は10:30まででした。
 二人は朝まで過ごしてました。
 約束通りホテルの朝食バイキングを食べ終わると、日曜の遅い朝に二人はあっさりと別れました。アドレスも聞かず、もう会うこともないでしょう。丸2日、48時間をすぎて、愛称で呼び合うこともありません。
「水島先生、さようなら、お気をつけて」
「井上さん、いろいろありがとう。ムスメさんが結婚されるときは、弊社の事務所のブライダルメイクを頼んでくださいね」
「ギャラが高そうだから、検討しとくよ。でもキミは海外に行ってるかもだろ」
「その時は、無理しても帰国するわ」
 彼女は飛び切りの笑顔で手を振っていました。終わりに近づく平成の時代で、それが水島香菜を見た最後です。
 その後も私は聖人君子や天使になったわけでもありませんが、どこかに彼女のひた向きな仕事ぶり、前向きなスタンスを自分の中にも取り入れて働きました。頑張っていれば、何かいいことがあるから、愚痴らず前を向いて働くことを伝える役割を果たしました。


 【エピローグ
 私はそのイベントの実績は評価され、社内報にも掲載され全社に伝播しましたが、あくまでも現場での仕事であり、役職定年を過ぎた55歳以降での偉業であり、経営幹部に呼ばれることもなく、最後まで現場に近いポジションで吸収合併された会社組織の後始末に追われました。里崎はイベントの功労者の私を相談役にして、香菜を専属にアーテイストにしないかと画策しましたが、海外で学ぶことも多い彼女が受けるオファーではありません。
 その後、3年ほどで私は定年退職しました。退職時から、かねて考えていた」人生応援の前向きなメッセージの発信に努めました。在職中に関わったほぼすべての人に、離職の最終日に送ったメールの題目が『天使が舞い降りる25の条件』でした。そのリプライはサーバーがパンクするほどの反響でした。未だに化粧品売り場の、もう顔も覚えていない相手から、『いつも励まされています』と声をかけられます。
 少しでも、前向きの楽しく仕事をしてくれる後輩社員が増えることで、世の中は明るくなるはずです。

 3年後、娘の結婚式が決まった時、メイクとヘアの依頼で私は神戸の事務所に電話をしました。ついこないだ式は終わりました。この時もまた、信じられないことが起こるのですが、それはまた別の機会に。
 
                             完

梅田の聖地でピンチに 天使が舞い降りる2  #コイバナ #ラノベ #人生応援 #ハロウイン

 前回↓のつづきです。梅田の聖地案内とともに、人生応援のコイバナ、少し長いですが、お時間のある時に是非お楽しみください。

梅田の奇跡 天使が舞い降りる1 #コイバナ #ラノベ #人生応援 #ハロウイン – 天使の星座 (seizafpkotodama.com)

 【怒涛の一日の船出、謎のニックネーム
 ハロインメイクのレッスンイベントは無難に立ち上がり、メイクアーティスト水野香菜さんはバツグンの動きの速さと、気配りと、明るさでたちまち会場を席捲しました。
 その動きは武道のすり足のようでもあり、優雅な舞踏やエネルギッシュなダンスも思わせた。わずかに光る汗が天使の輝きに見えた。
 混雑時には、早めに見事に仕上げて後の細かいテクニック指導や販売をスタッフに任します。引き継いだ後もクロージングに声をかけるのも忘れない。そして、予約制ではないため。混雑もあるが客がしまう時間もどうしても生まれると、さっとアプローチで客を掴むのです。基本は自分で選ぶ人も多いので強引に声をかけてもいけないが、アプローチ用に小さなチラシでブースへスタッフが案内する。昔は強引に百貨店でアプローチでもやったがそのアプローチ通称ナンパに香菜さんも加わります。
 アーティストは一日契約だし、集客が多かろうが少なかろうがギャラは変わらないし、集客までは当然本来の仕事ではなく責任はないのです。もちろん常に成功をおさめると、次回の指名も増えるが、たぶん彼女はそんなことよりも、仕事をしたくて楽しんでいる感じがしました。そのやる気は私も含めた周りのスタッフに伝わります。
 ハロウイン仮装用の猫耳をつけて、アイドル級天使がビラ配りをしてくれているのです。私も負けずと声を出してイベントを盛り上げました。館内放送もお願いし、店のバイト君にもチラシを増刷して手配り隊を増やします。
 香菜先生の猫耳姿には、フロア長酒居はじめ男性スタッフも驚き、異様なファンが写メを撮りに群がりだすほどでした。
 12時を過ぎて、少し遅いお昼を、私と香菜さん、ホンファの3人で近くに寿司屋に行った。会社のカードで少し上等のランチをごちそうした。コーポレートカードが神々しく見えたのか、二人とも感激していた。ホンファとも食事したのは初めてで、寡黙で水分もお茶も摂らない。でも美味しいとは言ってくれた。
 香菜さんは元々、大阪で国内の大手化粧品メーカーには就職できず元外資化粧品メーカーに受かり、百貨店ではライバル関係でもあったし、内部での競争は激しく、人生で一番苦労もして成長も出来た時期だという。
「ひさびさにナンパした。関西のお客さんは、結構シビアや」
「水野先生は元々大阪何ですか?」
「先生はやめて、カナとかカナカナ、ルカでいいの。井上さんはバディだから、そうね、マーベラスって呼ぶことにするから、元々徳島なの」
「徳島ってうどんの」とホンファが初めてボケる。
「よく間違われるけど、それは香川県、徳島は何もない。阿波踊りとすだちぐらい」
「すだち?」
「フレバリーシトラス?」
 何となく、親子ほどの年で相性は悪くなかった二人で安心しました。
「マーベラス、Kの一押しのブラックのアイライナーの在庫がちょっと厳しいかもです。融通ってできますか」
「当たってみましょう。これほど単品で出るとは予想以上でした」
「私が打ち合わせに行ってない責任です。ハロウインでも、奇抜な赤とかよりもベースで落ちにくいブラックの極細のアイライナーは全員に勧められますから」
「了解です。明日も入荷は一定量で今日の売上POS反映は来週火曜の入荷でっすから、店間バーターを考えます」
「午後は、店頭よりそっち優先で、最悪他のものを売りますから、状況を教えてください」
「了解、午後からもよろしく、、ルカ」
「ことらこそ、派手に行きましょうマーベラス」
 マーベラスがどういう意味かは分からないものの、午後は商品手配に追われる。
 大阪近隣で在庫の多い店を、酒居さんにパソコンで叩いてもらい依頼をかける。売上にはつあがるが、注文のリベートに繋がらないので通常は嫌がられるが、そこは先ほどからの香菜先生の魅力で、協力的になっている。対象は神戸三宮店と出た。梅田から30分、あとは移動往復だけ、香菜さんに報告すると、事務所が近いのでマネージャーに走らせるという。往復も私が現場を離れるのは拙いと言い、直ぐに直接電話して店間融通の手続きを伝えた。わずか1時間足らずで、100本のアイライナーを揃えられた。amazonよりも早いだろう。
 細面のイケメンマネージャーが、私と香菜さんの奮闘ぶりをさもありなんと確かめて、すぐに帰った。
 会場は夕方近くまでひっきりなしの盛況だが、それはそれで良からぬ輩も現れる。
 昼前にメイクをした中年の女性が、ご主人らしいいかつい男を連れて、目が腫れたとクレームをつけて来た。野々村さんいう方でした。
 大きな皮膚クレーム事件もあり、慣れて入る案件ではあるがそれはそれで丁重に扱わないといけないし、アーティストをあまり時間的ロスさせたくない。
 アイメイクで目がかぶれたのであれば、それ以上の使用は中断し、商品は回収して代金を返還する。スキンケアのような長期連用の肌トラブルではない。使用方法の説明はしてあるので、必要以上の謝罪で足元を見られてもいけない。アーティストも、関わったスタッフも一度大きく頭を下げたが、その後は私が引き継ぎ、医者に行って治療代がかかり、原因の書いた診断書と領収書があれば治療代は払うと説明する。商品自体や、接客、アーテイストのラインの入れ方にもクレームをつけるが、まさに売上本数最大の商品でクレーム率がゼロ近似であり、アーティストの技量の高さも説明し、そこは相手にしない。それ以上慰謝料めいたものはもらえないと思うと、野々村さん夫婦は捨て台詞を残し去っていく。
「ありがとう!マーベラス、問題なかった」
「大丈夫だよ、ルカ」
 このニックネームのやりとりは、スタッフには大うけでした。ムードも売上も最高潮で、初日は競合店の同様イベントに並ぶ実績でした。3カ所のイベントを回ってきた幹部には、盛り上がりは最高なのがここだったと賞賛されました。別にまあ、数字だとか競合は意識はしませんが、とにかく香菜さんと熱く激しく、楽しくできたのは良かったです。

