炎上しそうな「人種、人権?の話」

BBC

 サッカーのワールドカップはフランスを破ったアルゼンチンが優勝し幕を閉じました。

 同じ地で日本代表が強豪を破り活躍したことで、かつて1993年ドーハの悲劇でW杯アメリカ予選最終戦で引き分けたことが払拭されたといわれます。ロスタイム(現アディショナルタイム)で失点し、呆然自失で倒れこむ日本代表のカズや、森保一現監督、ラモス瑠偉らの姿が積年の映像として想起されました。

 この頃、出場はのがしたものの、ラモスは帰化選手として、代表の主力でリーダーであり伝道師であり精神的主柱でもありました。サッカー日本代表は最近まで帰化選手やハーフの選手が何人か代表で、させてきてくれましたが、今回の代表ではGKの控えだったシュミット・ダニエルがアメリカ出身以外は「純」日本人で固められていました。

 日本人にはないブラジル人やラテン系の生まれ持ったような俊敏な足技や、サッカーへのプロとしてのあきらめない執着心とかを植え付けるために不可欠だった時代がありました。

 この当時は日本代表は彼らに助けてもらっても、どこかひ弱で常に隣国の韓国には公平に見てリードされていました。ちなみに韓国ではこの帰化した外国人の代表登用的な政策が一切行われていません。

 協会が意図的にJリーガーなどから帰化を促した場合と、ブラジルなどではそもそも代表になりにくい日系人が日本での代表入りを熱望してのケースに分かれました。

 田中マルクス闘莉王がつい最近まではそういった例で最後の代表主力でした。ところが世界では移民の大活躍が中心になっています。イングランド、イタリア、ドイツ、スペインらには一歩劣っていたフランスはジダンを中心に強豪にのし上がり、前回大会を制し今大会もエムパべ中心にオールアフリカ+フランスとまで揶揄されるほどになりました。前回2位のベルギーも、日韓大会では地味に予選リーグで日本より下の2位で同格程度でしたが、前回大会では圧倒的に日本をねじ伏せ一気に世界ランクも上位の強豪国となり、これは明らかに移民政策の方針によるものです。

 日本のサッカーはずーっと2000年代から4年ごとにいろいろ成長しているとか、欧州勢が増えてとか確かに内容や、いわゆる足技や戦術も走力も向上しています。しかし、ベルギーなどは実は日韓大会の予選グループでのチームとは、ロシア大会では別のチームのように日本を一気に引き離す急躍進をしています。本当に日本が4年後ベスト8以上というなら、半分をアフリカ系帰化にすればと思いますが、誰もそうは言いません。今の状態では4年後もベスト16あたりの行き来が続くでしょう。

 ガリア人だけのフランスチーム、アングロサクソンだけのイングランドなら想像してもそう強くは感じず、体格の良くなった日本も十分勝負になりそうです。そうなるとやはりブラジルやアルゼンチンの足技はまだまだ真似できないのと、アフリカの民族の身体の図抜けた能力からくる高さやスピード、驚異的な俊敏性は、大和民族とは差があります。

 他のスポーツも多かれ少なかれ、外国人の帰化問題はありますし、国内のチームなどは以前から国際化しています。国技の相撲も上位力士は何年もモンゴル人が占めています。

 陸上100メートル男子がほぼ黒人で占められているのを見ると、やや複雑な思いはあります。

 究極的な選択としては、帰化や移民、優秀なアスリートを国が援助して自国の代表にすることに純粋な競争、ゲームが成り立つのかとも思います。陸上100メートルのメダリスト3人が同じアフリカの同じムラで育った3兄弟になり、支援しる企業やそれぞれ国籍は変わり、メダルの獲得の国は別計算で、それを各国が競い合い一喜一憂することに意味があるのでしょうか。

 しかし、ここで「純粋な日本民族だけで」とか、政治家や著名人が言い出すと当然問題にもなります。
 ただ多くの日本人の中に、今回のサッカー代表や、野球の大谷翔平や村神様は素直に喝采しても、テニスの某女子選手の場合、勝っているうちは賞賛もあっても、勝てなくなり態度や発言も問題は出ると「手のひら返し」でバッシングする傾向があります。

