急速なデジタル化に驚く

 なんだかんだ、あっという間に世の中のデジタル化、AIが発達してきて、広まることも加速しているような気がします。
 こうやって毎日のようにパソコンのキーボードを叩いたり、スマホの文字入力でブログを作ってます。しかし、もう検索やらアレクサ以外でも文章作成に音声入力が発達しているようです。
 この程度の文章、日記なども、ほぼ語り掛けて文章を作り、修正校正する程度でできると言われました。
 Wordやら、タッチタイピングもそうなるとあまり習得しなくてもいいじゃんになってしまいそうです。エクセルのある程度の作表や分析なども、関数を覚えなくてもどんどん自動化していってるようです。先日も、今さら「WordやExcel勉強してもなあ」という話もある研修で聞かれました。

 事務的な仕事って、何が残るのか思うぐらいです。
 スマホのコード決済もどんどん増えて、カードやネットバンキングも合わせほとんどお金での支払いはしなくなりました。正月のお賽銭ぐらいかと思ってたら、先日のニュースではもうお賽銭もペイペイできるところもあるそうです。

 あったら便利がどんどんあるあるになっています。やはり、その中では日本の官公庁、お役所がちょっと2周ほど、周回遅れかと心配、不満です。3年ほど前、コロナ感染拡大の最初の頃の給付金は、申請して受け取り口座の登録だけでも大変で、受け付けた役所も厖大な経費と時間がかかったのは記憶されていると思います。この2年ほどでマイナーバーカードの普及と給付の受け取り口座の紐づけで、この作業はようやく簡略されました。
 でも考えて見てください。国の財政が厳しい、税金が高いと言われながら、3年前にこの登録が進んでいればいらなかった支出が国や全自治体であったのです。紙の無駄、不要だった残業代含めて、これからもマイナカードの紐付けができていない2割ぐらいの方の分は給付の度に税金からひと手間かけて給付するのです。
 国民総背番号化とかいって長々と導入を遅らせる動きがあり、個人情報漏洩の不安も煽られました。しかし、都度都度口座を記入して申請するほうがセキュリティー上のリスクはずっと高いでしょう。そして、国民総背番号化で税徴収や、徴用されるとかいうのは、住民票が登録された時点で既成権力が悪い考えを起こせば、抗うことはできずなくなっています。マイナンバーカードを作ろうが作ろまいと、脱税をすれば国税局、法務局らが住民票から個人情報を裸にして追いかけてきます。
 本を読んだり、ニュースを見て、音楽聞くのも、買い物する、勉強するのもほぼスマホでできます。
 スマホとマイナカード、交通系のカード1枚くらいで全てこと足りる時代になりました。必要以上に怖れることは無くとも、何となく便利すぎてコワイ時代だとは思います。

ウクライナは報道しすぎ、シリアやスーダン他の国は

 ウクライナの戦争の報道量は国際紛争としてはかつてないほどの異常なまでの情報量になって、マスコミに一般人が洗脳されるほどのものになっていたと思います。
 これは日本人が悪いのでも、陰謀論でもなく、欧米や豪州などでも共通でプーチンロシアの侵攻と、ゼレンスキーのウクライナが戦禍にまきこまれた善悪の構図が受け入れられやすかったのでしょう。
 コロナで沈んだ社会で、プーチンは捌け口ともなる恰好の悪役であり、ウクライナは同情すべき悲劇の国となったのです。
 そして、ニュース番組だけでなく、ワイドショーでも繰り返し、ロシアの侵攻したウクライナ情勢が取り上げられ、今まで多くの人が知らなかった都市名が注目され、認識されました。
 こう書くと、ロシア擁護派や陰謀論に組みしているような印象ですが、そういう意味合いではありません。東欧や、中東、アフリカやアジア各地の紛争にも常に中国以上に関与してきたロシアの覇権主義は非難が当然で褒められたものではありません。今回はロシア憎しを増長させたい思惑と、分かりやすく、バズりやすい構図が予想以上に飛躍的な量の反響で増幅を繰り返しました。
 しかし、逆に言えば、同情すべき同程度の悲劇の国家は日本人の知らないところで、ロシアが関与している国だけでもたくさんありました。
 今回、トルコ南部とシリアで大きな地震に被害があり、地震の被害には敏感な日本人の感覚に少しシンクロしました。
 しかし、シリアは悪名高いイスラム国を産み内戦の悲劇が続く国であり、地震と戦争のダブルパンチです。
 表題の映画は地震の前に日本人の作ったドキュメンタリー映画です。シリアの北部にアレッポというオリーブオイルだけで作られた石けんの製造で著名な街がありました。このアレッポの名産の石けん工場は、今戦禍のシリアを逃れ、ほとんどがトルコに移転して製造をしているというお話です。
 アレッポでさえ知る人ぞ知る街ですが、ロシア軍、やトルコ軍、NATO軍、アメリカ軍が平気で跋扈し、市民がほとんど難民になって離散している国とは想像ができないです。爆撃がある東の一部を除き、首都キーウや西部の多くは脱出するほど悲惨ではないウクライナと比べるものでもありませんが、難民の数もハンパではありません。