 【聖地での告白と、急襲
 大変な盛況で、各人疲れた中でしたが、労いと明日も出勤の人にもう一日の奮闘をお願いして解散でした。明日は土曜日に出れないパート社員も多く、この勢いだと、当初は任せといて片付けだけと思っていましたがフル出勤を決めざるを得ません。土曜を利用して来る遠方からの役員や幹部社員もいる情報でアテントも必要でした。
 会場の問題点のケアもありましたが、24時間営業の店で逆に早朝からでも仕込み直しができるので、終礼しいったんブースを閉めて解散となり、香菜さんは事務所からのアーティストと落ちあい食事に3人で一緒にいくことになりました。どうせならとそっちの担当の若い営業の山城くんも電話して呼びました。深い意図はありませんが、山城君もイケメンだし、2対2のがいいかなと思いました、後輩で新婚だけど、こういう遊びすきな彼は尼崎の家の戻りかけでも喜んで駈けつけてくれました。
 たぶん170センチくらいある背の高いモデルのような西野さんといアーティストと、180センチはある山城くんがいてバランスはとれました。並ぶと肩ぐらいまでしかない香菜さんのちっこさが目立ちます。
 こじゃれたイタバルのような店で香菜さんと西野さんも近況報告してましたが、いつのまにか山城君が西野さんにアタックしだした感じで、私は香菜さんと昼の続きでいろいろな経験談とか、今日のイベントについてとか、仕事に関してああだこうだと話していました。
 結局、山城君はまあある程度想定した通り、西野さんとどこかに行く感じで、
香菜さんは歌いたくなったと言い「マーベラス、カラオケに行こう」と言われて、いい加減酔いも回ってきて、さんざん「残酷な天使の、」とか「檄、帝」とかアニメソングやAKBやらJPOP、などを歌いまくりました。
「ルカ、あした喉大丈夫か」
「マーベラス、あたし飲みすぎた、酔い覚ましに歩こう」
 もう、私も自宅の京都に帰るのはあきらめて梅田のビジネスホテルを抑えた。その辺を歩くことに、彼女の住まいは地下鉄で行ける天王寺なのでもう少し時間はありました。
 少し歩くと、そこには曽根崎心中で知られる通称「お初天神」正式名称を露天神社(つゆのてんじんしゃ)がありました。
 桜の花びらのようなピンクのハート型の紙が鈴なりになっていました。お初天神は知ってっいましたが、ここまで聖地化されているところとはしらずに酔い覚ましにきて驚きでした。
 何組かのカップルもいます。
「恋人の聖地」と書かれたプレートや、曽根崎心中の話に香菜さんは酔いを醒まして、興味津々で見入っていました。
「マーベラス、私たち、何だか運命のようなところに来てしまいました」
「ルカ、取りあえず、今日の出会いと仕事の成功に感謝してお詣りしましょう」
「明日もすばらしい一日になるのと、二人の恋愛が成就しますように」
「二人って?まさか」
「私とマーベラスに決まってる。私ね、アラサーちょっと、手前のファザコン、年上大好き、一目見た時から、マーベラスに運命感じた。胸がキュンときてこの2日間、いい仕事できるって思ったん」
「ちょっと、からかってないか。僕、結婚して子供いるって言ったよね」
「それは井上さんよ、わかってるわ。でもこの二日間はマーベラスだから。マーベラスは孤独な一匹狼。結婚!私結婚なんて当分考えてない、仕事ばっかりの毎日だもん、事務所の休みも全部仕事かレクチャー入れちゃって、家事も掃除も苦手だし、結婚しても即離婚よ。でも時々好きになる人はいる。マーベラス、私にだって人の心は読めるし、自分の相応もわかる。まんざらじゃない話だと思うけど。改めてお願いする。あと腐れなくこの二日間だけ恋人になってください」
 しっかりと、腕を抱かれて、緊張が走った。
 私は彼女を送っていくのか、どうしうようか。地下鉄かタクシーの手配か迷ってスマホを確認しながらも、半ば混乱して、メールや着信を確認した。
 腕をからませ、組み合い身体は密着に近づいていく、少し下を向かないと身長差があります。
 柔らかい天使の感触です。
(この柔らかさ、暖かさは何だ、このお初天神に本当に天使が舞い降りてきている?)
 こんな可愛い女性に深夜にこの状況で告白されてあまりの驚きに思考停止になりそうだが、騙されているのかという思いや、心のどこかで自分はモラル面で山城君とは違うという意識もめぐり、それでも彼女の思いを無碍に断ることもまた難しいとも考えつつ、時間が経過しました。
(お初、徳兵衛じゃない。マーベラス、ルカ、どうする、近松門左衛門。もう心中かな)
 そして、そんな二人を襲う邪悪な輩の影が、取り巻いてきた。好事魔多し!いかにも半分グレた、社会に反しているような連中数人だった。
                           
                       つづく
 

 

梅田の奇跡 天使が舞い降りる1 #コイバナ #ラノベ #人生応援 #ハロウイン

 本当は、この話をもっと早く小説風にしたかったのです。コイバナシリーズの原点?的な体験であり、それ以上に人生応援のブログスタートになったぐらいのエピソードなのです。しかしそれゆえ実在の方との調整もあり時間がかかりました。コイバナというか、いろんな方へ人生応援のハートウォーミングなお話です。今日は第一回
 

天使25法則:人生応援ブログの原点 – 天使の星座 (seizafpkotodama.com)

ハロウィンの淡き思い出 – 天使の星座 (seizafpkotodama.com)

