結婚 過ぎ行く時

梅雨の末期はやはり豪雨が来ます。ご自愛ください。

文字通り私は還暦過ぎて熟年夫婦です。夏は仕事から帰ると汗かきなので食事の前にお風呂が先に沸いていて、冷たいお茶がコップ1杯冷蔵庫に入っています。
暑い中、キッチンで火を使って毎日料理してくれている妻に感謝するしかないです。掃除、洗濯も私は苦手ですから、本当に申し分ないです。
恋愛とか新婚の時のときめきはもうテレビドラマでしか味わうことはないです。結婚は甘い時期を過ぎると、平凡な現実に飽きることなく耐える長い時間と言われます。
単身で別居の長い夫婦、いつまでも仲睦まじく外食、お出かけをアップされるペア、外からはどこまで仲が良いのか分かりません。もちろん独身の方々には、それも羨ましいと思うか、煩わしいと思うか分かりません。
過ぎ行く時間を、いろいろな思いが流れ、今を生きることにも何かと気忙しいものですが、ゆったりと楽しんでいきたいものです。

戦後高度経済成長期はもっと格差があった

子供は純粋であったり、鈍感だったり残酷だったりします。昭和40年代に小学生だった私たちの学校、生徒たちの格差はある意味今より今より大きかったです。
給食や肝油で栄養を補い、その給食費の支払いもぎりぎりの家庭もありました。
高度成長期で、働けば働くだけ儲かりだした時代ですが、まだまだ戦後の厳しい中で苦しい生活の家庭もあったのです。
私は鈍感な方なので、他人がお金持ちか貧乏かというはあまりわからなくて、誰とでも遊びました。
少し大きくなるにつれ、あそこの家は✕✕だなどという情報が入ってきます。公立の小学校ですから、町内によってはいろいろな難しい地域や家もありました。今考えると昭和は個人情報保護も人権擁護もユルユルでした。
空地もなく、公園も狭いので駐車場などで遊んで怒られました。
洒落たお金持ちの家でもそんなにうらやましいとは思いませんでした。大手商社にお勤めの親の家でしたが、まあ狭いながら自分の部屋のある自分の家が誇りでした。
世の中にはお金持ちと庶民がいると本当の意味で実感するのは、大人になりずっと後でした。昭和40年というともう半世紀前、その20年前が終戦、焼け野原の時代からすると大きな格差があって当たり前。しかしやっかみ、妬みというマイナスの感情は格差が大きいから生まれるのではないのかもしれません。庶民から見れば一流の企業に勤めても、官僚になってもさらに上に高等な市民がいることに気付けば、嫉妬は生まれます。
気の持ちよう、心の在り方かもしれません。格差に妬み、自分の境遇を悩む時は誰でもあります。私もいくつかの場面で、居場所を失い悩んだ時があります。そんな時、子供の頃の無邪気さを思い出しましょう。
何かを得たら、次の何かを欲しがり、今の立場を守ることにも汲々とする。そんな時、何もなかった知らなった頃を思い出しましょう。



ワクチン徒然

つい一年前はマスクの供給で騒いでいましたが、今はワクチンの接種、予約や供給で相変わらず混乱、騒然としています。
オリンピックをめぐる議論も立場が変わればいろいろですが、ワクチンをめぐる議論はさらに複雑です。
どちらかというとアンチ政府の人は、ワクチンがコロナ対策の切り札と言いながら後手に回ったことを非難しています。裏を返せば早くワクチン接種をして安心を得たい人です。
このほかに、コロナワクチンそのものに懐疑的なグループがいます。
このグループは日本人の治験が不足しているという慎重派から、メッセンジャーDNAワクチンそのものを無理して身体に入れなくても良いというスタンスの方もいます。薬品メーカー陰謀説に近い論理もあります。
確かにワクチンには重症化を防ぐとか、発症をある程度防ぐという、国が進める目的であるメリット、ベネフィットと、これに相反するデメリットがあります。それはやはりアナフィラキシーショックや血栓等、副反応、最悪は死です。

いくらワクチンが引き金で死ぬ確率が低くてもゼロではありません。元々日本人が感染対策をちゃんとしておれば罹患する確率は低く、まして健康な基礎疾患のない人が重症化し、死に至る確率はかなり低いです。そうなるとワクチンをわざわざ打って血栓でもできて死ねば救いようがないとも言えます。
確率が低いとはいえ、重大な副反応が起きる人にとっては生きるか死ぬか1:1です。コロナそのものも、また確率は低いですが重症になってしまえば生きるか死ぬかあの時ワクチンを打っておけばということにもなります。

