地方鉄道頑張れ!

地方鉄道にはJRの地方鉄道。赤字ローカル線ということでJRから切り離された第三セクター。同じく整備新幹線の並行在来線として切り離された第三セクター、そして元々の地元中小私鉄に分けることができます。
4分類のどこもが厳しいところです。
三陸鉄道も全線開通したと思えばまた不通区間ができてしまう。芸備線、豊肥線等災害のあと復旧が遅れているところも昨今の自然災害の多さが原因で増えています。経営難での廃止もローカル私鉄やJR中心に増加傾向です。
駅があって、通勤や通学で小さいながらも町の核、中心だったところは、町自体が寂れていきます。モータリゼーションの時代でも鉄道駅のない町は厳しいものがあります。
実際に鉄道の駅がなくなり、その駅前に小さな商店街があったのが消え、バスで通学も買い物も町民が不便がり転居があいついでの廃村の例もあります。
鉄道の駅は昔ほどは賑やかではないですが、赤字でも地元の交通弱者を支えていたのです。
実際によほどのマニア、乗り鉄でないと乗車しての応援は難しいです。遠隔地からの記念乗車券やグッズ購入、自治体へのふるさと納税で3セク鉄道等へ支援できるなら応援していきたいものです。安易な廃止よりも、地方の生き方としての総合的な交通体系を政府は検討していただきたいです。

世界にはまだ見ぬ絶景がある

コロナで旅は制限されてるけど、外国からの旅行も、海外への旅も政府は早く全面解禁したいところです。
GOToキャンペーンの第4弾くらいでトラベルの海外版がくるのではと思います。呼び水があって今最も苦しんでいる旅行や観光産業の復活がないと経済の片肺飛行が続きます。
インバウンド需要に」関係ない人、オーバーツーリズムの弊害を」嫌う人はいますが、もう日本は海外との交流なく、進んでいくことはないのです。
時を見計らい、対策を整え、日本人には世界の美しい景色を見せ、海外の人には日本の観光を進めます。
旅ができる人は限られているかもしれません。それでもその人が伝えることが広がり、また旅をする人や感動する人が増えます。身近な旅の何気ない情景もまた、世界のどこかの人にっ感動を呼ぶかもしれません。
まだまだ、明るい未来の可能性はたっぷりあります、

【萬世永頼】いつまでも人の役に立つ:初代内閣総理大臣の思い

長浜鉄道スクエア(旧北陸本線、柳ケ瀬トンネル東入口にあった石額)伊藤博文の揮毫

日本人が歴史上最も頑張った時期はいつかと考えると、私は明治維新から昭和初期だと思います。欧米列強に追いつくため、政府も役人も必死に学び、努力し、働きました。鎖国をしていた日本が一気に侵略されかねない程遅れている矮小国家だと気づきました。明治の政治家や企業家は、目の前のこともその先の日本の繁栄も命懸けで考え、行動に打ちこみました。
殖産、富国強兵、近代化の旗印が鉄道でした。日本の国土がまた、さして大きくない島国の上、山が多く平地が少ないことは、フランスやドイツ等を見た使節も驚いたことでしょう。
産業を興し、貿易や軍備を進める上で,港と街や工場を結ぶ鉄道を建設するのにも、山を迂回するかトンネルを掘らないと行けなかったのです。
【萬世永頼】(万年経っても永く頼む)「いつまでも人の役にたって欲しい」初代内閣総理大臣、伊藤博文の筆によるものです。明治17年に完成した日本で初めて1000メートルを超え中央分水界を越えた山岳トンネルとなった柳ケ瀬トンネルの入り口の石額です。今はルートは変わりましたが滋賀県長浜から福井県敦賀に至る現在の北陸本線の前身となっています。伊藤は宮内卿時代から鉄道推進派でした。こうして重要な港だった敦賀が東海道線と結ばれ、青森まで続く日本海縦貫線へと結実します。
初めてのダイナマイト使用がこのトンネルで、その後昭和初期の丹那トンネルや清水トンネル等の長大トンネルへこの経験が活きます。
地盤の難しいところや、崩落、湧水もあり、丹那トンネルは70名近い工事関係者の事故死の犠牲で15年の工期でようやくできました。トンネルの地上にあった丹那盆地のわさび澤や水田は渇水していましました。
多くの犠牲の代償として日本の近代化があったのだと改めて思い知ります。
機関車等でもそうですが、トンネルの工法においても削岩機、発破、シールドマシンを欧米から輸出するのではなく学び取り、自国の製作にします。
戦後の新幹線、速度が飛躍的に伸び安全性にも優れています。トンネルの工法は近年は進歩し、過去の難工事のトンネルの横に幅広で長大な新幹線や高速道路のトンネルができています。
昭和40年代の山陽新幹線六甲トンネルは最後の難工事でした。この時代でも40人以上の犠牲者を出していました。
開通後の事故の死者こそ出ていない日本の新幹線ですが、トンネルを掘る労働者はそれだけ大変な現場にいたのです。本当に日本の高度経済成長までをささえたのは、政治家や役人もですが、現場で命がけで使命感だけで働いた人や土地や水利を公共事業に捧げた人、市井の人々の涙ぐましいまでの理解と協力です。
いつの時代も、公共事業は強いリーダーシップで強引に進めないと、大きな国家的成功は描けません。確かに万人にベストとは言えず、犠牲や補償がつきまといます。それでもリーダーがしっかり説明をして明るい未来を語り、新しい未来の日本を共に築いていかないといけません。自分の選挙や派閥等目の前の小さな事しか見えない政治家ではだめです。【萬世永頼】まさに永遠に人の世の頼みとなる政治家が次代のリーダーに望まれます。


