年齢を気にせず新しいことにチャレンジできるか

私は大学を卒業して、60歳の定年まで社名は変ったが基本同じ会社に37年間勤めました。同年代には、転職を経験した人もいれば、家業を継いだ方もおられます。

 公務員の方なども、地方自治体など転勤もなくずっと同じ職場でほぼ同じ仕事という方もかなりおられるでしょう。反面、不安定ながらいろいろ経験された方がおられ、どちらがいいとか悪いでは言えません。

 私は60の定年が迫る頃、現役引退的寂しさもありながらも、何か新しいことができそうなワクワク感はしました。

 もちろん、大きな会社の看板を背負っていたバイアスはあり、自分が60歳で新たに雇ってもらえるほど世間は甘くはないことは改めて思い知らされました。60歳に限らず、まだまだ日本の労働市場でキャリアチェンジ、転職は難しいものだとよく分かりました。

 安定した待遇と老後を考えると、公務員や大企業、自営でもしっかりした財務体質の跡取りとかが人生として良いのは分かります。

 そう思いつつ、半生はラッキーだったと感じながらもやはりどこかで大きな冒険もしたかったという思いは尽きません。

 若いときでさえ、体力はあっても実力があったわけではないので、アスリートにも俳優にも起業家にもなれたとは思えないです。それでも選択できなかった職業に就いてみたかったという思いは、体力のなくなった今でもふと心をよぎります。

 実際には、なかなか新たな大きなチャレンジは難しく、世間も相手にはしてくれないでしょうが、心に中にはいつもそういう心構えを持ち続けたいとは思います。

 

シニア向け男性化粧品

 昭和57年に化粧品を中心にした会社に就職しましたので、愛社精神というかまあノルマもありさんざん自社の化粧品を使い続けました。

 カネボウの男性化粧品というのは、もう今や細々となり、それでも根強くオールドヘビーユーザー向けに作り続けてはいます。男性化粧品の市場はいつの頃からある程度の若い年代向け中心に資生堂とマンダムに席捲されてしまいました。

 ギラギラした整髪料と、鼻にくるキツイの臭いのブランドはアイテムも含め老人向けという感じでしょうか。香取慎吾が10代の頃、若い世代だと思っていたSMAPも解散し、その下のV6が40代のアクティブエイジ向けという、ニベアメンのCMをやっているのですから、時の流れは早いと思います。

 花王もマンダムも40代、50代を狙った、育毛を含む男性化粧品を結構売り出しています。ある程度お金を持った世代で、対外的な仕事のためにもアクティブで若さに拘りたい心理にミートしています。

 現役をほぼ引退しているような昭和の世代でもやはり多少はルッキズムを気にするのでしょう。

 昭和のオヤジ世代にとっては、今年も訃報が心に沁みます。アントニオ猪木もとうとう亡くなりました。
 それでも生き続ける60代、70代も肌を若々しく保つ化粧品は、ぜいたく品か微妙なところです。

歪みがいっぱい #サンクコストバイアス

 バイアスという言葉は今は広くビジネスや社会で、陥りやすい「歪み」「先入観」「偏見」「かさ上げ」という意味で使われています。

 サンクコストバイアスとは、「ここまでかけたコストを無駄にしたくない。だから辞めずに続けよう。」と考えてしまうバイアスです。

 経済政策や行政の分野においてもそうです。政府は税金を投入し、法律で決めて進めた政策を後戻りさせるのは好きではありません。いろいろ取り繕い何とか恰好をつけようとします。これは民間企業や個人でもそうなります。また医療分野においては、患者がこれまでかけてきた治療から他の治療法に移る際に、「ここまでこの治療でやってきたのだから、このまま同じ治療を継続したい」と考えてしまうといった事例が発生しています。これだけ書くと、上の写真も見ると、現在の情勢からアレのことを言ってるのではと、ピンと来ますかね。

 私自身、今仕事をしている事務所は年金の業務ですので、その知識を上部組織である厚労省から得てやっています。ですからそこには自然と他人から見ればバイアスとされておかしくないスタンスになっていると思います。ネガティブな情報や意見も来ますが、本来それを説得したり、ご説明するのが仕事ですから、どうしても体制側の知識バイアスに陥ります。

 同年代の友人が、自治体のワクチン接種の差配業務の臨時職に付かれていますが、やはりそうなると上から情報や知識を貰い、指示に従い仕事をするわけですから、どうしても営業ノルマ的にワクチン接種を進めてしまっているような印象を受けます。