 ロシアのウクライナ侵攻が始まった時、海外居住の日本人の方で、日本の難民受け入れが少ないのを嘆き非難し、ボランティアやウクライナ支援の寄付、難民受け入れをなぜもっとしないと糾弾論調で私とSNS上で議論しかける人がいました。
「日本人のほとんどは国際感覚がない、私は英米で国際政治を学んだ」とか言ってふっかけてくるのです。しかし、よく聞いてみると、欧米世論の煽りに乗り、ウクライナの情勢に一喜一憂しても、シリアもアフガニスタンもスーダンもミャンマーの紛争も大して知らない。
 私がじゃあなぜウクライナだけ支援して、難民受け入れ、他の国はしないのかと言い返すと、
「それは、、内戦だから、、」
 おいおい、内戦だって外国の軍隊が入って、被災者も難民も出ている。人数も経過時間も多い。
 ボランティアといっても、この人は日本に帰っても、日本の東日本大震災の被災者がまだまだ自宅に戻れないことも知らないのです。
 多くの人が、同様に、ウクライナの情報の異常な多さに、それしか見えなくなり、ゼレンスキーというトレンドにうまく騙され、流行りにのせられているのと同じでした。
 私もそんなに国際政治に詳しい訳でも何でもないですが、ウクライナ100もしくは1000とかに対し、シリア1みたいな比率の差別的な報道量であることは知って欲しいところです。
 世界中には、平和と安全が未だ遠い国が沢山あるということを改めて思い知らされます。
 

下北沢 アオハル

ほとんど忘れていた記憶を、いくつか偶然が重なってそんな時期もあったかと思いだします。たまたま読んでた青春モノの小説に、放送部が出てきて北原白秋の「五十音」や、この早口言葉満載の「外郎売」での練習があって、学生演劇時代を思い出した。

で、なぜか今受けていいる、パソコン講師の研修でも腹式呼吸含めて、その練習があった。

さらに昨夜のブラタモリを見ていて「下北沢」「吉祥寺」が出てきて、学生時代の最後に、東京の小劇場演劇を観に入社同期の下宿に何泊かしたのを思い出した。

会社に入った地方大学の同期が、私の学生演劇の後輩が地元高校でつながっていて、ちょっと昔のコイバナも。

東京採用の何人かとも遊び歩き、タモリも住んだという下北沢で将来の夢を語り合い、ぴあ持って最後の学生生活を謳歌した若者がそれぞれ全く違う人生を歩んで、いいおじいおばあに。私を青春の門の尾方みたいと慕い、関西演劇にそれなりの足跡を残した人もいたけど、会うこともないし、会いたくもないし、お互いすれ違ってもわかるまい(笑)