京都三条会商店街

京都の三条会商店街に実家がありました。
京都で最も長い約1キロ近い東西への広がりを誇る庶民的な商店街。
今は実家の店も人手に渡り、たまに訪れるだけです。近所だった友達や店の人たちを訪れる。
就職して他所の土地へいっても、里帰りで京都駅から市バスに乗り堀川三条のバス停で降りて両親の顔を見に行くのが楽しみでした。やはり実家でごろっとするのが一番気楽で落ち着きました。
私の小さい頃は食料品等の買い出しでにぎわう、京都市の北部や二条駅からの山陰線沿線まで商圏を持った地域最大の商店街でした。スーパー等の台頭が遅れる京都で長くアーケード型商店街は繁栄していました。それでも時代の波で昭和も後半にはジリ貧でした。寺町や錦のような繁華街ではなく、伏見大手筋のような集約性がない。ただ長いだけの商店街はやがてシャッターを閉めたままの店も増えだしました。
八年前に父がなくなりました。商店街の理事長を務めたこともあり、この街への愛着は誰よりもあったはずです。
世代がどんどん交代し、それでも若い世代が集客イベントをして活性化されました。
夏の夜店は関西に戻ったころ愚息らをはじめ子供たちみんなと大人も楽しむ大イベントでした。年を追うごとに拡大し人が増えました。地ビールやお化け屋敷、ジャズ等の音楽イベントなどもスゴイ人出だと聞きます。
生活必需品が大手量販に流れる中、スーパーやドラッグ、コンビニとも共存しながらこじゃれた飲食や雑貨が入ったりして独自色を強めています。
そんな変化を離れた場所で一人暮らす母に報告するように報告していたのも、母の急逝により終了しました。
街にはそれぞれ、昭和の時代から頑張った人たちの息遣いが残っています。

Go Toキャンペーンは政争の具ではない

政府がコロナ関連での経済復興対策として、旅行や観光の業界と地域活性のため。GoToキャンペーンという旅行関連の給仕支援を今月22日から始めます。
私の同級生にも音楽関係の方、スポーツに携わる人がいますし、飲食や観光に関係する仕事に就き生活がかかっている人はもっと多くいます。外国からのお客さんが全く望めない中、少しでも仕事を回さないとやっていけないのは事実でしょう。当事者でない友達はやはりGoToに批判的な方も多いです。どちらの感覚もわかります。
織り悪く、新型コロナウィルスの感染者はこの1週間緊急事態宣言解除後最大を更新して東京を中心に各地で増えています。このキャンペーンの延期を訴える声も上がっています。
しかし、重症者や死者は少なく、若者を中心に軽症者や無症状者が多いのも特徴で、4月あたりはカウントされていないレベルの人も入っているのいう向きもあります。
潔癖型の自粛論者を煽動して政府批判系の強い向きがキャンペーンをディスられているようですが、移動制限や活動自粛で苦しむのはやはり旅館や飲食、土産物屋等です。
しっかりと体調を整え、旅先の施設などもきっちり対策されていたら個人の旅行での感染懸念はあまりないように思います。
今回は演劇などでもクラスターが発生しました。その他「夜の街」だけでない感染要因、場所もあるようです。
私も友人のライブ等、対策はとってい頂いていると信じますが公務の立場上万一を懸念していきませんでした。
音楽関係、演劇関係、飲食や土産物販売、旅行業界。それこそ軽症ではなく、倒産や失業のカウントダウンです。これから数か月、匙をなげる経営者は多く控えています。普通にやっていても失業や倒産はどんどん増えていきます。インバウンドが皆無なだけであと半年もたないところが多いでしょう。
このキャンペーンで全てカバーはできないでしょうが、老舗の旅館や料亭、旅行会社や観光の多い鉄道会社さえ1年持つか持たないかです。
当事者でない方は、「現政府がどうのとか、どこかの代理店がまた中間利益をえていようが」矛先は変わる批判に飛びつきます。
当事者でない人がどう言おうが、今生きるか死ぬかの人はキャンペーンを盛り上げて欲しいのです。感染拡大に関してはすでにプロ野球やJリーグも、TDL等も再開しています。関係者含め何千人何万人と移動しています。高校野球等の代替の大会も開催されることは賞賛され、藤井聡太さんの将棋なども関係者やマスコミ、ファンを含め多くの方が移動していますがとくにディスられていません。
個人の旅行など行程を明白にすれば感染のリスクはずっと小さいはずです。
考え方は両方あるのは良くわかりますが、こんなものは与野党や右左の論争とは違います。
改めてコロナは完全消滅はないのでWITHコロナの時期だということを冷静に考えて、いただきたいのです。