 テレビの情報、ネットの情報もさまざまであり、本人がバイアスに陥ると、もう全ての見方は変ってしまいます。

 まさにバイアスのかかった専門家、いわゆる御用学者ではない、適切な専門家による情報共有、意見が求められる事例です。

 増税とか防衛とか国家的な決定でも、本来公務員試験や司法試験などを受かったアタマの良い方がこのバイアスにかかってしまいます。自分の知識や経験の多さが、無知な者をもどかしく思うほど国家的使命感にも駆り立てられ進まれます。しかし組織の恩恵、得た知識による優越でかかる大きなバイアスだから厄介なのです。

 医療分野では、サンクコスト以外にも様々なバイアスがかかりやすいです。その要因としては、医師が持つ情報と患者が持つ情報に大きな差異があることや、医療における患者の精神的な負担なども考えられます。

 いろんな意見を聞き、毅然とした気持ちは持ちながらも、心の中に、謙虚さを持ち続けないと、傲慢で不遜な人間になってしまうものです。

 

カタールW杯の暗部は日本の未来?     大阪万博の後、札幌冬季五輪、愛知、長野、日本W杯と繰り返されるのか

 私もサッカーファンで、それはそれで、開催されてトップアスリートが競い合うのが見られるなら楽しもうという感じでワールドカップを見ています。あと4試合だけになりました。

 日本に敗れ屈辱の予選リーグ敗退を強いられたドイツチームが、試合前にグラウンド上で手で口をふさいで映った集合写真とともに、「人権問題は譲れない」意志を表現していました。インフラの建設中にインドやバングラデシュなどの外国人労働者およそ6500人が亡くなっています。死因の多くは50度以上にも及ぶ、猛暑の中での長時間労働に伴う水分不足など労働環境だそうです。また建設場の安全性も水準を下回っており、事故で亡くなる方も多かったのに、カタール政府は補償も見舞いもしていないということに対して人権蹂躙、人種差別との声が以前から上がっていたのです。

 今回の開催にあたってインフラに約200,000,000,000ドル(約30兆円)程かけているといいいます。また猛暑の中東で初開催、シーズンの途中という異例ずくめの時期など、カタールから多くのマネーがFIFAやロビー活動に流れているという説が強く、当然この規格外の投資と裏金を使う成金ぶり、片方で低賃金の外国人をこき使うスタンスに批判する声も多いということです。

 おりしも東京五輪の汚職が次々と今になって明るみに出ています。そんな中で札幌への2度目の五輪誘致が一部の反対はありながらも、しれっと進んでいます。

 東京五輪でも、コンパクトにやると言いながら莫大な税金が投入され、不正なお金も流れています。東北被災地の復興五輪との名目も有名無実化しました。

 今、物価高で、防衛費やコロナ関連などで増税や福祉の低減が噂される状況で、これ以上の国庫負担が増えるようなことが、官主体で一方的に進んでいいものでしょうか。マスコミは今回も裏で莫大な利益を得ている電通に仕切られて、W杯ヨイショ、ガンバレニッポン、五輪ヨイショ、スポーツは感動!世論を徹底的に盛り上げます。アスリートは頑張っているとの同情や共感も上手く拡散されます。

 一人一人のアスリートを見れば、冬季五輪もフィギュア、ジャンプ、スピードスケート、カーリング、どれにも応援したい人が私にもいます。しかし、地元有利とか未来のアスリートになる子供に生で見せられるとか言ったところで、是が非でも日本で開催せねばというものではありません。

 冬季の参加国は、サッカーのW杯予選や夏季の五輪よりはるかに少ないウインタースポーツのできる豊かな国に限られます。実は冬季の五輪は立候補都市がないぐらいで、札幌は遠まわしにIOCに押し付けられているようです。何とか今の汚職の件が下火になる来年か再来年に決まるそうです・

 日本は何もかも手を広げ、最新の競技場、宿泊施設などを作り、選手の環境から、放映権まで大金を払い、還元されるその利益は一部の権力者が受け取り、ツケは税金で市民に回るようになっています。ゼネコンや広告代理店、人材派遣会社が儲かれば、景気が良くなりまわりまわって市民が潤うかのようで、実は多くの市民には借金だけが残ります。スポーツの感動や勇気が貰えても、要らない人もいますし、外国で開催しても同じです。

 人口が260万人ほどで、カタール人は30万人しかいないという国の構図は、未来の日本の縮図なのでしょうか。一つの選ぶべき道なのでしょうか。
 そこまで外国人の移民を認めて、支配するのは日本の事情では少し無理があるかもしれません。しかし日本も人口が減り労働できる若者が減ると否応なく、インフラなどの労働にも外国人が今以上に条件付きで必要になるでしょう。