 これはフランスの場合でも勝てば問題なく賞賛して、負ければ「あの黒人のせい」という、やはり差別的な世論はあるようです。

 人種のるつぼのアメリカやイギリスもこういう問題は絶えず、世間は慣れているのか、諦めているのかですが、日本はなかなかすぐ社会が受け入れがたい要素はあるでしょう。
 これはトップのスポーツだけの話ではなく、インフラなど社会の根底を支える若い労働力が減り、やがて日本では移民に頼らないと成り立たないという問題があるのです。

 ダイバーシティなど声高には叫ばれますが、日本的に国際的なそういう声は聞きながらも、暗黙の裡に排除や差別を続けるのか、門戸を完全に開くのかこれからの進路は難しい選択です。

 

冬至、寒波そしてクリスマス

 今年も残すところ10日を切りました。ワールドカップの熱狂が終わったと思ったら、本当に年の瀬です。最近は1年続く長いドラマがNHKの大河ぐらいで、それも今週最終回を迎え、10月からのクールの民放ドラマも続々と今週最終回で、何だか一挙にロスを迎えます。動画などいくらでも見れる時代ですが、地上波はつまらない特集番組、だだ長いバラエティが続き、正月休み体制に入ります。 

 冬至は1年で太陽の出ている時間が一番短くなります。夜の一番長い、寒い頃が続きます。
 寒波で今年は新潟や北日本に大きな被害、死者も出ています。
 初めて、青森の地吹雪を見た、先輩の会社幹部は、たまに旅行で訪れるとか、テレビで見るだけでは分からない生活している人の寒冷地での苦労をナマで見て、心底驚いていました・

 黄道12星座は12月22日からやぎ座、磨羯宮へと入ります。勤勉と努力で年末年始を乗り切る勢いが得られる、1年としては最後の星座へと移ります。

 人間のリズムも太陽や月の引力や光の影響をよく受けています。気温や雪などだけでなく、冬に合わせていかないとうまく活動はできません。
 もちろん、日本人は子供の頃から四季を感じ、身体に記憶もしてきていますが、やはり老化やストレスなどで自律神経が弱っていると、対応が遅れます。
 晴れた日は太陽をよく浴びて、消化の良い、暖かいものを食べ、防寒対策も怠りなくして、冬に慣れていってください。コロナは弱体化したとはいえ、流行はしていますし、風邪はそこらじゅうにいます。

 今年は私も夏に病気になり入院し、その後コロナにも罹患して、偉そうなことも言えませんが、無事に残暑と秋は乗り切り年末を迎えることはできました。病気の種は、現代ではしょっちゅうそこらに転がっており、身体はもちろんですが、それにつながるメンタル面も大きいです。
 若いから自分はまだ無理できるからと、ものすごく仕事したり、遊んだり、夜更かしや徹夜などをする人もいますが、年齢に関わらず、無理は正直に身体に反応します。少し体調が悪いのは身体や精神がサインを出しているので、そこを感じ取ることでしょう。休めないとか拘って、結局身体を壊すと元も子のないのです。

 コロナというと大層に、ワクチンやマスクとか密がとか言いますが、要するに風邪なんぞに負けないという気持ちがまず大切です。精神論ではなく、手洗い、うがいや適度な運動というのは、習慣づいてない人はまずそこから気合を入れてすることです。自分の体調の変化を敏感に悟り、整えることです。
 

スポーツと政治

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 日本もドイツやスペインを倒し大いに沸き、決勝戦も大激闘となって、サッカーワールドカップ(W杯)終わりました。
 CNNテレビが16日、、W杯カタール大会決勝戦のキックオフの前に、ゼレンスキーウクライナ大統領が演説したいとの要請に国際サッカー連盟(FIFA)は拒否したと報じています。

 大会前から、ヨーロッパのチームがキャプテンマークの政治的文言を入れようとして拒否したFIFAです。今回のこの判断も当然です。

 この人を批判すると、ロシア寄りみたいに取られていやですが、W杯サッカーの決勝を利用してまで自分をアピールできると考え、「否定的な反応に驚いている」というゼレンスキー大統領の感覚は普通ではないように思います。ダメ元とは思っていたのかしれませんがが、とんでもない奴です。