旅に出れるかな? 2020年夏

2020年夏、青春18きっぷのような不要不急の旅は許されるのでしょうか。
今のところ最終決定ではないですし第2波や帰省の予約状況や感染具合にもより流動的です。予定では7月20日~です。
GO TOキャンペーンという国内旅行促す施策があるので何とか旅に出たいものです。
外国人も少なく、学生生徒も夏休みが少ないため、大人の日本人が旅に出ないといけない気がします。
コロナが消えてるわけではないので、手洗いうがい消毒、感染予防と体調管理を万全にして少し旅に出たいところです。もちろん予定に縛られず少しでも体調が悪くなればキャンセルするスタンスは必要でしょう。

人生は居場所を探す旅。住所を間違わない

私は会社に入ってから、独身寮の移転なども含め、何度も転勤したため10回以上引っ越しをしている。その度に住民票を移し、郵便局にも転居届を出していました。
人生は自分の居場所を探す長い旅のようなものだと思います。
そこに居場所がないとすぐに動かざるを得ない。
もちろん早い段階で居場所を悟り、一度も引っ越さない人もいます。
免許証や保険証、陸運局、パスポートなどいろんな身分証もすべて手続きにないと、住所を示してくれません。私も若い頃は適当でしたが、いざクルマを売るという時等、結構面倒になります。
今は10年以上同じ家に住んでいます。もう動かないのかは分かりません。最後はどこか別のところで迎えるのかもしれません。
終の棲みか。安住の地は運命で決まるような気がします。

沖縄いつかまた

旅行会社の我がムスメ。(自宅待機で花嫁修行中)先月中頃、オリンピック延期決定前まだ営業してた頃
海外ツアー商品が激減みんなモチベーションが下がってチンタラ。
その中頑張り屋なので、
チラシ配ったり、頑張って残った沖縄石垣旅行最後まで売ってたらしい。
中国人が減ってその時一瞬はみんな日本人が国内旅行したらと勧めた。
京都も「今はすいている」と逆手にとったキャンペーンを貼った時期もあったのに、ほんの1ケ月で今はどこの府県も来るな入るなになりました。
今、ゴールデンウィークの残った1割程度の沖縄行き予約(それでも6万→1万数千人)がディスられ、どんどんキャンセルされるニュースや情報見るのは、ちょっと悲しそうで不憫でした。
いっぱいお客さんに感謝もされてきたのに。
毎晩遅かったから今は休養して、雌伏の時。
また、いい時期も来るよ。
沖縄、いろんな問題を抱え、観光客で支えられた産業も多いが、美しい海がしばし人並みに揉まれず、静かに雌伏している時期かもしれません。

新幹線乗車率0%の衝撃

コロナ騒ぎでの移動自粛で、本来なら満員で5~10分ごとに東京駅を発車する東海道新幹線。しかも連休前の土日でさえ、自由席がなんと0%の乗車率の列車までが出る始末です。
インバウンドを当て込んで大混雑緩和のため、ダイヤを改正したばかりの各臨時列車は軒並み運休。新型車両も増結用車両も空振り、復興開業した常磐線や三陸鉄道も残念ながら他県からの乗車はご遠慮という事態です。
何度か書き、景気判断も出てきていますが、経済環境とくに運輸交通は厳しいです。何しろ旅行するな移動するなと要請されているわけですから人との接触8割ダウンが目標なのです。売上が前年2割ダウンでもキツイ世の中で8割も落ちたら、成り立たないのが普通です。
鐡道はとくに設備や車両などの固定費割合が大きく運休で削減できるコストはしれています。
たださえ少子高齢と都市への集中で、厳しい環境の地方交通はこの連休こそ、コロナの感染を防ぐため乗って欲しくないと云えても、その後が持たないかもしれません。
公共交通としての鉄道がこれ以上減ると全国のネットワークが瓦解していきます。
通学や通学、通院なのの活動に支障がくれば地域が住めなくなります。公的な支援とともに、それぞれの地元を支える人々の協力。この機会に都市部一極集中の弊害を考え、地方への分散を政策的に考えないといけない時期にきています。
何年か後でこの記事が、大したことない終息で終わっていることを願うしかありません。