 日本の風俗、習慣、文化を保ち、もちろん治安は維持しながら移民、外国人労働者をどういう風に受け入れていくかは、これからの日本の大きな課題でしょう。
 人口が減り、コンパクトでも国民が幸せな国家を目指す選択肢も当然ありです。日本とサッカーで対戦した中米のコスタリカはそんな感じの小国です。北欧の福祉国家もいろんな面で参考にはなるでしょう。

お金 これからの財政にまつわる話

 非常に個人的な身の回りの財政的問題から話しますと、マンションに住んでいまして、その理事を担当していまして、大規模修繕工事は今年終了したのですがその後、今後の財政問題が持ち上がっております。

 持ち家として集合住宅を所有している方だけの問題で恐縮ではありますが、御多分にもれず、何もかもが物価高騰のあおりを受けています。住宅設備の場合、長期にわたり個別の需要の少ない資材や機器類を安定した価格で抑え込むことは難しいですし、人件費や運送費、加工なども当然に値上がりが予想されます。元々の財政構造とともに、次回以降の修繕積立金を値上げしないとやっていけないのではという問題が顕著になりました。

 こういう基礎知識や、今回の経験が無い方に、輪番で役員や理事を回すと判断も難しくなるところです。かと言って今の段階で、すべてを見切って値上げという判断をするかどうかは微妙なところです。

 国政で言うと、財務省寄りの安定財源確保の増税派と、歳出削減の値上げ先送り派に分かれそうです。

 実際に15年や20年30年先となると現役世代も次々と年金世代へと移行します。そんな中で月の固定費になるマンションの管理費、修繕積立金が上がることは、ベアの無い中で可処分所得が下がることになり、なかなか納得ある説明は難しくなると思われます。

 マンションの資産価値とすれば、汚れた外壁やエントランスでは問題ですし、10年も経過すると以前は問題なかった部分が喫緊の補修が必要な場合も出てきます。水道や電気、自動ドア、宅配ボックスなどの施設も次々保障や部品保有義務期間さえ過ぎて、更新時期を迎えます。安全安心のためと、最低限の稼働のためにお金がかかるものが増えるのと、確実に見積もり想定することは難しいものです。

 かといって、何が起こるか分からないので念のため高めにしておくでは納得されないでしょうし、問題が起こってから積み立てを上げても間に合わないケースが出てきます。

 防衛費をGDP2%にという議論も本当にそういう面で難しいところです。有事が迫っていたら、悠長なことは言ってられないことになるというのは保守の論客のおっしゃることで間違いはないのですが、同時に国を強くするには少子高齢化対策、人口減少に歯止めをかけないと国力は維持できません。総合的な意味では、歳出削減や議員報酬、公務員給与なども抑えるだけ抑えて、防衛と福祉のためにはこれだけの税が必要で財政をこうしたいという明確なビジョンがないと話は進みません。
 保守側は、「北朝鮮コワイよ、中国が台湾攻めたらどうします、ウクライナ見てみなさい」ともちろん言うことも分かりますが、一方でコロナ禍でストレスもたまり子育てもできない状態の社会構造です。子供を作って、保育から高等教育ぐらいまでそれほどお金がかからないイメージができなければ、結婚して子供を沢山作ろうという若者は増えないでしょう。

 戦後、苦労して今の日本の構造を作った60代、70代以上の政治家や官僚のパラダイムはもうここへ来て完全に変わらないといけないのです。 

 エコとかSDGsとか流行りで言われますが、コロナが収まると結局、金満なクリスマスや年末年始の消費が始まります。それはそれで経済を回すので必要ですが、財政の在り方はここへきてもっとベクトルを変えないと日本の未来は厳しいでしょう。

命の尊さに急にホロリとする

 私は冷めているのか、ミステリとか戦争の話を読んで何人も死んでも、それは身近に感じられない。医療ドラマでスーパードクターや熱血救命士が命を救う話を見ても、感動の安売りに思えてしまうことの方が多かったです。ウクライナの戦場を見ても、義憤はあっても対岸の火事という方も実は多いのではないか。

 命にかかわることは、やはり自分に身近にならないと実感が本当には沸かないものでしょう。毎年、喪中欠礼のハガキもいただきますが、そこにはそれぞれ友人知人たちの家族との別れの切なさがあったと、想像はされます。