 化粧品メーカー勤務ということで、若い頃からイベントで、メイクやヘアのアーティストと仕事をすることが多かったです。土日が中心で仕込みや片付けで深夜になり、それは若い営業時代の苦労話と思っていました。まさか50を過ぎて若手と張り合うそんな仕事が回ってくるとはと最初は乗り気ではなくイヤ感があふれてました。
 それが40年を勤め上げたメーカーでの仕事人生で、最高の2日間になろうとは、引き受けた時は思いませんでした。
フランス帰りのメイクアーティスト水島香菜
 メイクアーティストというのも男女、年齢、ギャラいろいろあって、お金を払うのはこっちだが、気難しい人もおれば、能力がマッチしない場合もある。通常はイベントが続く場合などは、必ず事前の綿密な打ち合わせをします。今回はハロウインで自社のプチプラメイクをディスカウント系バラエティストアで、ミニイベントでほぼ流動客に紹介して売るというものでした。
 事前に先方の神戸の事務所まで、他の企業や店舗を担当する営業写真と打ち合わせに出向きました。背の高い細いモデルのような女性と、ややグラマラスな茶髪の女性、アーティスト2人と優男のマネージャーが出てきました。
 ふたりとも170センチぐらいありスレンダーで顔に小さい、菜々緒さんとか、冨永愛さんみたいなイメージですね。韓国のダンスしたりするアイドルグループのような感じもします。
 詳細の資料を説明すると、私の担当店舗のアーティストだけパリから帰るのが遅れていて、前日ギリギリになるが力量はトップクラスなので当日の打ち合わせで大丈夫だと言われた。
「香菜はすごくパッションがあって、テクニックも表現力も超一流だから、井上さんが一番ラッキーですよ」
 男性マネジャーに待ち合わせ時間と場所の詳細は伝えましたが、どうも不安でした。
 実は私の担当は大手ではあるけど、カウンターパートナー酒居フロア長とのやり取りも結構シビアな上、化粧品を売る「格」としては新参のバラエティストアです。他の担当がドラッグストアやGMSであり、どうも舐められた感じはしました。実際、他の2人の社員が打ち合わせが進んだ後、伝言とぶっつけ本番という感じでその朝のアテントを迎えます。ただ、それでもこれから伸びる流通であり、インバウンドも多く、若者の圧倒的支持のある店舗への先見と、長年の営業経験を活かして負けたくないという気持ちはむしろ募りました。
 前日夜に、会場や流れ、当日の顧客誘導、トラブル対応などをフロア長と、ウチのスタッフリーダー、中国人通訳兼販売アシスタントと綿密に打ちあわせました。酒居フロア長は、集客と販売の拡大とトラブルがないことを強く要求、中国人スタッフのホンファは40がらみに見える年配の方ですが。化粧がうまく昔はかなりイケイケの美人だった感じのある気の強そうな人です。
 大阪を代表する繁華街ですから、早朝でもにぎわっています。
 24時間営業の店舗なので、早朝から化粧品やヘアケアなども買っていく若い人もいます。待ち合わせ場所は店舗入り口横の大きな水槽の前です。週末の金曜日でも、平日朝に男女や連れと待ち合わせて登校する学生も多くいましたが、時間になってもアーティストらしい女性は現れません。 
 やはり、なかなか待ち合わせのアーティストは現われない。次々と、出社や登校の待ち合わせの人は落ち合って足早に行きます。後は女子中学生か女子高生かわからない、寝ぐせの髪ですっぴんのタヌキ顔のちっちゃな女の子が、熱帯魚を所在なさげに見たり登校相手が来ないのか、きょろきょろしているだけ。
 打ち合わせ時間が短くなるので、こちらもイライラしてきます。
 事務所にメールを入れると、もう家は出てそろそろついているはずでの返信のみ。
 タヌキ顔の女の子は可愛らしいピンクのコートを着ていていましたが、よく見るとその下はセーラー服の制服に見えたのですがそういう私服のようでした。
 まさかとは思ったのですが、よく考えるとそこには彼女しかもういないのです。念のため声をかけようと近づくと、向こうもようやく恐縮したような感じの笑顔で話しかけてきました。
「〇〇事務所の水島香菜です。すみません今日メイクの仕事をする人間です。あなたが井上さん、会って話聞いてて言われてましたけど。ええっと、どういう人ですか、ここの責任者?あっ?メーカーの人ですかね。私あんまりわかってないんでごめんなさい。ちょっと朝がギリギリでメイクもしてなくてごめんなさい。衣装も持ってますし、メイクもしますからね」
 先日の事務所のアーティストたちのルックスや、パリから戻ったばかりというイメージとは大違いで認識が遅れました。私は自己紹介して、こちらの気づきの遅れも詫びました。
「今日のイベントの責任者です。よろしくお願いします。大丈夫です。これから説明します。従業員入り口まで行きましょう」
 背が低く、童顔で化粧していないので本当に高校生のような感じなので分かりませんでしたが、よく見るとタヌキ顔ですがふっくらとした丸顔で透き通るようなきれいな肌の女の子です。髪は寝ぐせがありますが、真っ黒で艶やかで輝くように朝日に照らされて丸い銀色の輪ができ天使のように見えました。
 内容的にはこれから、打ち合わせする内容が多く、しかも事前の認識もなさそうな申し送りの悪さにイラっと来そうな局面ですが、彼女は真摯によく内容を聞きました。そして流動性と集客が未知数なところが多い点を指摘、理解し臨機応変に対応し、スタッフの技量も追って掌握すると状況判断と理解の鋭さを見せました。
「すみません。少し寝坊しまして、すっぴんのままでした。すぐメイクすませます」
 試着室で着替えてきて、ケープをかぶり急造のメイクブースでアッという間に化粧とヘアメイクを自身で始めました。見る間に学級委員長にような清楚な女の子が、目元をばっちりメイクして坂道グループのセンターを取りそうなアイドル級の輝いた姿になりました。プリント柄のリボンのような襟で、チエックの入ったパープルと白でコーディされたブラウスとやや短めのスカートです。
 私も化粧品メーカーで、メイクアップ技術を駆使した多くの変身場面を見てきました。醜いアヒルの子が見事に美しい白鳥に変化する様や、逆にかなりの美人のすっぴんが実はとんでもない実像も見慣れています。それでも、その短い時間で、元々の素材も可愛い彼女があっという間に、超絶なアイドル級に変わる姿とそのテクニックには、正直度肝を抜かれました。
 笑顔で語りかけてきましたその瞬間、50年生きて来た私の人生で初めて、天使が舞い降りて来たと思えました。
「井上さん、お会いできた運命に感謝しています。素敵な時間にしましょう!」
 少し見上げるように見つめる彼女の瞳に胸がときめきました。それが、彼女との熱い二日間の始まりでした。
 一癖も二癖もある、フロア長、担当販売員や、インバウンド通訳、自社のスタッフも香菜の登場に驚きました。
「アーティストの水島香菜先生です」
 紹介したフロア長酒居さんは、こちらにこっそりと、「やるな、カネボウ!犯罪レベルに可愛くない?」とささやきました。中国人通訳のホンファも、少し驚きとジェラシーのこもった目線で見ています。
「よろしくお願いします。楽しく行きましょう!」
 香菜さんの笑顔は、そんな緊張をとく爽やかなものでした。

「若い頃は良かった」とか「私の人生ずっとつまらない平凡」「しんどい人生、いいことないし、死にたい」「外れガチャの人生」とか思っている人がいたら、私は声を大にして言いたい。
「人生にはいつか天使が舞い降りる」
 化粧品会社だから良かった?なんてことは、ほぼ無かった。ブラックなノルマ企業で、粉飾で事実上倒産、何とか身売りで生き残ったものの、大規模な皮膚クレームで、後半も円満な会社人生の時期など皆無でした。もう退職金を多めに貰って早期退職した方が良かったのかと思った時もあります。
 それでも、耐え忍んだあとに、いつか人生には天使が舞い降りる時があるのだということがその日分かったのです。
                               (つづく)

 

「ふ・ゆ・み さん」が来る #野辺送り #土葬 #ラノベ #コイバナ

【相川冬魅】 
化粧品メーカーに勤めていてまだ独身の頃、元号が昭和から平成に変わる頃の時代ですからまだ地方には死者を弔うにもいろいろ因習がありました。
 季節の字を入れた名前はあまり幸せになれないという話がありますが、ある県に赴任した時、四季の中でも「冬」という一番寒く暗い季節が入った相川冬魅(ふゆみ)さんという方が部下のチームリーダーにいました。
 名は人を表すのか、ふゆみさんは雪女かと思うほどの色白美人でした。目は切れ長で鋭く、髪は黒いストレートで、肌は透き通るような白さでした。
 私は霊感が強いというほどではないですが、ときおり何かを感じて無意識に避けるような第六感や、あとから気付けば奇妙な体験をして、命からがら助かることはたまにありました。
 ふゆみさんを見た時、とてもキレイだとは思いましたが、近寄りがたいものを感じました。仕事もよくでき、部下の指導も任せられるのですが、何か暗い影があり、軽口や冗談を許さないような空気をまとっていました。
 当時、30の大台になる頃で、友人の多くも結婚し、親や親せき、上司や取引先も当時ですので「まだか」と言うような催促と、縁談も持ち込まれました。
 社内でも仕事上のパートナーのふゆみさんは年齢も一つ下ぐらいで、適齢であり交際を勧める上司もいましたが、私はいくら美人でももう少し気楽に話せるような相手の方が連れ添うにはいいとも思いました。同じチームではその下の世代、柳田エツコさんや、中野えみりさんの方が気楽につき合えると思ったぐらいです。

 【柳田エツコ
 特に柳田エツコさんは、小柄ですが目鼻立ちのクッキリした可愛い顔で、愛嬌も良く気軽に飲みに行けるような感じでした。仕事も技術力は高く、良くガンバるのですが、ムラがあり遅刻や急な病欠があるのが玉に傷ですが、コミニュケーションを深め会社に帰属意識を高めればいい面が出ると思い、私は柳田さんに大事なポイントを任せました。
 しかし、どうもこれがリーダーのふゆみさんには気にいらなかったようで、中野えみりを重用すべきと猛反発をされます。二人で個人的によく話していることも不評だったのかもしれません。私の机に誰が書いたのか、チーム全員と写っている写真の柳田エツコの首に赤いマジックで線が引かれています。
 ある時、ふゆみさんが真顔で進言してきました。
「井上主任、エツコちゃんと付き合うのは止めておきなさい。あの子にはウラがあります。何で遅刻が多いのか考えたことがありますか? 〇〇〇、〇〇〇!」
 ふゆみさんは、それだけ言って理由までは言いません。最後の方は聞き取りませんでした。私は確かに柳田さんが好きになりかけていましたが、確かにふゆみさんの指摘することも気になりました。
 この年で交際するなら、ある程度遊びではなく結婚もと思う時代なので、そういう面でも気になりました。柳田さんが遅刻の多い曜日の前日、こっそり中野さんに行動を調べてもらいました。
 柳田さんは水商売、しかも相当いやらしいい感じの店でホステスとして働いていました。実際に私も確かめました。
 会社では、アルバイト禁止なので解雇案件にもなります。柳田エツコは友人に頼まれ一時的なバイトで二度としないと約束し、何とか解雇は逃れました。
 この措置にふゆみさんは相当不満だったようで、以来柳田さんを無視したり冷たい態度に出ます。あからさまなイジメではないですが、柳田エツコは以前の元気さを失いました。
 それからしばらくしたある日、総務から連絡があり柳田エツコが交通事故で首を負傷して重症と聞かされました。
 病院には駆け付けましたが、意識を取り戻しても、私の名前は言えても、誰とどうなったかは一切喋れまれせん。何か言っているのですが、言語が意味不明になり、隠しているのかと思いました。彼女は復帰することなく退職しました。
 ふゆみさんと、中野えみりや、他の新人たちと柳田エツコのカバーをしながら乗り切りました。 