女性を差別する国で人口が増えている謎

 この本に関しては、
 【Amazon概要レビュー引用】妊婦がお腹の子が女の子だと知ると中絶するという話を耳にして衝撃を受け、綿密な調査を重ねてその真相を明らかにしたのが本書である。人口統計上、中国の子どもの男女比が不均衡であるのは確かであり、その傾向はインドやベトナムなどアジア全域、さらには東欧にも広がっている。その直接の原因は男子が跡を継ぐ家父長制や男性優位の社会背景であるが、安易に胎児の性別を判断できる技術が発達したこと、そして人口爆発による危機を回避するための人口抑制策が推進されたことなど、欧米諸国が深く関与していることを著者は洞察している。そして男女比不均衡が引き起こす社会問題について、外国人花嫁、売春婦の人身売買、暴力犯罪の増加など、赤裸々な実話を交えてその深刻さを訴える。
    以上
 

 少子高齢化の日本をどうするかという話を当ブログに書いていました。結婚へのさまざまな制度強化、そのときは母親としての女性へのリスペクトや援助を増やし、子だくさんのビックマザーを増やせばと論じました。
 この本の内容が全て正しく統計的に当てはまるか謎ですし、欧米諸国関与説はやや陰謀論もあると思います。何せこれらの国の人口は激増しています。人権人権という欧米や日本が、男女平等でも少子高齢化で人口減では、もはや世界人口で多数決したら老大国は負けてしまいます。
 ちょうどインドが世界一の人口になるとかなったとかいう報道も出たので、インドって何で人口増えてるのかと調べると、どうも女性優遇とか母親に何か優しい制度があるかというと、とんでもないようです。
 たまたま別案件でアラブ、イスラムのドキュメンタリを見ていて女性が映像にさえ映らないことに少し驚きました。
 女性の人権やLGBTなどいろいろ言われますが、この報道自体、欧米中心のことなのであって、イスラムやインド中国合わせて、世界の人口の半分は、女性は男性と対等な人権もなく優性すらないのを、愕然と感じました。中途半端な人権意識、男女平等、女性の社会進出が少子化につながるなら、、、さすがにこの結論は書けないものです。
 そんな社会にも、人口を増やすヒントが実はあるのかもしれませんが、とても日本や欧米では難しいことなのでしょう。

あまちゃん10年 万感

 NHKの朝ドラというと昭和の昔は紅白と並んで誰もが知っている番組でしたが、ここ何十年かは知る人ぞ知る若手女優の登竜門にやや毛が生えたぐらいの視聴率の位置づけでしょうか。
 テレビ離れの昨今何度か、テコ入れがあり、盛衰を繰り替えしており、その波の一つに10年前2013年「あまちゃん」という三陸の海女をテーマにした能年玲奈さん主演の作品がありました。
 もう10年かと思うのと、まあそのぐらいの月日かと思うか、とにかく時は経過して、当時無名の能年さん(現在「のん」)、助演の有村架純さんや、橋本愛さんらも無名の若手女優から主演、中堅と経過しています。
 東日本大震災が2011年で、ストーリーの中にはさらりと描かれ、復興の列車が現実より先に走っていました。今回、放送10周年を記念したラッピング列車が、幾度かの苦難を経て全線開通した三陸鉄道を走っています。

 東北、三陸沿岸という震災とその後の復興、過疎に苦しむ地域にこのドラマと、その象徴の列車が多かれ少なかれ希望を与えたのは間違いないでしょう。
 能年玲奈さんは、朝ドラ主演女優として、スターダムにのし上がり一気の映画やCM、民放ドラマの連続主演とかになりそうな雰囲気でしたが、独立問題で彼女の活動は大きく制限されました。ネットやCMでは見かけますが、その出演は少ないまま30歳になろうかという年齢です。
 そこには唾棄すべき大人の事情、芸能界の古い闇のような動きがあったのは事実です。
 それでも、ぴちぴちの若手アイドル女優として、何クールも続けてブラウン管に出てやがて飽きられるよりは、新鮮な「あまちゃん」のまま、伝説のような少女がいることはあるいも救い、幸いなのかもしれません。
 2013年、自分がやっていた仕事や、家族たちのその時を思い出し、忙しい時でドラマをそれほどよくは観ていませんでした。朝のバタバタした時に見たり見なかったりで、録画をとってみる余裕もありませんでした。2015年の朝ドラ「あさが来た」、2008年の大河ドラマ「篤姫」、自分自身が東北から関西に戻り、会社も家族もいろんな経験をし、日本も震災をはさみ大変な時代でした。今当時を懐かしみながらドラマを再放送で見れるのは何だか感慨です。