 サッカーは西側諸国だけではなく、世界中の人々の祭典です。予選にはウクライナもロシアも参加していました。ウクライナはウェールズとのプレイオフで涙を呑みました。今も状況を考えると出なかった方が良かったと思います。
 国同士はもちろん意地をぶつけます。国と国は過去に戦争があったり、宗主国と植民地だった関係の遺恨もある対戦はありますが、サッカーは戦術とワザ、力を競うスポーツです。戦争ではありませんし、政治的主張をゲームに持ち込みことはやはりNGです。

 FIFAは戦争や政治問題がめんどくさくただ金儲けができれば良いのかもしれませんが、政治問題を見せないスタンスはそれなり評価できます。金まみれの開催で、金満な会場や、工事や放映権料の莫大なお金に対しては、日本の庶民目線では疑問もでるでしょう。東京オリンピックの最終決算が1兆円も超え、不正な業者とのカネの問題も次々と出ている時節です。しかし、じゃあ大会を開催せずに、1兆円は戦争の防衛費に使えばということではないでしょう。たとえ、ゼネコンや広告代理店、スポンサーが不正に儲けても、平和の祭典の範疇で、そこの企業からまわりまわって多少は市民も潤います。

 あくまでもサッカーやスポーツは究極的に平和の祭典なのです。そこにお金をつぎ込んでみんなが楽しめることは、とても良いではありませんか。

 南米などで多少のずるさのあるマリーシアとかがいいかのように言われますが、勝つために手段を択ばないような危険なプレイやガチガチのサッカーは面白くなりません。

 今回参加していない優勝経験のあるサッカー大国イタリアのファンやメディアは、自国の参加しない大会を純粋に見てサッカーを楽しんだ呟きをしていました。日本のファンやメディアは相変わらず、ベスト16へのガチガチの応援を続けるでしょうが、ある意味それが後進国の証拠です。

家業を継ぐかどうか

 私は商店街の化粧品店の次男として、高度経済成長期に生まれました。平成の初めに改装をした両親の店、商店街や個人商店というものもその辺のバブル期が最後のピークでした。
 商店というのは、ある程度知識やら技能もいりますが、個人で経営していくのではやはり大手が有利になっていく時代になっていきました。再販の撤廃、大店法緩和など新自由主義が結果としては小さい商店を追い込み、少子化の後継者不足で止めを刺されました。

 化粧品、本、電気屋、レコード店、八百屋、豆腐屋、私の知る実家の商店街もどんどん廃業する店が増え、こじゃれた雑貨やスイーツ、カフェなどが残る感じになっています。

 兄も私も、業界に近い就職をして、家業を継ぐか思案する間に、お互い老いていきました。両親も後継者の状況ふまえ、この商売がこの立地で到底無理であり、跡を継ぐことは考えず、自分の時代で店を閉めました。

 小学校、中高、大学とそれぞれ友人たちも、家業を継ぐか、就職するか、就職しても途中で家業を継ぐなど、いろいろな選択し、いろんな人生を歩んでいます。順風満帆な人もいれば、波乱万丈な人もいます。

 センチメンタルな小説や映像作品などに、理髪店がたまに出てきて、会話術や人間関係力が重要な職業として描かれています。技術の必要な職人という感じですが、跡継ぎのいないケースの話もあれば、紆余曲折で後継を得る場合もあります。この業界も時代や時節で、激安の量販型のチェーンのカットハウスも出てきて、昔ながらの床屋さんは減ってきています。
 休みも少なく、当然土日なども休みではないため、他の業界の人と友達付き合いが難しくなったりする上、混んだらそれはそれでハードな仕事で、今の若者がやりたがるとは思えない職業にも思えます。

 それでも、ちょっとしたこだわりの男性は理髪店を変えず、同じ店に高くても通う場合もあり、ある地方では政治家が秘書の運転する高級車で乗り付けて、順番をぬかしてカットをしてもらう光景も見ました。

 与党の参議院の上のクラスまでいった世襲政治家ですが、その後継は現在途絶えたようです。
 政治家も世襲は大半を占めますが、上手な後継はそれなり難しいのでしょう。安倍さんもそういう面ではサラリーマンから切り替えて長く続け、命まで捧げて大変なものです。散髪で順番をぬかすような政治屋ではあんなに長くは無理でしょう。