 【中野えみり
 夏はチーム全員でレクレーションとして、海水浴に行きました。なつみさんは水着になることはなく、日焼け止めを厚く塗ってパラソルの中でチームのみんなを見守るだけでした。中野さんらも水着を貸すから泳いだら言いますが、頑なに水着にはなりませんでした。
 肩口から乳房にかけて交通事故にあって傷があるから、自分が絶対にこれ以上素肌を晒さない。
 中野さんの話で、ある先輩に聞いた話だと、ふゆみさんが恋人とデート中に運転を誤り不幸は事故に遭って、ケガを負ったそうです。その時、最愛の恋人は亡くなったそうです。それ以降、彼氏はいないそうです。
 中野さんは、ビーチ上にある木でできた島の上でそう語ってくれました。ふゆみさんや柳田に比べ、中野えみりは決して美人タイプではないですが着やせするのか、水着になると胸が大きく一目を引くスタイルでした。
 私はふゆみよりも、中野えみりと話している時間が長くなりました。
 私は素朴で良く仕事をしてくれる中野さんが好きになりかけました。中野さんを食事に誘うと、一度だけは夜遅くまで一緒にいましたが、それ以上の関係はきっぱりと抵抗されました。
「井上主任はやはりふゆみ先輩を大事にしてあげないと、積極的にアタックしてつき合ったらいいのに」
 中野さんと話しているのをふゆみさんは咎めませんが、それがかえって中野さんには重荷のようになる感じでした。私自身もふゆみさんは美人であり、仕事もできるしっかり者なので交際や結婚を考えないことはないのですが、何か心のどこかでためらいを感じました。

 【沼田雄一
 ある日、ふゆみさんの父親が亡くなったという訃報が届きました。
 会社を代表して上司の沼田雄一課長と私が葬儀に向かいました。中野さんら社員は現場をカバーしないといけないので、会社からの出席は二人だけです。もっとも田舎のムラで町内の人だけで葬るので参列はしなくていいと言われてもいましたが、規定の香典も渡すし参列すると伝えたのです。
 この県にこんな山奥があるかというぐらいうねうねと山道を飛ばし、カーナビのカの字もない時代、上司が車酔いしながら地図と首っ引きで1時間近くさまよいその集落にたどり着きました。
 村人が喪家に集まる様子で、家はすぐ見つかりました。家族や親類縁者、村人も全員白装束でした。黒いスーツに黒ネクタイと喪章の二人は明らかによそ者で浮いていました。
 紹介はされましたが、相川村で、苗字も相川、ほとんどが姓名も「あいかわ・ふゆみ」といい「ふゆ」と「み」の漢字が違うだけで、独自の続柄やあだ名で呼び合っているようでした。田舎ではよくあるのでしょうが、不便なものです。
 ふゆみさんの家族は、よく似た感じの女性ばかりでふくよかな年配の方が多く、顔にある特徴がありました。それは遺伝的なものと想像されて、ここで書くことはできません。30人近くいて男性はふゆみさんの亡くなった父親と、僧侶(導師)、小学校ぐらいの男の子がいるだけの、異様なムラでした。
 昼をすぎ、鐘が鳴らされ、葬儀が始まるようです。2回目の鐘が鳴ると、楽器を奏でる人と、導師が出てきて、読経のようなものが始まるのですが、〇〇〇〇ソヤカーとか、サンスクリット語か、活舌か聞き取りが悪いためか、日本語ではないのかまるで意味が不明でした。
 やがておぞましいいような手足を縛られた座位の遺体が、重い石を抱えさせられ、樽の棺に納められました。死者が悪霊に利用され蘇らないように、縛り、石も抱かせるそうですが、その所業が悪魔のようです。
 そして樽を担いで野辺を練り歩く葬列が始まりました。山間部で人は少ないのに、上流に滝だとか、谷や岡を上り下りして大変な行程です。土葬のようです。
 途中で沼田課長は根を上げて、「親族だけで、俺たちはもういいんじゃないか、帰らせてもらおうよ」と言い出します。
 荘厳な雰囲気の中で、その承諾を貰うのに、切り出すのも難しいところですが、何とか私がふゆみさんに、やや強引にコンタクトしました。他の人らは明らかによそ者が顰蹙というオーラを出して睨む。
 恐る恐る「課長が後は親族だけで、、もう帰してもらえないかと?」
 「元々、ムラだけでやる弔いですからね。わざわざこんな辺鄙なムラへ来ていただきありがとうございます。他所の方だから大丈夫だと思います。ただ〇〇〇さんが悪さしてくるかもしれません。追いかけられた気配がしたら絶対後ろを振り向いたらいけません」
「良かった。申し訳ない、相川じゃあここで、失礼する。井上早くクルマのとこまで帰ろう」
 二人で山道を帰るのも結構な距離でした。昼間なので道に迷うことはないですが、森の中や山は鬱蒼として不気味でした。カサカサと音がして、奇妙な鳥の声もします。沼田課長は明らかにおびえています。
 やがて、ヒタヒタ、ザクザクと後ろから走って追いかけてくる足音が聞こえてくるようです。
「振り向いたらいけないと言われてましたね」
「ああ、葬式やから迷信やとは思うけど」
 ヒタヒタ、ザクザク、ヒタヒタ、ザクザク、ヒタヒタ、ザクザク、
「何かが悪さすると言ってましたが、よく聞き取れなかったんですが、課長聞こえました?」
「『ふ・ゆ・みさん』と聞こえたけど」
「!? 何か足音がますます近づいてきてませんか? 村人はみんな葬列に参加してるはずなのに」
「村八分でも葬式は参加できる。熊とか?狐狸とか、いずれにせよ悪さするというのは良い者でないな。急ごう」
 ヒタヒタ、ザクザク、ヒタヒタ、ザクザク、ヒタヒタ、ザクザク、
 かなり疲れてはいましたが、必死になって走りました。こちらが速度を上げても向こうも合わせてきて一向に距離は縮まらず、追いかけてくる相手の息遣いのようなものも感じられる距離になっているような気がしてきました。
 ヒタヒタ、ザクザク、ヒタヒタ、ザクザク、ヒタヒタ、ザクザク、
 最初は迷信かと気にしていなかった沼田課長も、半泣きでほぼ全力疾走になりました。
 私も覚えている聖書の一説や讃美歌、般若心経などを必死につぶやきました。
ようやく、集落の喪家前に戻り、駐車場の車の前まで来ると、足音のようなものは聞こえなくなりました。
 二人ともゼイゼイ息を切らしていましたが、ようやく安堵のため息をつきました。
「本当に、気のせいかな何だったのかな」
クルマを始動させる時、沼田課長は後ろを振り返りました。
「ああ、『ふゆみ』さんが、、、」と。呟きましたが、その後は何を話しかけても無言でした。顔は疲労で土のような色になっていました。
 沼田雄一課長は、翌日出社しましたが、終始無表情で、口を開いても意味不明はつぶやきだけをされ、翌日から高熱を出し入院されました。見舞いも断られ、その後家族が退社の手続きをされました。
 ふゆみさんは、葬儀の後3日ぐらいして普通に仕事に戻りました。

【ふゆみさん】
 私は一度、転勤してその県を離れました。
 ふゆみさんは残念そうに送別会で、私に話してくれました。
「井上主任遠くに行かれるのですね。本当に残念です。私は穢れ過ぎたのでもう結婚できない。また来世でお会い出来たら結婚したいと思います」
 冗談のようなことをふゆみさんは真剣に話します。私は次の県への転勤後に結婚することになります。
 前の支店の情報も入りますが、ふゆみさんはお医者さんだか実業家だけのお金持ちと結婚したそうでした。結婚か出産で退社され苗字も変わった挨拶状も見て、何となく安心しました。
 さらに10年以上過ぎて、経営に関わってその県を再訪した時、ふゆみさんは職場に戻っておられました。
 中野えみりは結婚しても仕事をずっと続けていて、ふゆみさんが女の子を授かったようだったけど、ご主人は事故で亡くなった。傷心のふゆみさんはまたウチの会社で働くことになったという話をしてくれました。
「もうすぐ、ふゆみさんが得意先から戻られます。井上部長が偉くなって戻ってきてまた会えたら大喜びですよ」
「ああ、でも新幹線の時間があるので、よろしく伝えてくれ、駅に向かわないといけないから」
 私は、支店から少し距離のある駅までを歩きだしました。ふゆみさんらしき人がクルマで戻ってくる姿が見えました。年齢を重ねてかなり恰幅のよい姿になっていいたが、色白の特徴的な顔は間違いなさそうです。しかし、その背後にはかなり黒い影のようなものがハッキリ見えました。
 私は急ぎ足になって駅を目指します。
 背後からヒタヒタ、ザクザク、と足音が迫る気がした。私は全速力で駆け抜けました。それでもいつの間にか、信じられない速度でそれが背後に追いついてきています。改札を駆け抜け、何とか電車に乗り込むとやっと足音は消えました。
 罵るような口惜しがるようなつぶやきが聞こえた気がしました。