日本の宿痾 変えられない官僚アメーバ 社会保険料は税徴収1本でいいのに

 物価はどんどん上がり、税金や社会保険料は上がる。所得は上がらず、その場しのぎの給付はたまにあっても、基本的な賃金、年金などは上がらない。少子高齢で人口も減り、国の財政が厳しいからだと、よく喧伝されています。
 おそらく、今行政の仕事をしているほとんどの人が、公務員、公僕としての役割を分かり、頭もよく関連の法律を覚え、厳しい予算管理の中、ルールののっとり自らの業務を改善しながら遂行しているでしょう。
 税や社会保険料が収入の4割から5割にもなろうとして、一部の識者から江戸時代だと一揆が起こるほどの悪政だとの批判もあります。

 日本の財政はそこまで厳しいのかというと、賛否分かれるところのようです。決して右肩上がりではなく、企業もずば抜けて国際競争力のあるところもなく、経済は停滞し、何より人口は減っていて働かずに社会保険を貰う側の高齢者層が増えているわけですから、いい状態とは言えません。とはいえ、外国に借金しているわけだはなく、むしろ貸しているお金持ちの国であり、信用創造という面ではまだまだ国債も発行できるので危機的な財政ではないと言われる向きもあります。

 いずれにせよ、比率の増える高齢者を支えるため、国防もこれからさらに必要だとして、税や社会保険料は増やすという提案がでます。
 しかし、ここで強く言いたい今日の論旨の中心は、国がやっていることに切り詰められないムダはないのか、組織や、仕組みを変えて劇的に効率が上がることはないのかです。
 税や社会保険料をきちんと納めないで逃れていく人を見逃さない【徴収機能】と、集まった税などのお金を適性に無駄なく使う【適性な分配】これが非常に重要な点です。
 私が公務に関わって、民間企業と比べて感じた点、あるいはいろんな識者、官僚経験者から聞いた話でのポイントもここです。

 とにかく、行政の問題は、無駄が多い、経営感覚の無さです。その経営を立て直そうとして収入を上げようと、税などの国民負担を増やし、国民へのサービスを低下させて切り抜けようと言う官僚の考えは、根本がおかしいのです。経営というか、国家の最大のステイクホルダーである国民をないがしろにして、財政を立て直せるわけがないのです。
 デジタル化一つとってもそうです。世界に比べて日本の役所のデジタル化は遅れています。どうしようもないほど、時代について行っていません。多くの企業がCX,DXと大きな変貌をとげて、時代に会わない会社や組織は淘汰され、人員は別のところに行かされています。新天地で流動したことで活躍した人、広がった分野もあります。
 行政の仕事は、細かい法律や規定に基づき、個人情報っを守った申請主義の届け出などデジタル化を阻む言い訳はよくされます。私に言わせれば、そんなもの民間の大企業でも一緒です。倒産も失業もないから、要は経営感覚も危機感もなく、国民の税金や国債で最後は何とかなるから、誰も必死にならず、前年前例踏襲の予算を確保して使い切ることに汲々としていたからです。
 最も税収の分配、あるいは効率的な徴収を阻ばむのは省庁の縦割りです。
 国民、市民目線では役所はみな同じに見えます。しかし国の出先機関には、法務局や旧社会保険庁の年金事務所など、縦割りに別の省が上位にいて、予算も別ですので当然横の連携はスムーズにいきません。
 「縦割り」と聞くと融通の利かない諸悪の根源のようですが、間違った方向に行きやすいのは、よく不祥事などで指摘される「〇〇(道路、復興など)という名目で集めた税を別の支出に使った」という流用的な問題です。こういう指摘が『正義』ということでまかり通りやすくなると、予算の弾力性、融通性は失われます。お金に色はついていないのですから、基本的にトップが国民の信のもとに、臨機応変に別の項目に使っていいと思います。
 年金保険料や健康保険の徴収の活動も、所得情報も含め、税徴収に一本化することで、無駄も取りはぐれも激減します。これはおおもとが財務省国税庁にもっていかれるのを厚労省などが嫌がってるだけの問題です。国交省などでもそうですが、結局それぞれの官僚のために、国民は負担が増える縦割りの弊害が増えているのです。
 民間企業は社長や、その直轄の意思決定で事業は再編されます。それだって並の苦労じゃないです。その繰り返しを国も行政もやれないはずはないのです。
 官僚は一人のカリスマではなく、代々組織として引き継がれた巨大なアメーバです。そこを政治が打破して、財政を立て直すのです。民主党政権は大失敗しましたけど、政治のトップがここを抑えないと日本は良くならないでしょう。