 バブルを挟んで、家業を継いで商才もあったのか、大きく伸ばして儲けた人も、バブル崩壊、不況の影響で老舗や業界ごと苦戦を強いられた人もそれぞれ知っています。

 何代目とか、名門、老舗、お寺さんなど、好きか嫌いかとか合う合わないに関係なく、男子一人ということで子供の頃から、跡継ぎを選らばないといけない人生がどういうものだったのか、次男で自由に職業を選べた自分には想像もつきません。

 もちろん、ご両親が全て健在な人ばかりではありませんが、多くの人はやはり親の職業を見て、DNAなのか、それとも何かを感じ受け継ぎ、そこに近い選択をしている場合もしているのではないかと思います。
 ただ儲かるとか、羨ましく見える職業でも、外から見るよりも業界に入り、上になったり多くの人と交わりポジションになればなるほど、責任が重くなり大変な場合が多いものです。

 親が死んで、私自身も、円熟というのか老境、自分も親の晩年にやがて近づいてきました。だんだん親の気持ちは良く分かるとも言います。産み、育ててもらった恩に感謝するとともに、報いるためにも、それ以上頑張っていきたいとも思います。

 

防衛費を「復興特別所得税」から そもそも論

「日本一美しい漁村」と呼ばれた石巻市雄勝(おがつ)町に、震災後にできた巨大な防潮堤。違和感しかないと言われています。

 防衛費、5年間43兆円の財源をめぐって議論が噴出しています。軍備そのものの是非や戦争の可能性は右から左ものすごい議論になりますので、ここではおくとして、財源に関してです。

 「復興特別所得税」からとか法人税、たばこ税からとか、あるいは「建設国債」の対象を拡大してとも言われており、そこも喧々諤々です。潔く「防衛費増強特別所得税」にすればいいという話もあり、「復興特別所得税」からだと復興が後回しになるようで被災地県や世論に申し訳が立たないとかも言われています。

 財務省主導、行政、役所というところはセクト主義であり、自分のところに紐ついた予算を手放すことはしたがりませんし、仕組みもそう簡単にお金を右から左に違う目的にできないのです。ところがこれが、財政の逼迫したと言われる日本で硬直化して、「財政破綻寸前だから増税、負担増や給付やサービス低下」となっていきます。税金、国債からのお金にしてもお金に色も目的も書いてないわけなので、柔軟に対応すれば国民の負担は軽減するはずです。
 復興特別所得税を他の目的に使うなんてケシカランという主張に賛同される方もおられると思いますが、そもそもそれっていくら必要でちゃんと使われているのかご存じでしょうか。

 復興特別税の使途は①被災者の支援、②住宅再建やまちづくりの復興、③産業や生業(なりわい)の再生、④原子力災害からの復興や再生 でこの項目で予算、決算支出が開示されています。そして復興特別法人税は献金や選挙対策目的で企業の要望通り3年ほどで廃止され、一般の所得税からのみ徴収されていました。

 ここでも法人税は優遇され、消費増税が財政再建にそれほど奏功していない背景もあります。何が何でも大企業の減税をして、政治屋は献金をもらい、官僚は天下りポストを確保しました。復興というお題目は残しつつ、民主党菅政権から、野田政権、そしてさらに法人優遇をした自公政権、安倍さんの時代に繋がります。まあ、それも評価はわかれるのでおきましょう。
 
 原子力災害復興へ、汚染水処理から地域の除染などそれなりの計上があるのはやむなしでしょうが、それでも年150億程度です。

 問題は雑な使われ方です。予算がおりれば使わないと次はもらえないので使います。「沖縄、北海道など全国の道路改修・新設」「南極でのシーシェパード対策費」「クールジャパンの推進」「検察運営費」「荒川税務署の改修」「東京スカイツリー開業プレイベント」「航空機購入費」「米国での戦闘機訓練費」「ODA」「小型衛星局」もはや意味不明の使われ方です。自治体では、いかがわしい行為に使用され処分された場合もあります。

  あとは写真の通りの違和感です。そして目的にかなっているようでも、唐突で違和感のある自然を破壊するような防潮堤です。宮城県では海沿いでは全域にわたり延々とこの自然破壊が行われほぼ完了しています。ゼネコンが儲かるようにしっかりと使われてます。