この判断が一般の人に委ねらると大変難しいです。
アンチワクチン派は専門家は薬品メーカーから研究費等お金をもらっているとか、大金で抑えたゼネガのワクチンが危険なので他国に譲った。結局ワクチンは危険、必要ないのではとディスります。そういう面もありますが、そこからもファクトを見つけないといけません。多くの国もワクチンによって爆発的感染は抑えているということと、重篤な副作用はほとんど現れていないというのもファクトです。
世界経済を大きく揺るがした新型コロナです。その裏にどれだけのものがあるか想像してもしょうがないです。
どっちに転んでも命まで取られる確率は低いと楽観するしかないでしょう。

ワクチン接種券到着 

ワクチン接種券が住んでいる自治体から届きました。
60歳以上は比較的早い郵送ですが、65歳以上の高齢者が進む中、16歳以上はこれから特に差はなく予約して接種できるようです。
ワクチンに関してもいろいろなネット情報等でネガティブなものもあったりします。
そこは冷静に整理して判断していきたいと思います。
日本政府が契約し、自治体も医療機関も大変な苦労をしてここまで至っています。自分の生命、周りの生命を守るため、しっかり考えて判断しましょう。

どこにでもある、同調圧力と心的障害の葛藤

テニスのメジャー大会を制覇しているぐらいの人が鬱病をカミングアウトして話題になりました。
うつをはじめ発達障害などの、なかなか仕事をしていく上で、社会生活を営む上で難しい立場の人がいるという問題を改めてクローズアップさせました。
かくいう私も正式にカミングアウトもしていませんが、それなり注意多動性障害の傾向は強く、「マイペース」「集中して継続するルーチンが苦手」「空気を読まず」「すぐフラフラする」タチで、40年の社会人生活で苦労も多かったです。
それを苦労と思っていたかは別として、私よりも適合が難しい立場の人が世の中に多いとは感じます。
全ての人が同じベクトルに向くことは、人類の進化上もあり得ないことです。みんなが同じ荷物を運ぶ働きアリだけでなく、フラフラと道をはみ出し、敵を見つけたり獲物や近道等新たな発見をするグループがいるから動物も人も種が保全され、進化するのです。
当然働きアリの単純作業グループからは非難や同調圧力がかかります。それはイジメや誹謗中傷などの排他行為にもつながるケースです。
でもまあ大々的に訴訟するでもなく、自信をもってかわしたり逃げたりしながら泳いでいくことも良いでしょう。どんな時も騒がずともいつか理解はされます。

京都地下鉄市バス赤字問題       京都財政再建2#京都市財政破綻

京都市の赤字の原因はいくつかありますが、大きいものが交通局。市バス地下鉄の事業と言われています。それもインバウンド拡大の時期はそれなりに乗客があふれ目立たなかったのですが、構造的にもあまり採算がとれにくくなっているようです。
コロナ倒産とか言われますが、企業もコロナを言い訳にしているだけで、財務体質や本業の競争力等根本に問題がある場合が多いです。たまたまインバウンドのバブルで延命していたものが途切れての倒産というケースです。
京都の財政逼迫もそれに似ています。
市バスもインバウンド全盛の頃は混雑しすぎて満員で地域の足としては利用しづらくなっていました。地下鉄は環状はおろか半環状にもならず他の私鉄やJRとの接続も悪い状況です。市が肝入りの洛西ニュータウンまでの延伸を約束した地下鉄東西線は途中の太秦天神川で事実上延伸停止です。それまでの工事に予想以上に費用と時間もかかりました。ニュータウンは最早旬を過ぎ、人口も全盛期の半分程度になり「陸の孤島」と揶揄されたままです。
京都市には、洛西ニュータウンに住居を購入した人への最低限の約束を守る義務もですし、もっと大きな志として京都市全体の交通体系を考え市民が暮らし良く、豊かな住みよい街を築く使命感を持ってもらわないといけません。
たとえば地下鉄とバスの連携、バス乗客を観光客と地元市民に分かる。一見コストがかかりそうですが、便利にしないと乗ってもらえません。そして主要観光地と住宅地を結ぶ新たな路線や延長も考えるのです。その際もコストは重視して単線とか一方向のみ等シンプルにして、過剰な設備はカットします。
公共事業が大赤字になり自治体財政を悪化させるのは、予算を乖離したような民間だとどこかでストップしないと借金がふくらみ経営が破綻することを一度決まったからと暴走するからです。小さな企業ならすぐ無理になることが、税金、親方日の丸は後戻りしません。地下鉄東西線はそのパターンです。
考古学を全否定しませんが、市民の多くはそういう学術に時間やお金がかかることは望んではいません。大阪で橋本市長の時、文楽の予算の件で議論がありました、橋下市長はすべてアンタッチャブルに見直しを図りました。いろいろ誤解や軋轢もあったでしょうが、覚悟が伝わりました。京都の場合も聖域やしがらみのタブーは多いですが、
地下鉄やバスのこれからは、市民とその目線の代表により,しがらみなく改革してより良い交通体系を目指して欲しいです。