二十四節気 穀雨 #穀雨#おうし座

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二十四節気【穀雨】( こくう)

 籾や種子を潤す恵の水を与える雨ということでしょうか。春の柔らかな雨に農作物がうるおうという意味です。この時期に農作物の種をまくと、雨に恵まれ、よく成長するといわれています。
 西洋占星術では、春分の日から始まったトップバッターのおひつじ座に変わり、今日4月20日からはおうし座のターンに入ります。太陽の軌道、黄道はおうし座を通過していく1カ月です。
 実直で用心深く、忍耐強い面があるといわれるおうし座ですが、この時期は年度の初めの慣れない面でまだ戸惑いが続く人も多い時期です。
 『新天地』『新入学』などでも、「慣れた?」と訊かれても、一瞬考える間をおいてしまうような人がまだ多いでしょう。
 大型連休までには、もう少しですが、休み明けは反って不安やイヤ感が増してしまうことのないように、今しっかり種をまき、潤いを蓄えていけるような時期にしておきたいですね。
 残念ながら、4月入社、入学で5月に辞める、最悪の場合は生命まで断つという人が割と多いのがこの時期です。
 桜が散り、それに続くツツジやハナミズキ、藤などさまざまな花が咲き、木々の緑も濃く美しくなりました。自然を愛でる一瞬、草木や花にも癒されて、少しでも心に潤いをもって、この月を生き抜いていきましょう。

天使の顔を持つ悪魔

 【薬品メーカーは天使ではなく、売上を追求する企業】
 薬品をつくるメーカー、健康を害し苦しむ人には天使に見えますが、その実は薄汚い悪魔かもしれません。
 モデルナ社、ファイザーのCMを見かけるようになりました。最近は大きなスポーツイベントにも入り、スポットCMも買っているようです。大手スポンサーとしてテレビ局や電通などとつながっています。
 新型コロナワクチンで大きな売上を得た世界的大企業です。新型コロナブームも終わりそうだし、これから継続して売れそうなインフルワクチンを開発したけどこれはいまいちだったという話です。

『モデルナの今年の新型コロナワクチンの売上高は昨年の184億ドルを大幅に下回る約70億ドルと予測している。この減少を補うために同社はmRNAベースの呼吸器合胞体ウイルス(RSV)感染症ワクチンに期待を寄せている』という報道がありました。
新型コロナワクチンでどれだけ儲けたかがわかる数字です。一つのブランドで200兆円売上かせぐ企業って日本にはないです。日本のテレビ局ごと買えそうです。病人がたくさんいないと製薬会社は成り立たないのですから(誰も異論はないと思います)。