 私は数年前、震災後の昆虫生態調査ボランティアで宮城県の奥松島、浦戸諸島を訪れました。廃校になった小学校のある島でさえ、太平洋沿岸は見事にこの高い防波堤に囲まれています。

 ウミホタルなどの観察できる一部の入り江は残っていますが、海浜の生物の生態系はもちろんほとんど壊滅しています。そして工事にいろんなところから持ち込まれた土砂などで、昆虫や両生類などの生態系も大きく変わっています。片方でSDGSや自然破壊反対の時代に何たること何でもありかの印象です。

 復興のためには仕方ない面ももちろんありますが、そもそもの復興とは何なのでしょう。被災者が自立でき、原発がケアされ、地元の経済を支えてこそです。地元の産業や経済が立て直されない現状なのに、他の都府県の大手ゼネコンや一部の官僚繋がりだけが潤う復興税なら、防衛費に回せばよいのです。

 これ以上、増税の枠組みを作るのはNGです。復興税の防衛費転用いいじゃないですか。

「戦」「税」

 昨年までの「コロナ怖い!コワイ!」報道から、今年は2月のロシアのウクライナ侵攻や、北朝鮮のミサイル連発で「戦争あるぞ、怖い!コワイ!」の報道があふれ出し、トドメに戦費調達の増税案が政府から浮上しました。

 ウクライナの戦争が、外国の戦争としてはかつてないほど報道され、連日解説されたのには、軍産国家の陰謀論もありますが、プーチンのロシア悪と、ウクライナの悲劇がカワイソウという分かりやすく情緒に訴える構図が受けたのも大きいのではと思います。

 戦争から77年も経た今年、もはや第二次世界大戦で兵士として戦った人や、戦中、敗戦の苦しみを実際に経験し語れる人も少なくなりました。まして、中国やアメリカとどのように戦争に至り、政府の発表や報道、世論が実際にどのようだったかは、リアタイの人もいなければ現代と比べるすべもありません。

 そんな中で今年の世相を表す漢字が『戦』です。少し前にあった『震』からの復興はだいぶ忘れられています。

 確かに、軍備が陳腐化していては、周りの国に舐められます。防衛費がそれなりに必要な理屈はあながち間違いではないでしょう。
 周りに喧嘩を売る人間でない紳士淑女でも、自宅にはセキュリティも必要であり、防犯カメラもドアホンのカメラも更新しないといけませんし、鍵も安全なものでないと安心はできません。相手を殴らないからといってある程度の護身は必要です。

 しかし、増税となると今の日本の抱える問題は大きいです。

 これからの日本は、たとえるなら、そんなに大きな広い家が必要な大家族ではなく、核家族化していくような小ぶりの家で十分なぐらいの国の勢いです。世代は交代しても継承していくためには、少子高齢化対策の方も防衛費と並んで必要です。どんな立派な家で、防犯も護身用具もあっても若い人間がいないとあっては、電球一つ交換できないのと同じような状況で、無駄なスペックになっていきます。

 嫌われて、直近の選挙で負けても、必要なことや、財政問題は先送りしてはいけないのは正解です。しかし、税を増やすには、本当に政治や行政がとことん自分も身を切り、率先して節約や改革でスリム化して無駄をなくして、国民に納得される形をつくらないといけません。

 私は行政を監視するという役目も含め国会議員はある程度必要だと思います。ただあまりにも当選することに拘りお金が要り、世襲のお年寄りや勉強不足の人が、居眠りしているばかりでは、今にシステムが機能していないオワコンなのでしょう。
 行政も、これから雇用対策としてもですが、介護や生活保護など現場に近い仕事は必要です。しかし、デジタル化などで今までの紙ベースの煩雑は届出などを受け付けて、承認を目視するような事務方の管理人間、あるいはそれよりも悪質な何をやっているかわからないような役人は要らないですから、そこは組合などの問題をクリアしてシフトチェンジ、配置転換や異動をフレキシブルにできるようにすることが肝でしょう。

 政治家や高級官僚が不祥事を起こす、公共事業を一部の業者だけが巨額の利権を得ているという話が繰り返し出てくる以上、襟を正しあらゆる膿を出して切り詰めて切り詰めて、国民に信を問う姿は必要です。