不祥事で退職に追い込まれた同期のエース  #カネボウ

友人と麺類を食べていて季節は違うのですが不意に思い出した話題です。
カネボウ化粧品時代で最も早く課長から販社支配人に出世したAの件です。
当時権勢を振りまいた今太閤帆足隆社長になぞらえ、ミニ帆足とも言われる押しの強い馬力でした。
当時何年かに実施されていた一度若手鼓舞、組織活性のための抜擢人事の一環で40前での異例の昇進でした。
しかし任された支社エリアの数字は伸びませんでした。
前任者も相当なやり手だったため、人物的にもだいぶ遜色があったのです。
一つのエピソードとして年末の納会の前に、挨拶をした際、内容は別として大変長い話をして聴衆は目の前に年越し蕎麦が置いてあったのに、延々と訓話されたのでした。
それを評したベテランの女性社員は蕎麦のような食べ物の前で長口上するなど論外「Aは育ちが悪い」と一刀両断したのだそうです。
その評価は当たっていたのか結局、彼は金の問題でトラブルというか社内規定違反で退職に追い込まれました。
品性とでもいう感じのところに問題があったのでしょうか。その後、皮肉にも本家の帆足社長も結局は粉飾、金の問題で辞めざるを得なくなり逮捕もされました。

市民サービスを維持しつつ、京都再建して欲しい  京都財政再建1 #京都市財政破綻問題

京都市の財政が破綻寸前だという問題が騒がれ始めました。コロナでのインバウンド需要がなくなり、補助金等の支援で財政再建団体一歩手前ということです。
コロナ前から市長選でも一部候補から指摘はありましたが、現役市長はすんなり当選しております。その後基幹システムの統合投資の失敗が明るみに出て市政の無駄が徐々に明らかになっています。そして一気にコロナの問題で、夕張市に次ぐ企業でいうところの倒産に近い状況にあることがわかりました。
関西のテレビ等でもザックリ解説されていますが、元々大学や社寺が多く固定資産税の収入が少ない上、地下鉄の赤字、福祉サービスが原因のように総括されています。本質的にはそれだけではありません。
公共事業の一部停止や先送り、高齢者の市バス地下鉄のパスを値上げするとか廃止するとか、保育や介護のサービスを低減するなどが囁かれています。しかし抜本的な財政再建ができるかは疑問です。
少子高齢化の社会で毎年社会保険、医療等に係る予算は右肩上がりです。前年踏襲予算で組むと年度末が近づくと毎年予算が枯渇するそうです。
この構図は多かれ少なかれどの自治体も持っています。京都が破綻までいくのは、その見通しが甘いのと、人件費等の固定費、決まって使う予算が税収を当たり前に上回り過ぎるからです。
実際に京都の地下鉄は他都市や他のJR私鉄に比べて高く、この上値上げ、パスの廃止、運転の削減をしたらどんどん乗客は減ります。駅や電車の維持、人件費は要る訳ですからどうすれば黒字になる構造、儲かるようになるかを考えることが必要です。これは市全体の財政にもいえることです。
公共事業は親方日の丸とも言われ、認可され、入札に勝ち着工すれば、予算がオーバーしても何とかしてしまうところがあります。箱もの、地下鉄の建設費等はその典型です。
地下鉄東西線はシールド工法の初期で費用がかかり、埋蔵文化財も多く時間がかかったと言われます。しかし考古学的なものが発掘されるのはオープンカット工法で以前に開通した烏丸線でも十分わかっていたことです。歴史歴史といいますが、現在の生活、福祉サービスを犠牲にしてまで考古学的遺物を大切にしたいという市民が一体どのくらいいるのでしょうか、そもそもその遺物は、地下鉄工事が無ければ永遠に埋もれていたものです。地下鉄二条城駅前に、その工事で発掘されたものが展示されていますが、いったい市民の何人が知りその恩恵を受けたでしょうか。
町並みとか寺社仏閣、歴史的建造物の評価、保存は目に見えていますが地下のものは見えてはいません。私はその目に見えたものでさえ、税金をかけてまで守るべきかどうかはしっかり市民の理解を得るべきだと思います。
京都の財政破綻、改革を妨げる病巣はもっと根深く、薄汚い、あるいは巧妙で質の悪い構造になっています。
やはり大阪のように強権をもってかなり勇気ある指導者が改革しないと、なかなか進まないものがあります。
それは依存権力との癒着、しがらみでつながるものではできないことです。
市民も大変厳しい選択を強いられます。しかし公務員の給与体系は根本からは変えられずとも、無駄な経費手当含め相当抑え込むことは可能です。企業が倒産すればリストラ、賞与停止、希望退職は当たり前です。倒産している状態だと京都市の職員は自覚しないといけませんし、市民も分からないと進みません。何とかなる状況ではないのです。
京都市と市民の覚悟がかなり試されるときです。
政治的なことはまた機会を設けて書くことにします。