 ワクチンでの特需期間が終わると、減少した売り上げをどう補うか考えているんですね。まあどの会社も対前年比、前期比とかで売り上げが落ちたら対策どうしようと考えるのでしょうが、食べ物や薬は人の健康に直接関わることだからタチ悪いです。
 必要のない薬を必要があるようにみせかけて販売したり、診断基準を変えて病人を増やしたり、あるいは新しい病気の概念を作ったり。それも全くのデタラメではないエビデンスをつけて学者や政府をまきこみますから、直ぐには全否定できません。
 そんなと思われるかもしれませんが、ありそうです。高血圧の範疇や、メタボの定義などは典型的な例です。
 たくさんお金積まれてこれだけCM打ってくれりゃ、メディアもファイザーの不利益になるようなことは表立って報じられません。
 ワクチンのマイナス面を報道したら、「利益を逸した」とかいちゃもんつけられて裁判起こされる可能性もゼロではないので、どうしても忖度されます。
 モデルナの件もそうですけど、儲けようとしてか、人類のため医学の発展のためかは動機は不明でも、開発、研究に莫大なお金をかけて、元も取らないと企業はやっていけないと考えます。しかし、製薬会社が売上や利益を気にしなければならないことは本質的には危険なことです。
 製薬会社・医療に資本主義、新自由主義を持ち込むからこうなってしまうのです。
病人がたくさんいないと製薬会社は成り立たないのですから、病気が増え、対象の病人が増える方が業績は上がります。
 今回はさらに厄介なほど、悪質で健康人をも対象にしたワクチンビジネスで大成功しました。健康人をターゲットにするというのは対象が広がり人数も金額も莫大に増え、基準のモラルが下がるとより危険です、病気の人が対象なら薬やワクチンは投与する期間や量が限られます。健康な人に、何か月ごととか年に何回と慢性的に投与されるのとでは、意味合いは全く違います。
 医薬品を使うには医師や薬剤師、登録販売者などの説明がありそのリスクも納得して、最低限使用されます。しかし、日常的に使うとなると、食品やサプリ、化粧品、日用品と同じでルーティンで使うことになります。
 私も化粧品や健康食品を扱う業界にいましたが、サプリなどでよく健康被害が出ます。基礎疾患のある人の薬よりも一般人の日常使用の方が危険なのです。毎日摂取する食品や、毎日顔に塗る化粧品に蓄積されるとまずい物質が入って入れば、その被害は甚大です。医薬部外品の審査は医薬品以上に厳しくしないといけないのはこういう面を教わりました。
 
 【日本に過去あった最大の毒物混入中毒事件】
 私がまだ生まれる前の1955年、森永ヒ素ミルク中毒事件という戦後最悪ともいえる食料品への毒物混入による薬害の事件が発生しました。大変大きな被害と長く後遺症に苦しむ人が出た長い訴訟の案件で、本当に痛ましい事件でした。
 著名なお菓子も作る大手乳業メーカーの犯したこの案件も、当初は被害者が泣き寝入りさせられそうでしたが、ようやくヒ素混入を認めたのは私が小学生の1970年でした。私の親の世代には、森永の菓子も含め不買運動を続け、森永の提供番組すら見ないという方がよくおられました。
 徹底した草の根抗戦が、日本で空前絶後の最大規模の不買運動に繋がり最終的に企業にダメージを与えました。粘り強い裁判闘争、エビデンスの解明により、ついに森永は責任を認め、被害者救済に全面的に協力をすることを表明しました。
 今の広告業界や、経済も社会も、当時とは、体質もスケールも違います。しかし、審判を下すのは草の根であれ、一人の企業人や行政に関わる人であっても是々非々の判断をしないと、悪の根は絶てません。アスリートでも芸能人でも、技量や実力があって努力していようが、悪いスポンサーにつかれれれば、反社や怪しい宗教の広告塔と同じです。

専業主婦を復活させないと少子は止まらない?