政治家 増税の前に約束したことが忘れられている – 天使の星座 (seizafpkotodama.com)

幼稚園も介護施設もストレスフルで危険な場所

 年末はクリスマス、お正月前に高揚できる人もいれば、何とも世知辛い世相の1年だったなと嘆く人も多いでしょう。年の瀬に来ても、訃報や増税、事故やら政治家の不祥事などの話が続きます。

 昔から、そんなものあったよと言われます。確かに軍隊もあり、学校も家庭も町内も厳しく生活も厳しかった時代もあります。しかし、子供や老人を家族は養い労わるのものでした。イジメやハラスメントも保育や高齢者、介護が施設で肉親以外の職業の人があるのが当たり前の時代です。人間的な愛情や奉仕は、あくまでビジネスでお金であり、コロナ禍で制限が増え仕事が増え、シフトが難しくなったりで看護や保育、介護などサービス側のストレスは倍増したようです。ミスが増えて、危険が発生するとともに、意図的な暴力、イジメなども常態化していたことが表に出たりしています。

 幼児がバスに置き去りにされて、その悪意のない危険も初めてわかるものです。

 異常者とまでは言えない普通の人間が陰惨な事件を起こしてもいます。幼児や老人など、弱者であり、また言うことを聞かないと厄介者ということで、暴力的になる人や陰湿なことをする人も現れるものです。

 コロナのせいだけにはできない。核家族化して、現役引退した高齢者が家で老後を過ごすのはかなりの金持ちか、逆に貧乏な孤独老人かになっています。

 何だか、年をとって衰え弱くなるのは罪なのかとも思えるような、世知辛い世の中です。いろんな先輩のお話を聞くと、余計に残念なのが共通して「お金を持ってないといけない家族にも軽く見られ、バカにされる」といわれることです。

 子供を育てる頃から、恵まれた環境、豊かな環境というとやはりお金になってしまうのでしょうか。

 検証とかデータではなく、何だか悲しいなあと思ってしまいます。誰が絶対悪いとかではなく、これだけ多くの保育から介護まで多くの人がサービスしていると一定の割合で発生する課題だとは思います。

 自分に置き換えるとストレスがたまると、やはり失敗はしますし、機嫌も悪くなりキレる感じの時はありました。やはり全体的な環境は大事ですし、何とかほっこりとした気分転換ができるような逃げ道がないとみんなが救われないのではと感じます。仕事なんだから、楽なものはないのですが、自分が弱いものイジメして不当に楽しめばどこかで破綻が来ます。ただ、健全に少しでも楽しめる環境は必要だと切に思います。

歪みがいっぱい #サンクコストバイアス

 バイアスという言葉は今は広くビジネスや社会で、陥りやすい「歪み」「先入観」「偏見」「かさ上げ」という意味で使われています。

 サンクコストバイアスとは、「ここまでかけたコストを無駄にしたくない。だから辞めずに続けよう。」と考えてしまうバイアスです。

 経済政策や行政の分野においてもそうです。政府は税金を投入し、法律で決めて進めた政策を後戻りさせるのは好きではありません。いろいろ取り繕い何とか恰好をつけようとします。これは民間企業や個人でもそうなります。また医療分野においては、患者がこれまでかけてきた治療から他の治療法に移る際に、「ここまでこの治療でやってきたのだから、このまま同じ治療を継続したい」と考えてしまうといった事例が発生しています。これだけ書くと、上の写真も見ると、現在の情勢からアレのことを言ってるのではと、ピンと来ますかね。

 私自身、今仕事をしている事務所は年金の業務ですので、その知識を上部組織である厚労省から得てやっています。ですからそこには自然と他人から見ればバイアスとされておかしくないスタンスになっていると思います。ネガティブな情報や意見も来ますが、本来それを説得したり、ご説明するのが仕事ですから、どうしても体制側の知識バイアスに陥ります。

 同年代の友人が、自治体のワクチン接種の差配業務の臨時職に付かれていますが、やはりそうなると上から情報や知識を貰い、指示に従い仕事をするわけですから、どうしても営業ノルマ的にワクチン接種を進めてしまっているような印象を受けます。