水楼閣の思い出 京都の中心で哀愁を叫ぶ #カネボウ♯自伝小説#コイバナ#ラノベ#京都観光

 【突然、人形のような美女が職場に
 化粧品メーカー時代、私を管理職に登用してもらったのは、強面の星井さんというエリア支社のトップでした。カリスマ営業だった方で、田舎の支店から地区の中央支社に引っ張ってもらい、その地ではじめて課長職になりました。
 星井さんは、やや小柄ですが、恰幅はよく眼光鋭い、ヤクザ映画にでてくる悪役のようなコワイ顔でした。支店から送り出されるときも、支店長から星井さんはハンパやると本当に怖いぞと脅されていましたし、ビビりながらアテントしました。
 早朝から一人で机に向かわれる星井さんに負けないよう早く行き、星井さんのマイカップに珈琲を煎れ、比較的寡黙でもどすの利いた指示には、よく考えて的確に対応していきました。営業時代の星井さんのやり方を、現場の状況と時代に合わせてなぞるように取り組み、プレゼンやデータ加工をうまくやって、気に入られて重用され、管理職であり懐刀的な存在になりました。
 ある日、出社すると、星井さんの隣にお人形さんのようなすらりとした美人が立っていました。顔も色白ですが、腕や脚が本当に人形のように細長く、現実味のないように見えました。
「ああ、井上、今日から事務の手伝いで職場復帰する有村美千子だ。美容部員のエースだったけど、しばらく病気で休んでいたけどな、復帰するけどしばらくは事務でリハビリだから面倒みてやってくれ」
 モデルか女優さんっぽい感じで当時でいうと伊東美咲とか、最近だと武井咲、佐々木希ぐらいの感じの美しい方です。
 私はもう結婚して子供も二人小さい頃で、あまりにも別次元にキレイすぎる方なのと、ちょっと苦手でした。たとえばお尻が大きいとか脚が太いとかもう少し健康的な人色気のある人の方現実味がなさ過ぎて反って冷静に仕事を割り振って、パソコンの初歩から丁寧に教えていました。
 星井軍団ともいえるスタッフの女性陣、先に女性課長に登用されていた里崎をはじめ、やはり気が気でない敵意の波風が立ちました。星井さんの好みで、ハイレベルな美女ぞろいの中でも、有村さんは突出する美人でした。
 ただまあ突然、美容部員から幹部の企画部署の内勤というのはリハビリとは言え異例なこともあり、そのジェラシーもありました。
「どうせ、あれは星井さんの愛人よ」
 と、有村さんバッシングの噂が立っています。
 まあ、そういうこともありありの会社の時代でしたし、実際枕営業に近い媚びを売って女性幹部登用に便乗して上がってきた里崎のような連中が、有村さんを敵視するのも変な話です。

 【謎の出張命令
 星井さんは、よく有村さんと食事にもいかれますし、私も誘われ3人の時もありました。
 仕事では、有村さんは真面目にコツコツという感じですが、パソコン操作とか難しいのは苦手のようで、コピーとか資料の編綴、配布物、電卓の検算とか、基本的な作業だけでした。星井さんは元々、各支店や本社や企業本部への出張も多く、どこに行ってるのか分からない日もありました。
 ある日、突然に星井さんが「お前は、京都地元で詳しいからな、有村に京都の一番いいところを案内しろ、この子が京都ゆっくり見たいていってるから、急ぎだが次の土日、命令だ。とっときの京都の名所を有村に見せてやれ」
 無茶苦茶理不尽です、しかも土日休みにでしたが、星井さんの目がかなり険しく、拒否を許しません。
「たまには土日、嫁さん子供と離れてのんびりさせてやる。交通費と宿泊が俺がだす」
 といって、新幹線のグリーンの往復チケットと、蹴上の名門ホテルのスイートルームのバウチャー券と1万円札が10枚以上入った封筒を渡されました。星井さんは自分が浮気旅行に急に行けなくなったのを無茶ぶりしたのかと想像しましたが、親分の女に手を出すような真似はとてもできませんし、星井さんはあまりしつこく企図を聞けないオーラを出してられました。はたと困ったというか、その時はまったく意図がわかりかねました。
 有村さんも、少し申し訳なさそうですが、とくにコメントも拒否もない不思議な様子です。
「私も久しぶりに実家の両親に会いたかったもので、ありがとうございます」と星井さんには礼をいい、それなら、ホテルの1室に泊まらず実家に泊まり、京都観光は案内する算段で引き受けました。
 朝から、2つの新幹線のグリーン車を乗り継ぎ、鉄道マニア的には楽しいですが、どうも不倫みたいな怪しげな二人、ボスの女との情事みたいな申し訳ない緊張で話すのも自分の生い立ちから、一般的な話題だけでした。
 有村さんは病み上がりということで、秋なので高雄の紅葉とかも見事だとは思いましたが階段をかなり登る行程がある観光地は避け、人力車も使い、初日は金閣寺、嵐山、嵯峨野トロッコ列車、保津川下り、ランチも良く調べた名店、ホテルでディナーは奮発させてもらいました。
 美味しい料理もですが、美しい景色とそこにあう美女とずっと歩くのは星井さんでなくてもすごぶる快感だったでしょう。


 【京都観光
 スイートの部屋には入りましたが、その豪華さを見ただけで、どぎまぎしました。
「井上さん、いいですよ。泊まっていってください」
 有村さんは少し疲れたし、寂しいからと懇願されますが、丁重に説明しお断りし、早朝に来て朝食は一緒にとる約束はして、泊まることなく実家に帰って寝ました。魅力的な方ですが、星井さんの仕掛けたハニトラなのかという疑いもありますし、もちろん不倫ということもあり、とても同室で寝るわけにはいきませんでした。
 朝は、部屋で豪華なルームサービスを東山を眺めながら味わいました。
 二日目は永観堂、南禅寺と周りました。湯豆腐を食べ、湯葉も紹介しました。有村さんは水楼閣のレンガ造りがいたく気に入ったらしく、何度も写真をせがまれ、他人に頼んで2ショットも撮りました。哲学の道から、銀閣寺に行く予定でしたが途中で有村さんも疲れた様子でしたので、京都駅までタクシーで移動してのんびりタワーの周辺で休憩しました。
 まだスマホがない時代で、カメラの現像待つ時代でした。京都の有名な観光地をベタに回るのは新鮮ではありました。有村さんの美しさは京都では女優さんを連れているようで、目立ちました。
 帰りの新幹線までの時間に、駅ビルの上層で京都タワーを見ながら、少しワインも入って有村さんは私の腕をとって身体を寄せてきました。
 か細い腕でしがみつくかれて、初めて星井さんの意図が少し分かった気がしました。
「ホントに美しいところばかり、無理に来てもらってありがとうございます。星井さんにも無理を言いましたが、井上さんにはもっと無茶、無理難題を言いました。井上さんが本当に京都に詳しくて良かったです。いい思い出になります」
「星井さんだからでしょう」
「そうですね。言い出したらNOは言わせない人ですから、でも井上さんはいい方です。2日間だけ井上さんとずっとご一緒できて本当に楽しかった。星井さんも頼りにされていますよ」
 そんなことないと言いかけた私の唇は柔らかく甘いマシュマロのような何かに塞がれました。
 秋の夕日は少し危険なほど赤く西山から二人を照らしていた。

 【悲報
 次の日出勤して星井さんに報告しようにも、いません。
 星井さんは急に本社栄転が決まったようです。
 何日か後に余ったお金もお返ししました。
「有村の件、ありがとう。本人もことの他喜んでいた。実家に泊まったのか、せっかく儂の用意した据え膳食わんかったって馬鹿!紳士ぶりやがって、減点でまあ80点ぐらい。そのうち、お前を本社に呼んで幹部にしてやろうと思ったけどまだまだやな」
 と豪快に笑い飛ばしました。
 その言葉は星井さん流にはいつか必ず本社に呼ぶという意味ですが、どうも、最後はやや上滑りで社交辞令のように聞こえました。
 結局、有村さんと星井さんの関係がイマイチわからないまま、星井さんが転勤すると、有村さんもすぐにまた長期休暇に入りました。
 有村さんの訃報は京都でのデートから三カ月経ったかどうかの冬の頃でした。
 白血病でした。
 総務人事や里崎の話で、有村さんは、もう死期が近づいていたのを知り、星井さんに頼んで少しの間会社に出て、行きたかった京都見物を最後にしたかったのだと悟りました。
 有村さんの告別式には、星井さんも来るだろうから、詳しく今度こそ確かめようとしましたが、星井さんは現れず。有村さんのお母さんから、井上さんにと水楼閣の前で撮った2ショット写真を渡されました。
「井上さんと回った京都の2日間が人生で一番楽しかったと美千子は何度も言っていました。本当にお世話になりました」
 あまりにも美しいその写真の有村さんはやはり異世界レベルだったように思います。その写真を棺の中に入れようか迷いましたが、せかっく渡してくれた母親の手前、持って帰ることにしました。

 他にも会社関係者がたくさん来ている中、人前で泣くことはこらえたかったですが、一人になる前に、その写真を見て有村さんのことを哀しく切なく思い出すと、頬からボロボロ涙がこみ上げました。美人薄命とかいう言葉が、ベタですが残酷なものともいました。参列していた里崎はそんな私を軽蔑したような目でみていました。喪服の女たちもここでは、それとなくキレイにメイクを仕上げ弔問外交的なやりとりもあるのです。