 「おかあさんのように一生、家の中で家事やって、家族の世話焼いてるだけで終わりたくない‼」

 昔は、旧来の価値観を打破するために、自由と生き甲斐を求める女性は叫び、戦いました。でもそういう女性は異端児というか少数派でした。誰もが、お嫁に行き、家庭に入り、子供を産み、嫁ぎ先の親に従い面倒を見るのを強いられました。

 少子高齢化の社会を嘆き、子育ての支援が検討され、結婚しないとか子供を作りたくないという若い人の価値観を何とか変えないとという話も聞きます。
 高度経済成長で人口も増えた時代は、まだ冒頭に書いた、『女性は家庭を支える「専業主婦」になること』がメインストリームでした。
 男女の人権、雇用機会などの平等が進み、女性が男性とほぼ対等に学校を出て就職するのが当たり前の時代になり、社会の中での役割も価値観も昭和の終わりごろから、平成、令和とどんどん変わっていきました。
 産業構造や企業の業態、組織を歴史的に見ても、高度成長期には今は機械がやっていることを沢山の人が関わってやっていました。最近のAIやロボットの話ではありません。戦後すぐは、そこそこの機械が入ったとはいえ、多くの工場で肉体労働が当たり前で、日本の成長の主翼を担った繊維産業は女工といわれる女性の労働者に支えられていました。そして会社や、役所や金融機関などでも、多くの営業や事務も人員が必要であり、またそれを管理し、給与や査定などを支える総務や人事、管理職もまた多くの人員を擁しました。
 この頃の女性の就職は、注目されはしますが、多くは専業主婦までの腰掛であり、農業だけでは食い扶持の少ない家の娘が出稼ぎで働いている場合も含めて、女性の就労期間は男性に比べて圧倒的に短かったのです。

 育児休暇はおろか産前産後休暇以前に、結婚すればいわゆる寿退社が当たり前、しばらく共働きであってもさすがに子供ができれば肩を叩くのが、違法どころか総務人事の暗黙のマニュアルだった時代はありました。
 実際、私が若手社員だった頃、総務の先輩に聞いた話では、もちろん労働法が整備されだし、『結婚したら』『子供ができたら』でやめさせることはできないけど、周りに人の状況などで何とかプレッシャーを与え辞めさせるのが、人事の暗黙ルールだったと聞きました。

 男女雇用機会均等法が浸透して、女性は対等に就職していますが、検証すべき点は多くあり、極言すれば少子化の原因はそこにもあります。

 同等の能力があり、働く機会を求める人を、性別や年齢、人種などで差別してはいけないという法で決められた大原則はあります。
 しかし、逆説というかあまのじゃく的に言えば、同じ能力がある人なら、男性は子供を産むことはできないのです。だから就職できずに残った人が主婦や主夫かということになれば、男性に就労の機会を与え、女性には家庭に入って子供を産んでもらうとしないと、当たり前の考えとして少子化は止まらないと思えるのです。
 国が亡ぼうとするぐらいの少子化の時代に、大して働きたくもない人も大勢いる中で、女性に雇用機会や育児休業、その後リスキリングとか言っても救われませんし、解決になりません。一途に働きたい人を差別することはしなくとも、専業主婦が成り立ち子育てし良い環境を抜本的に造っていくことでしかこの国難は解決しません。
 

やめるストレス差し引いても害は害

 私はタバコアレルギーで嫌煙家です。お酒は嫌いではないですが、そう強くないので週に1~2回休前日に飲む程度です。分煙、禁煙、電子タバコの流れは大歓迎です。
 昔の居酒屋の煙環境を訴えたいぐらいです。お酒は年齢でますます弱った気もします。
 10~20年年上の社会の先輩たちは、よく呑み、食い、遊び倒し、遅延退職後には肝臓傷め、やっとゆったり年金ぐらしという頃に、パタリと倒れたという話も多かったです。
 昔は55歳定年だったので、やはり平均寿命は今より短かったのでしょう。
いろんな要素を鑑みると学術的にも統計的にもお酒もタバコも身体にいいことなどないそうです。
「ガンだけの統計では大差がない」とか、「やめることのストレスが」とか反論される方もいますが、健康で長生きするには害であって決して百薬の長ではないのです。
 お酒や嗜好品はもはや、人間関係の付き合いだけでなく、そのものの好みとの付き合いでしょう。かく言う私も昨日は少し、美味しいお酒を飲み過ぎました。