 テレビの情報、ネットの情報もさまざまであり、本人がバイアスに陥ると、もう全ての見方は変ってしまいます。

 まさにバイアスのかかった専門家、いわゆる御用学者ではない、適切な専門家による情報共有、意見が求められる事例です。

 増税とか防衛とか国家的な決定でも、本来公務員試験や司法試験などを受かったアタマの良い方がこのバイアスにかかってしまいます。自分の知識や経験の多さが、無知な者をもどかしく思うほど国家的使命感にも駆り立てられ進まれます。しかし組織の恩恵、得た知識による優越でかかる大きなバイアスだから厄介なのです。

 医療分野では、サンクコスト以外にも様々なバイアスがかかりやすいです。その要因としては、医師が持つ情報と患者が持つ情報に大きな差異があることや、医療における患者の精神的な負担なども考えられます。

 いろんな意見を聞き、毅然とした気持ちは持ちながらも、心の中に、謙虚さを持ち続けないと、傲慢で不遜な人間になってしまうものです。

 

カタールW杯の暗部は日本の未来?     大阪万博の後、札幌冬季五輪、愛知、長野、日本W杯と繰り返されるのか

 私もサッカーファンで、それはそれで、開催されてトップアスリートが競い合うのが見られるなら楽しもうという感じでワールドカップを見ています。あと4試合だけになりました。

 日本に敗れ屈辱の予選リーグ敗退を強いられたドイツチームが、試合前にグラウンド上で手で口をふさいで映った集合写真とともに、「人権問題は譲れない」意志を表現していました。インフラの建設中にインドやバングラデシュなどの外国人労働者およそ6500人が亡くなっています。死因の多くは50度以上にも及ぶ、猛暑の中での長時間労働に伴う水分不足など労働環境だそうです。また建設場の安全性も水準を下回っており、事故で亡くなる方も多かったのに、カタール政府は補償も見舞いもしていないということに対して人権蹂躙、人種差別との声が以前から上がっていたのです。

 今回の開催にあたってインフラに約200,000,000,000ドル(約30兆円)程かけているといいいます。また猛暑の中東で初開催、シーズンの途中という異例ずくめの時期など、カタールから多くのマネーがFIFAやロビー活動に流れているという説が強く、当然この規格外の投資と裏金を使う成金ぶり、片方で低賃金の外国人をこき使うスタンスに批判する声も多いということです。

 おりしも東京五輪の汚職が次々と今になって明るみに出ています。そんな中で札幌への2度目の五輪誘致が一部の反対はありながらも、しれっと進んでいます。

 東京五輪でも、コンパクトにやると言いながら莫大な税金が投入され、不正なお金も流れています。東北被災地の復興五輪との名目も有名無実化しました。

 今、物価高で、防衛費やコロナ関連などで増税や福祉の低減が噂される状況で、これ以上の国庫負担が増えるようなことが、官主体で一方的に進んでいいものでしょうか。マスコミは今回も裏で莫大な利益を得ている電通に仕切られて、W杯ヨイショ、ガンバレニッポン、五輪ヨイショ、スポーツは感動!世論を徹底的に盛り上げます。アスリートは頑張っているとの同情や共感も上手く拡散されます。

 一人一人のアスリートを見れば、冬季五輪もフィギュア、ジャンプ、スピードスケート、カーリング、どれにも応援したい人が私にもいます。しかし、地元有利とか未来のアスリートになる子供に生で見せられるとか言ったところで、是が非でも日本で開催せねばというものではありません。

 冬季の参加国は、サッカーのW杯予選や夏季の五輪よりはるかに少ないウインタースポーツのできる豊かな国に限られます。実は冬季の五輪は立候補都市がないぐらいで、札幌は遠まわしにIOCに押し付けられているようです。何とか今の汚職の件が下火になる来年か再来年に決まるそうです・

 日本は何もかも手を広げ、最新の競技場、宿泊施設などを作り、選手の環境から、放映権まで大金を払い、還元されるその利益は一部の権力者が受け取り、ツケは税金で市民に回るようになっています。ゼネコンや広告代理店、人材派遣会社が儲かれば、景気が良くなりまわりまわって市民が潤うかのようで、実は多くの市民には借金だけが残ります。スポーツの感動や勇気が貰えても、要らない人もいますし、外国で開催しても同じです。