 星井さんの後任とは、どうも反りが合わず、里崎がなぜか重用され、私は以前ほどうまく仕事が回りません。星井さんの引きで本社栄転があるかと期待はしていましたが、そんな日はこないことがすぐわかりました。
 星井さんも内蔵、肝臓や腎臓から全身に癌が転移患していたそうで、最後に見舞った時は、あの元気さはなく恰幅の良かった顔もやつれ弱い声でした。
「こんなになると、会社の連中も冷たい。そんなもんだな。義理での見舞いだけだ。井上、お前だけだよ。いつまでもこうしてきてくれるのは。出世とか金だけで動く人間じゃダメ、義理を大事にな。お前は妙に真面目過ぎる、清濁呑み込む度胸さえつけばな、これからの会社を頼む」
 ようやく聞いた有村美千子さんの話は、星井さんの世話になった先輩の娘でやはり彼女は入社する前に肝臓を悪くして急死されたのだそうです。
 個室に多くの見舞い品はおいてありましたが、それがまた哀愁を呼びます。
 カリスマ度合いでは、圧倒的なキレ者だった星井さんですが、無理もたたったのでしょう。それから間もなく、訃報を聞きました。
 私自身、妻と子の病気も発覚したので、関西へ戻る異動を願いました。
 里崎はその後、美容会社のトップに踊り出るしたたかな女性でしたが結局会社は傾きます。
 私は、関西に戻り本社への道は絶たれた感じで、現場に近いポジションで汗をかきました。
 哲学の道を歩くのが好きな友人もいますが、嵐のように過ぎ去った星井さんとの仕事や、有村さんのことを思うと、秋も南禅寺界隈にはあまり行きたくもありません。
 スイートルームにあの時、泊まることまで星井さんがほのめかした指示にしたがった方が有村さんにはよかったかは、もう永遠にわかりません。
 あの時、京都駅で有村さんがイタズラに私の口に含ませた生八つ橋も、甘すぎてそれ以降何だかあまり食べたくありません。
 

成瀬ひかるちゃんとの事 叶わぬ結婚 #コイバナ#ラノベ#読者への挑戦

 【奇妙なデジャブ】
 遠距離恋愛の彼女と別れてしばらく経過して、見合い話に追われだした私でした。とあるエリア支店にある城下町の南側の商業地にあるドラッグストアの担当者との出会い。
 ひかるちゃんを初めて見た時、奇妙なデジャブ(既視感)と説明不明の違和感を覚えました。凛々しい瞳と所作が、アイドル歌手の誰か?か、高校時代に憧れていた女性に似ていたからだろうかと考えました。
「成瀬ひかる」さんはそのエリアでは多店舗展開している重要な取引先のドラックストアの店舗でのビューティ担当でした。以前付き合っていた恋人にスレンダーですが背は高い。化粧品の仕事をしている割にはややあっさりしたナチュラルなメイクで、激務になると、ニキビができたり、唇が少し荒れるときがあるぐらいでそれ以外は欠点のない美しい顔でした。
 その企業は、ドラックストアの中でも化粧品部門特にカウンセリング化粧品に力を入れ、なおかつ私の勤めていたメーカーの店内シェアも高いもので、社員の教育にも力を入れていました。
 化粧品メーカーとして、そのドラッグストアのビューティ部門の人材教育に関わり、提携協力していました。戦略的に、自社の知識も増してもり、店頭でも二択なら自社を薦めていただくような関係を構築していたのです。
 ひかるちゃんは、やや気分屋のところもあるが、勝気で大変仕事熱心な方で、化粧品部門だけでなく、店長代理的な仕事までこなしていました。女性の同僚や、先方の教育担当からも「個性的で気が強いがとても頑張る、ひかるちゃんはいい子だ」と絶賛し、引き継いでいました。眼光が鋭いというのか、目鼻立ちのはっきりした方ですし、やや低い声で的確な質問や返事をされ、私もその眼を見つめられ話しかけられると、ちょっとドキドキしました。
 私も当時営業成績を上げるためには、社内で管理だけしていないで現場に赴いて直接担当に依頼することもしていました。比較的遅くまで、担当者が遅番でいるひかるちゃんの働く店舗には夜に回ることも多く、ある時は決算で大変遅い時間に受注を頼みに回りました。

 【深夜のお手伝い】
 ひかるちゃんは「こんなに遅く何しに来たのか、忙しいから聞く間がない。注文なんか、品切れの自動発注以外探す間はない」とつっけんどんでした。
 夏なので、ノースリーブのTシャツに短パンとラフな格好で、パソコンに向かっていました。
 何か手伝うことがあればするので、話を聞いて欲しいというと、彼女はややキレ気味の挑発で言った。
「ここの籠車に入ったオリコン(折り畳みコンテナ)の商品を、全部部門ごとに倉庫の前に並べてもらえる。明日セールで、早朝からバイトが品出しするのに、ビューティの仕事だけじゃないの。人も少ない、店長も社長も何も分かってない」
 ざっと見ても、籠車2台、大型のコンテナが40以上、洗剤やらシャンプーなどはかなり重い。
「これ、成瀬さん一人でやる予定だったの?」
「そうよ。店長休みで、もう私が社員一人、店が閉まったら一人で整理よ。こんなの当たり前、驚くかもしれないけど、私細いけど、力持ちなの、だから作業で暑くなるから、Tシャツと短パンなのよ。だけど腕太くておっぱいちっちゃいから薄着はいやなの、あんまり見ないで」
「手伝わせてもらいます。部門が分からないものは、端末叩きます。たぶん、だいたいわかると思います」
「えっ、本当に手伝う気? 無理しないで、帰ったら」
 こちらも意地にもなり、かなり重いコンテナを右に左により分けて運びました。3つ4つやっただけで汗が噴き出ました。一人でやれと命令したひかるちゃんも私が半分ぐらいやると、一緒にやりだし、要領は向こうも心得たもので、それでも店が閉まって小一時間もしてようやく片付きました。軽快な動きで、細い体が躍動してまぶしい感じでした。ときおり見える脇の下もキレイで、少しコケティッシュに映りました。
 ひかるちゃんも汗だくで、白いTシャツが濡れて見えるほどです。
「ありがとう、井上さん、でいくらぐらい注文しとけばいい」
 この後も深夜にまだ一人で作業して、戸締りして、遅くに家に帰るのでは心配だとは思いましたが軽自動車で通勤しているから大丈夫と言われました。
 売上金の入った金庫や劇薬庫もあるのに、もしこんな事情が分かれば随分不用心だと思いましたが、カラーボールも木刀もあるそうで、私はその夜は会社に戻りました

【成長する好意】
 ひかるちゃんのおかげで随分助かりました。。
 それからひかるちゃんの店舗に、足繁くお手伝いに行き、負担を減らすように好意を持たれ、できるだけ便宜を図ってもらったりしました。しかし、お客様に強引な推奨はしないさっぱりした性格で、相手の立場をわかり、よく話を聞いて販売や相談をしている本当にいい子だと思いました。
 ひかるちゃんの頑張る姿をすごく好意を持って見てしまいました。12月に毎年発売さえる限定の化粧品も、なんだかんだいいながら、全エリアで2位になるほど頑張って予約をとってくれました。やはり自分の中で禁断的だと思っていた「成瀬ひかる」の存在が大きくなっていくのを感じました。

【資格認定式で】
 成瀬ひかるは、所属するドラッグストアのメーカー共催の研修を終え、ビューティⅢという資格認定と卒業を迎えました。そこの社長の方針で、劇的なサプライズなどを、当時お台場にあった私の会社の本社ビルに隣接するホテルで、豪華に盛りだくさんにする式典にするという一大イベントがありました。
 そんな大勢で東京まで出向くバブル期ならではの、冷めて見ればベタなものですが、お台場がブームで当時としては新鮮なものでした。何とか感動的なものにと、関係者は知恵を絞っていました。資格所得者は8名程度で、私はひかるちゃんともう一人、男性バイヤーと社内結婚の決まった同じ地区のオサコさんという女性のプレゼンター担当でした。
 スピーチ内容をエピソード盛りだくさんに考えていたのですが、この日はひかるちゃんは随分ナーバスになっていた感じです。
 私には何があったっかは分かりませんが、先方の幹部や、女性教育責任者、友人のオサコさんら同僚までが私に『成瀬をよろしく、うまく励まして』と依頼されました。私はかなり、ギリギリの内容でひかるちゃんや大勢の前で緊張しながらも、普段の仕事ぶりや人柄を褒める内容と、少しウケを狙った公開プロポーズのような告白を交え、参加者へのインパクトは大きかったと思います。
 オサコさんらが気を使ってか、ずっと私とひかるちゃんをくっつけた席にしてくれたいました。
 ところが社長の肝入りの感動動画(やや押し付けっぽい)が終わり、社長との懇談では、ひかるちゃんは堰を切ったように会社の体質批判をしゃべりだしました。他の資格所得者や社員の苦労を代弁し、この教育や人材育成も現場から乖離していると辛辣で実も蓋もない批判でした。
 社長もタジタジとなり恥をかいたような形で、その場は持ち帰りで、親睦会となりましたがひかるちゃんは資格も要らないし、辞める覚悟で直訴したようです。
 同期のオサコさんの結婚が気持ちが複雑になったのか、化粧品か医薬品登録販売の管理職を選ぶかの難しい悩みなどがあったのか、それを理解しない会社に不満が溜まったのか、ひかるちゃんの心の揺れはよくわかりません。
「どうせ私なんか、結婚もせず、ぼろぼろになるまで働かされるだけ、会社なんてもうイヤ」
同僚たちになだめられながら、ひかるちゃんの興奮はなかなか冷めませんでした。
 それでも私のスピーチ「ひかるちゃんの仕事ぶりへの思いの伝え方は良かった、井上さんがいたから成瀬が喜んでいるし踏みとどまれる可能性がある」と言われました。「井上さん、ひかりちゃんを離さないで、踏みとどまらせて」と周りからはやや複雑な激励をされました。
 