4月25日【霜止出笛】鐡道はそれでも定時運行する

JR福知山脱線事故から15年

【霜止出苗】(しもやみてなえいずる)七十二候が移りまさにです。霜が降りなくなり、苗が伸びだす時期に入ります。
今日、4月25日は15年前の2005年JR福知山線尼崎での事故がありました。近年の鉄道事故の中でも特に悲惨なもので、被害も大きく、運行者の責任も大きいものでした。
残念ながらコロナの影響で慰霊や語り継ぐイベントが縮小されています。
比較的のどかな地方交通せんだった福知山線が、人口も増え通勤路線として阪急と競合しだし過密ダイヤになったことも原因と言われています。
今年は土曜日で、感染予防で不要不急の移動が抑えられ、当時で考えられないほど乗客の少ない電車が事故現場の前を通っていくのでしょう。それはそれで慰霊なのかわかりませんが、過密ダイヤの必要もないほどの利用で制限速度を守りカーブもゆっくり走っていくことを想像すると、少しだけ癒されるような気がします。
亡くなられた方ご遺族に改めて追悼の意を示し、傷害の残った方、心的後遺症の方のご苦労を思い事故の教訓を長く伝えていきたいです。
阪神間の移動が早くから制限され、今大阪も神戸も閑散としたこの時は、気忙しく『密』の中を移動してきた人々の心を、亡くなった方の魂とともに少し癒やすためにあるのかなとも思います。

鐡道事情の激変

高速鉄道の新幹線の高頻度定時運行は世界的にも有名です。その他の在来線や私鉄でも日本の鐡道早さと正確さに秀で、都市部では満員で多くの乗客を乗せても次々とほぼ大きな遅延なく運行していました。
確かに首都圏や大都市のラッシュアワーは異常な、今でいう『密』でした。
ローカル線しか知らない地方都市から東京に転勤等すると、カルチャーショックに驚き戸惑います。
そんな鉄道、新幹線、あるいは観光地のバスもガラガラの日々が突然来ました。
先日から急用で動いた友人が東海道新幹線のぞみに、指定席でわずか1~2名だったという情報に接しました。
私の地元京都でも、インバウンド需要で満員が続き肝いりで新型車両を増結しようとした特急はるかは減便でも空気を運ぶような感じ。満員でなかなか来ない乗れないだった観光地を結ぶ京都市バスも誰も乗らないので定時運行のためバス停で時間調整するていたらく。
これはこれで街が落ち着いているという見方もありますが、雇用や経営、消費経済としては大きな打撃です。

鐡道の定時運行の意義と宿命

私の鉄道旅のきっかけともなったレイルウェイライター、紀行作家編集者の宮脇俊三さんに『時刻表昭和史』という著書があります。その他の作品にも時々散見されたと思いますが1945年(昭和20年)8月15日の山形県米沢線今泉駅での鉄道の情景が描かれています。
玉音放送が正午に流れた真夏の日。蝉しぐれ。
人々が力を失い茫然とする中の情景。
しかしそれでもなお、鐡道は動いていた。
多くの人が虚脱し、絶望したはずの中、米沢発今泉13時57分坂町行きの列車は、人々を運んでいたということです。
もちろん戦後混乱期、国鉄からみで多くの事件も起こっていますし、JRになっても福知山線の前には信楽高原鐡道の事故など多くの事故はありました。しかし新幹線の死亡事故がないことをはじめ日本の鉄道の事故の少なさと正確な運行は、技術とともに日本人の生真面目な民族性の誇りでもあります。
自動車の発達はあっても公共交通機関の移動が可能なことは、訃報や病気等の急用への対応をはじめ、通勤通学通院の日常の足を支えて社会に安心と安全を与えています。
この緊急事態に臨時列車の減便、これから採算の難しい路線も出てくる可能性はあります。それでも日本は敗戦というどん底からも復興しました。東日本大震災からも常磐線、三陸鉄道も復旧しました。
日本人はやはり優秀です。
しばしこの間は人の少ない列車が走りすぎていくことを、いろんな想いをこめて見つめていたいと思います。