コロナ禍と東京オリンピック2020 好きではないが中止すべきではない

コロナ禍、緊急事態宣言がようやく解除の方向となり、1年延期され2021年となった東京オリンピックも、開催の是非で議論が喧々諤々でしたが、今のところ開催のようです。
ここまで来た以上開催すべきだとは思います。ここでドタキャンの中止では経済的にも国際信用的にも失うものは多いです。
正直、コロナといってもこれ以上の自粛や規制にも反対ですし、少々外国人が来ようが来まいがある程度の変異の波は起こりつつもうパンデミックとまでは行かないでしょう。ですので消極的賛成ではあります。
元々この暑い時期に、今さら東京で巨額の投資をしてオリンピックをやることには懐疑的でしたしその気持ちは変わりません。
プロで注目をされる一部競技以外のスポーツにとってオリンピックが大きな活躍舞台なのも承知しています。しかし、まあ国を挙げてメダル数に国威をかけ一喜一憂するのはもういいかなと思います。
短期間に世界中の国の主要選手を一つの都市に集めるのはもう限界が来ており、時代にそぐわない気がします。
一昨年のラグビーのワールドカップのように、それぞれの世界選手権をもっと掘り下げればいいのではないでしょうか。流通でいうと百貨店や総合スーパーから専門店、カテゴリキラーの時代そしてeスポーツ等も参加等というともうこれはリアルに一つの国や都市に集まる意味はありません。巨大なスタジアムや選手宿泊施設自体もう壮大な無駄です。
誘致に莫大な税金を使い、広告業界大手が暗躍し、利権を貪り巨額の人件費を手に入れる人がいる反面、猛暑の中ボランティアや、医療従事者も過酷な目にあいます。
当初の、既存施設を活用したコンパクトな五輪や、東日本大震災からの復興五輪と位置づけて震災の被災者等に収益が回る訳でもなく、今度はコロナに人類が打ち勝った証の五輪とかにすり替わっています。
こういうすり替えと、予算度外視は好きではありません。東京五輪の開催もですが収支はしっかり出さないといけません。コロナでこんなに収支が狂った結果とも言い訳になりますが、コロナなしで採算はどうかそれによっては責任は問われます。
アスリートもですが。関係の方だけが儲かり国の赤字が増えているのでは意味がありません。市民が楽しめ、世界と交流でき五輪憲章にあった意義あるイベントか確かめることが必要です。

総合スーパー衰勢の時代

今さらの時代の推移ですが、総合スーパーという業態が成熟期を終えて、一気に衰退を迎えています。
イオンモールはもはや総合スーパーではなくデベロッパー、不動産テナント屋さんでモールの中に直営スーパーは細々とです。そのイオンモールでさえ初期の老朽化したモールや不採算立地の撤退が始まっています。
ひと昔前の日本一のダイエーはもう店舗を見つかるのが難しいくらいになりました。イオン参加で冠は残してもかつての勢いはありません。その次の王者とも言えた利益率や商品開発でも優れたイトーヨーカドーも多くの撤退を決めもうこのグループはコンビニ主体です。
メーカー勤務時代、ダイエー、平和堂、イトーヨーカドー、イオン、イズミヤとそれぞれ担当し思い出深いです。
また後の時代をリードしたドラッグストアやバラエティストア、ホームセンターも担当して、総合スーパーが滅びゆく恐竜であることもよくわかって見えました。
私は京都市内の商店街の商売屋に産まれたので、親父が商店街の役員でよく大型スーパーの出店に反対してるのを見てました。大学の頃,大型店舗の出店が難しい京都市内の碁盤の目のぎりぎり線上にイズミヤができ脅威と騒がれました。
それももう40年ぐらい前で、その後イオンモールも進出はしましたが京都市街は狭い道で古い町並みが残り結局便利な大型スーパーはあまりできないうちに流通はカテゴリキラーそしてネット販売等のオンラインの時代に入りました。
私は仕事で地方を転々としましたが、子供が小さい時等が大きな駐車場がありワンストップでそこそこのものが揃う総合スーパーは便利だと思います。
京都の市街地からは少し南にダイエーの藤森店があり大きなマンションとともに盛況でしたが、こちらも40年たちだいぶ古くはなり、ダイエーは看板も変わり小さなSMに業態転換。六地蔵にあったイトーヨーカドーはそれよりもかなり新しい店でしたが今は消えてしまいました。最寄りが売りのタワーマンションはちょっとがっかりでしょう。
20年たつと何もかも予想とは変わります。先は読み辛いものです。