【2次会で泥酔】
 それでも、式典と親睦会が終わると少し落ち着いて、何と社長と教育責任者、オサコ夫婦とワタシとひかるちゃんが6人で飲みに行くことになりました。
 社長も現場を知らなかったことにはいたく恐縮して、お酒を注いで回りました。もちろん処分もないし、あれだけ言ってくれて感謝しているとも言われました。私の方へ来ては、成瀬をこれからもよろしくと言ってくれました。
「二人はお似合いだけど、つき合ってるの?」と言われこちらが赤面しました。
「そんなわけないじゃないですか、井上さんに失礼です、私なんかお付き合いできるわけありません」
 残念ながらひかるちゃんは慌てて、謙遜もありますが、即刻全面否定しました。
 これには私も思わずおいしいお酒を飲み進めました。
「じゃあ、井上さん、成瀬を責任もってホテルまで送ってやってください。明日はリラックスしてゆっくりお台場かディズニーかを楽しんでください。よろしくお願いします」
 社長たちは去りましたが、オサコさんたちとひかるちゃん4人になってもお酒はさらに進みました。ひかるちゃんはお酒は強いそうですが、さすがにこの日は飲みすぎたようです。
 オサコさんは、ひかるちゃんを送って行ってとは言われましたが、それ以上はダメとなぜか「成瀬とは、井上さん、今夜は送るだけにして帰ってあげて、明日はオフだからお台場を二人で回ったら」
 オサコさんは、同期で友人のひかるちゃんと私の事を進めたいのか、妬いているのかよくわからない態度でした。

 【ホテルで告白 撃沈?
 へべれけに酔って、肩を貸しながら、ホテルまで行きましたが、一度チエックインしたひかるちゃんですが部屋番号を覚えていないので、どこのブロックの何階のフロアかが分からず右往左往です。先に戻った式典参加の資格取得者の同僚ともフロアが違い、ずいぶん探してキーに見当たる部屋にたどり着きました。
 ホテルの廊下でも結構叫び、恥ずかしい思いをしながらやっと部屋に送り届けました。ベッドに寝かしたところで、見つめ合ってしまった二人です。
「ありがとう、井上さん、もうここでいいよ。これ以上親切にされたら、井上さんのことすきになるから、もう近づかないで、お願い」
「僕は成瀬さん、ひかるちゃんが好きだ。結婚したいと思っている」
「私も井上さんが好きになってしまった。でもこれ以上はダメ、嫌われたくないから」
 なおも近づこうとする私をひかるちゃんは突き飛ばしまし、バッグを投げつけました。
 バッグの中身が化粧ポーチから、財布やカード入れの中身まで派手に散乱して、ホテルの床にぶちまけました。
「落ち着いて、ひかるちゃん」
 もう酔っぱらい過ぎて、自分が何を言って何をしているのかもわからないのかもしれません。私はバッグを拾い上げ、散らばった鍵や携帯、化粧品、大金や大事な免許証や保険証、クレジットカードやポイントカード、小銭に至るまで全部バッグに戻しました。
 ちらりと見えた免許証の写真もかわいく、保険証や他のカードでもひかるが本名でひらがなの名前なのがわかりました。
「ありがとう。でもそんなに優しくしないで、私はこれ以上はあなたを好きにならない」
 私は落したものを拾い上げているとき、全てを理解しました。
 それでもひかるちゃんにもう一度近づき抱きしめました。
「分かったよ、、、分かった、悪い、のかな、成瀬さんの考えている気持ち、分かってしまったと思う。結婚とかもう言わない。それでも僕はひかるちゃんが好きだ、嫌いになることは絶対ない」
 ゆっくり、私は成瀬ひかるに顔を近づけて唇を、おでこに軽く触れさせました。キスが終わると私もひかるちゃんも少し目が潤みました。
「明日は早く起きれる? 予定通りディズニーシーに行こう、一日ずっと二人で遊ぼう」
「うん、起きれるよ」
 シーがオープンしてしばらくの頃だったか、台場からディズニーというのが、この認定式典での翌日のオフでも当時人気の定番だったのです。
 
 翌朝、ひかるちゃんはそこらのアイドルが絶対負けそうなぐらいの、ばっちりの勝負メイクとゴスロリファッションで朝食会場に現れました。フリルのついたピンクチョコレート色のワンピースは普段のイメージとは違いとても可愛く似合っていました。美貌でスタイルもいいひかるちゃんをさえない私がバランス悪く連れ歩くのかと気後れしそうでした。
 二人でミッキーとミニーの耳をつけて一日遊びまわり、美味しいものも食べました。
「今日は本当に楽しかった。いい思い出になる。こんな優しい人と一日一緒に遊べた」
「ひかるちゃん、会社は辞めるのかい?もう会えなくなる」
「ううん、会社はもう少し続ける。それも井上さんのおかげ、感謝してる。これからも仕事のパートナーとして、良いお友達でいましょう」
 僕もこんなに可愛い人との楽しい一日は今までなかったことで、いつまでも覚えています。帰りの新幹線は元々予約が別の列車だったので、二人は東京駅で別れました。


  ※   ※

【読者への挑戦状】
 もちろん、最初からお気づきの方もおられると思いますが、一応読者へ挑戦します。
なぜ、ひかるちゃん「成瀬ひかる」は私との結婚を拒んだのでしょうか。手がかりは全てここまでに書いています。コイバナシリーズの読者への挑戦でした。


  ※  ※

【後日談】
 その後も取引先相手として、成瀬ひかるとは良好な仕事の関係を続け、私はその後1年ほどして、今の妻と縁あって結婚することになりました。
 後にも先にも、私が同性とキスしたのはあの夜のあのホテルの部屋だけです。
 そう「成瀬ひかる」さんは男性だったのです。
 結構、大変な生き方だと思うのですが、ひた向きに一生懸命仕事されているひかるちゃんにはただスゴイなあと思います。

 蛇足的に、伏線としては、「説明不明の違和感」に始まり、
「『ひかる』という名前」男でも女でも使える名前
「背が高く」「やや低い声」「力持ち」「おっぱいちっちゃい」身体的特徴
「ドラッグストアで一人で深夜に戸締りをしていた」男なので任されていた
「ホテルで他の友達とフロアが違ったの」のはレディースフロアに入れなかったのです。
決定的に気付いたのは、ホテルの部屋の床に散らばったカード等の中に、保険証があり、それを拾い上げるとき見えたので、性別が分かったのです。免許証には性別は記載されていませんが、保険証には記載されているのです。
 
 その後、私は子供ができてから1度だけ子連れでディズニーに行きましたが、それ以降一度も行かずじまいです。

忘れられない女性 Mさんのこと

写真は関係なしの、フリーモデル画像

 天使が舞い降りるような励ましばかり書いていますが、罪深い人間だったことも多く、深く落ち込み反省することの方が多かったかもしれません。現役の化粧品販売の現場時代で、少し暈かしながら書いていたこともありますが、やはりイニシャルでも想像されるとまずいのでいろいろ修正を加えバブル期前後のビターな思い出を含め、少し時代や人物を変えて自戒を込めて振りかえります。

 Mさんのことは、それまで学生の延長っぽい女性との付き合いしかなかった自分にとっては大人的な女性でした。ボーイッシュなショートカットにしても大変アダルトな色っぽい美人だったと思います。ソバカスも多少あり、今思うとアイメイクをばっちりしていてもそれほど目が大きい感じではなく、笑う銀の処置歯さえ見えたのですが、全てが魅力的に見えました。
 キリリと凛とした佇まいで地方局の番組にも出演して、自社商品のPRをする役を担っていました。出演した番組のビデオは毎週録画して何度も静止したりして見ました。そんな自分の好意や興味は自然と伝わるのか、ある時期二人で新入社員の指導プロジェクトチームを組んで仕事をしていた時も、こちらの気の利いた冗談に毎回大うけしていました。
 自身は自分の隣にさらに若く美人で胸が大きく脚も長いHさんにライバル心や、コンプレックスを持っていたようです。H山さんにはMさんはキツく当たるときもあり、そんな面を見せるのを少し恥ずかしがるのか、そのキツさが正当であることを理由を述べて弁明していました。女性二人のバディは難しいものです。ここに何人もの男性が絡みます。
 激しい競争や、出し抜きがありMさんもH山さんも多くの女性社員のトップに立ち、その前にいた先輩女性を押しのけていったはずです。当時からそこの部署の女性トップは、支社トップや本社とのつながりも重視され、男性幹部への接待も当たり前でした。