 人口が260万人ほどで、カタール人は30万人しかいないという国の構図は、未来の日本の縮図なのでしょうか。一つの選ぶべき道なのでしょうか。
 そこまで外国人の移民を認めて、支配するのは日本の事情では少し無理があるかもしれません。しかし日本も人口が減り労働できる若者が減ると否応なく、インフラなどの労働にも外国人が今以上に条件付きで必要になるでしょう。

 日本の風俗、習慣、文化を保ち、もちろん治安は維持しながら移民、外国人労働者をどういう風に受け入れていくかは、これからの日本の大きな課題でしょう。
 人口が減り、コンパクトでも国民が幸せな国家を目指す選択肢も当然ありです。日本とサッカーで対戦した中米のコスタリカはそんな感じの小国です。北欧の福祉国家もいろんな面で参考にはなるでしょう。

お金 これからの財政にまつわる話

 非常に個人的な身の回りの財政的問題から話しますと、マンションに住んでいまして、その理事を担当していまして、大規模修繕工事は今年終了したのですがその後、今後の財政問題が持ち上がっております。

 持ち家として集合住宅を所有している方だけの問題で恐縮ではありますが、御多分にもれず、何もかもが物価高騰のあおりを受けています。住宅設備の場合、長期にわたり個別の需要の少ない資材や機器類を安定した価格で抑え込むことは難しいですし、人件費や運送費、加工なども当然に値上がりが予想されます。元々の財政構造とともに、次回以降の修繕積立金を値上げしないとやっていけないのではという問題が顕著になりました。

 こういう基礎知識や、今回の経験が無い方に、輪番で役員や理事を回すと判断も難しくなるところです。かと言って今の段階で、すべてを見切って値上げという判断をするかどうかは微妙なところです。

 国政で言うと、財務省寄りの安定財源確保の増税派と、歳出削減の値上げ先送り派に分かれそうです。

 実際に15年や20年30年先となると現役世代も次々と年金世代へと移行します。そんな中で月の固定費になるマンションの管理費、修繕積立金が上がることは、ベアの無い中で可処分所得が下がることになり、なかなか納得ある説明は難しくなると思われます。

 マンションの資産価値とすれば、汚れた外壁やエントランスでは問題ですし、10年も経過すると以前は問題なかった部分が喫緊の補修が必要な場合も出てきます。水道や電気、自動ドア、宅配ボックスなどの施設も次々保障や部品保有義務期間さえ過ぎて、更新時期を迎えます。安全安心のためと、最低限の稼働のためにお金がかかるものが増えるのと、確実に見積もり想定することは難しいものです。

 かといって、何が起こるか分からないので念のため高めにしておくでは納得されないでしょうし、問題が起こってから積み立てを上げても間に合わないケースが出てきます。

 防衛費をGDP2%にという議論も本当にそういう面で難しいところです。有事が迫っていたら、悠長なことは言ってられないことになるというのは保守の論客のおっしゃることで間違いはないのですが、同時に国を強くするには少子高齢化対策、人口減少に歯止めをかけないと国力は維持できません。総合的な意味では、歳出削減や議員報酬、公務員給与なども抑えるだけ抑えて、防衛と福祉のためにはこれだけの税が必要で財政をこうしたいという明確なビジョンがないと話は進みません。
 保守側は、「北朝鮮コワイよ、中国が台湾攻めたらどうします、ウクライナ見てみなさい」ともちろん言うことも分かりますが、一方でコロナ禍でストレスもたまり子育てもできない状態の社会構造です。子供を作って、保育から高等教育ぐらいまでそれほどお金がかからないイメージができなければ、結婚して子供を沢山作ろうという若者は増えないでしょう。

 戦後、苦労して今の日本の構造を作った60代、70代以上の政治家や官僚のパラダイムはもうここへ来て完全に変わらないといけないのです。 

 エコとかSDGsとか流行りで言われますが、コロナが収まると結局、金満なクリスマスや年末年始の消費が始まります。それはそれで経済を回すので必要ですが、財政の在り方はここへきてもっとベクトルを変えないと日本の未来は厳しいでしょう。