 Mさんも結婚はしましたが、すぐにすれ違いも続き、子供もできないで別れ、以来仕事一筋の当時の女性としては珍しい生き方で、世間的にも風は冷たかったはずです。
 Mさんの悪い話を聞いても、年上でバツイチということでも自分にとっては変わらずMさんが好きになっていました。美術館へ行く話はたまたま発売される香水の名前が画家にちなんだものなのでトントン拍子に決まりました。当時は気の利いた食事をする店も知らずに、知っているイタ飯に誘いました。美人の横にいるだけで緊張する初々しさが我ながらあったようなデートでした。デートと言えるのかわかりませんが、その後、また会いたいといい2度目のデートの帰り、Mさんのマンションに寄ることになりました。 自分がバツイチで年上だし、もう一度結婚していい奥さんになる気がないんだとははっきり言われましたが、それでも家を出る前の玄関で見つめ合い、抱きしめてキスしました。

 30を過ぎ、当時の男子としては、もう親も親戚も会社も結婚しろの大合唱の中で、結婚する気がなく、万一その気になっても当時の周りからは反対が出そうな相手と、恋に落ちていきました。
 ワンルームマンションとは言え、当時の独身が横に並んだ寮でクルマもなく、帰宅していないとすぐにわかります。休日前なら実家や旅行もいい訳できますが。平日の外泊はいかにもという感じです。
 長い人生の中では、ほんの短い一幕かもしれません、それでも1年足らずの交際期間、半同棲期間の中で、何度も泊まり、食事をしてお酒を飲み、朝近くまで激しく愛し合ったものです。
 バブル景気とは言え、化粧品に課せられた目標は高くノルマは厳しく、私もMさんも仕事だけでも結構疲弊していました。たまに会い、お互いのマンションに泊まるときも体調やリズムが合わないときも出てきました。
 ひた隠しにする二人の仲ですが、私の周りにも取引先からもしつこいばかりに見合い話は来ましたし、Mさんも上司の接待やさまざまな提案を要求されてある程度女性を武器にした仕事を強いられています。

 ある時、H山さんから、それとなく、Mさんは元々、N課長の寵愛を受けてのし上がり、h本社役員が来る度に夜の接待をしていたことや、今はB野さんとも不倫していると囁かれます。
 B野君は確かに仕事のできる同僚で、上司受けもよく、後輩ながら追い抜かれそうな勢いのあるやり手ですが、家庭持ちの転職組で、それこそ不倫です。
 Mさんにとって、いずれにせよ自分はオンリーワンのパートナーではないし結婚相手ではないのだろう、それが分かって付き合っていたのだから仕方のないこととは言え焦燥感はありました。。

 何となく、Mさんと会う頻度は減り、やがて仕事で顔を会わせるものの、気まずい空気になります。メールやLINEのない時代ですれ違いだすと、電話しかないのでつかまらないと終わりです。深夜に何度も電話がかかり、こちらも体調が悪いと切ると、心配なのか何度も架けてきて、家まで来ると言うけど、断りました。
 関西への異動がほどなく決まり、彼女とはこれという別れの言葉もなく、「お疲れ様でした。ご栄転おめでとうございます」の定番的な言葉だけでした。H山さんはその場面で「京都の彼女とより戻せるわね」とかつまらぬ冗談を言い、送別会の後の地下鉄駅では、私には「Mさん追いかけなくていいの」と訳知り顔で言いました。
 その後、仕事からみで転勤先から何度か電話はしましたが。
 その後私も地元関西で公私とも忙しくなり、元の職場のことも彼女のことも忘れていました。
 もうずいぶん時間が経ってから、彼女はさらに厳しくなった体制下で、パワハラ的な激務が続き、ある日自宅で自死している姿が見つかったという話を聞きました。なぜ、その事件を速報段階でも知らずに過ごしていたか、遡って調べるとその日私は新婚旅行でスイスに行っていました。今でこそ人事や事件は社内イントラですぐ知れる時代ですが、当時はそうなかなかすぐには伝わらないものでした。
 その死の真相を調べる術も何もない自分に呆然としたものでした。何とか電話でも相談に乗ってやれなかったのか、あの時マンションを訪ねると言われ拒否したことも今となっては後悔でした。
 彼女のお墓がどこにあるのか、実家のある別の県なのだろうかと想像するだけで何の情報もありません。今さら前の職場に、実は交際していたから詳細を教えてとは言えない状況です。まして不倫関係にあったとされたB野くんは、自殺の原因としてパワハラのスケープゴートにされ退職に追い込まれています。
 Mさんの後の女性トップには当然H山が座り、新体制を組んでいるとの話でした。
 H山さんには東京の会議でその後顔は見かけましたが、声はけませんでした。ほどなく退社したようです。
 短い生涯を終えたMさんのことは時々思い出したり夢に出てきたりします。テレビを見ていてふと、出てくる女優さんの表情やルックスがMさんとH山さんに似ていたりするのが浮かんだりします。美人薄命とは言いますが、最近は定年まで勤めあげる女性が増えた中、30代で仕事のために命を落とすのは何とも悲しい運命です。

 私にはキャリアウーマンとの共働き夫婦生活は今考えると想像しにくいですが、選ばなかった人生があったのだとは思います。あの時、何が何でもMさんと結婚していたら今Mさんはこの世にいるのかと想像することは少し怖いです。

 人生は無限の選択肢に連続です。選ばなかった人生は存在しないのです。

電卓ワザに長けたB野君、借金まみれのA田氏ら同僚と過ごしたバブル期 – 天使の星座 (seizafpkotodama.com)

昭和は遠く3 #大学ラグビー #実業団駅伝 #ノンプロ野球

いまだに私は出身大学のラグビーと長年勤めた会社の陸上部の駅伝が多少は気になります。  令和も5年となるニューイヤー駅伝では、会社名が変わり、隔世の想いです。
 そう、かつてマラソンの伊藤国光や高岡俊哉を擁したカネボウ陸上競技部は花王陸上競技部となります。

 私の出身は同志社大学で、卒業する前の冬に初めて、1年生の平尾誠二らを擁してラグビー大学日本一になっていました。3連覇を達成した、関西の強豪なのですが、それはとうに昭和の話で、令和になって関西リーグでも苦戦が続き、全国大会では関東の強豪には大差で完敗しています。アメフトはレイプ事件を起こし、どうも出身校の体育会はイマイチな令和です。
 ラグビーのトップリーグは何度の改編されましたが、大学ラグビーの組織は言いも悪いも昔のまま、関東は伝統の早明を中心に排他的な対抗戦グループと、リーグ戦グループの構造です。
 社会人になれば、どんな偏差値の高い名門でも、ビジネスにおいてはどこの大学を出ようと関係はありません。出身大学で勝負できるのは、よほど大学愛の強いOBの経営する中小企業ぐらいでしょう。「お前〇〇大学か、それじゃ商談成立や」なんてことはビジネス社会ではありえません。ただ学閥とか一部の体育会系のOB繋がりというのは、排他的でもあり、それなりにビジネスにつながるような、コネクションがあるようです。能力とは関係ないので、どうも合理的ではありません。企業不祥事に繋がりそうなパターンです。

 カネボウの名前はかつてはバレーボールでも強豪だった時代もあり、入社前に解散はしましたが、戦前敗戦後の昭和30年代にはノンプロの野球では都市対抗を制したオール鐘紡という超強豪チームも持っていました。
 21世紀前に運動部はおろか、実質カネボウは解体し、消滅してしまい。今は花王傘下の会社としてメーカーとしての名前はわずかに残りますが、すでに私が在籍した最後の数年は営業も花王グループ会社の名前で、カネボウの社員も花王の名前で仕事をしていました。健康保険も花王となってしまい、陸上部が消えると組合員の労組に(株)カネボウ化粧品が残るぐらいです。企業年金も最古の鐘紡厚生年金は消え、花王の企業年金とカネボウの厚生年金のねじれ状態で残っています。
 戦前最大の民間会社で、戦後も化粧品を中心に世間によく知られた会社の人間にとって、昭和は遠く霞み、激動の平成も終わり、令和で1ブランドとして存続するのを見守るのみです。多くの売り場では、ソフィーナとカネボウが同じ美容部員が、販売や商品管理をしています。かつて新規参入してきたライバルでしたか、隔世の感です。