 いざ自分が両親と別れ、欠礼ハガキも出し終えて喪中が明けると、何気ない日常は戻りますが、年末になってと届く喪中欠礼ハガキにふと自分のことを思い出します。

『ああ、この人も、このおうちも介護の見取りや、お葬式、相続、家の整理で大変やったのかな』と思えます。

 病気や、人の死、親とのやり取りを扱った何気なく見るドラマや映画に、うるっと涙腺が緩んでしまうときがあります。

 私は次男で家も別でしたから、そんなには親の面倒をみた訳ではないです。同年代も親はおろか本人も老いて「終活」という時代ですので、死は受け入れがたいほど不運で稀有なものでもなんでもありません。亡くなってしばらくは晩年の老いた親のイメージしか沸かず、それはそれで別れの悲しみを和らげましたが、ふと若い頃のウチの親もこんな年代で、いろいろ苦労したのかなと思うと、感謝や憐憫の気持ちが沸きます。

 自分にも周りにも、やはりそこに迫りくる「死」は怖いものであり、尊厳のあるものだと思います。元気なうちは何事にも悔いなく一生懸命やっとこうと思います。

命は重い、化学兵器の業【ごう】は深い  書評#大久野島からのバトン #毒ガスの島

 今年はロシアのウクライナ侵攻問題で、戦争がひと際現実的なイメージで日本人にも意識された年です。沖縄本土復帰から50年の今年、春に私は広島と瀬戸内の島を訪ねました。

 なかなか重い、読むのが辛いところもある本です。殺人事件や、ホラー、勇ましい戦争モノや難しい手術の医療モノは難なく読めるのに、ティーン向けに書かれたようなこの本の登場人物の運命に胃が重くなりました。

 戦後、修学旅行は復活したひと昔前の昭和の時期、山陽方面の定番は広島の原爆ドームと、竹原市沖に浮かぶ、大久野島の「毒ガス資料館」だったそうです。

 広島の平和公園と原爆資料館はリニュアルされ、今も観光客や修学旅行生で賑わっていますが、大久野島は「国民休暇村」と長閑なうさぎの島としてはそれなりの人気ではありますが、毒ガス資料館への来訪者はもうそれほど多くはありません。

 日本にとって、原爆を落とされた被害の国であることは、核問題もありいつまでもバトンが継がれていますが、加害国として毒ガスを作り、その製造者も病に苦しみ、実際に中国で少なくない犠牲者をだしていたことはあまり語られません。

 南京大虐殺などをオーバーに反省し、軍国日本が一方的にアジアで覇権を狙い、残虐の限りを尽くしたという自虐史的な歴史観は私も好きではありません。どんな戦争にも100%の悪も正義もなく、お互いが正義の聖戦と信じて戦ったのです。しかし、自虐史観を全否定した愛国主義、右翼が日本の戦争で何があり、加害は何だったかさえも全部もみ消しするのはいけません。この本が自虐史観の左翼に利用されるのも、軍国復活の右翼に否定されるのも良くありません。ただ、バトンが渡るように伝える、ありのまま語られるようにするのが大人の役目でしょう。

 「戦争が無い時代に生まれてよかった」これは戦後、令和までの子供や大人全てのホンネでしょう。遠くの国で、戦争があり死者が出ても、まだ対岸の火事です。

 ここから、戦争に巻き込まれないという気持ちは、平和を貫くか、抑止力と言われる兵力を強大にして戦争に負けないようにするか、感じ方も考えも別れます。

 戦前戦中でも、誰もが自らやその愛する家族が戦地に赴くのイヤだったようで、兵器の工場でお国のために働けて、兵役が逃れられるならと、就職試験に受かった人も家族も歓び、大久野島には人が集まって秘密裡に国際法違反の毒ガス製造は行われていました。製造者にも被害が出て、兵役に行った方がマシだったような生き地獄も描かれます。

 現代の戦争は垢抜けたドローンやサイバーテロで、敵基地攻撃能力を身に付ければ、兵役なくとも楽に勝てる、お金さえ出せばいいと考える人もいます。戦争がそんなに甘くないことは、ウクライナを見ればわかるでしょう。戦争は市民を巻き込み、生命、財産を奪い、大変な不自由を強いられます。

 大久野島では今は野ウサギが何事もなかったように、元気にインスタ映えする愛らしい姿跳びまわっています。やがて生き証人は絶え、人もウサギも70年前、生き地獄だったことは、資料館とこういった書籍で垣間見て伝えていくしかありません。

 この可愛いウサギたちは毒ガスの動物実験から逃れたものではありません。戦後持ち込まれたものと言われていますが、毒ガスの実験動物の子孫たちと、偽って伝えた方がいいのかもしれません。

サッカーを心から楽しむ

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 日本の応援で寝不足の方も多いと思いますが、クライマックスはこれからです。サッカーのワールドカップ、日本は惜しくも敗退しましたが、ベスト8以降の強豪国の対決はワクワクします。外国同士のサッカーのどこが面白いのかと思われる方が、スポーツのキャスターの方にもおられました。スポーツを楽しんでみるということができない方が特に日本人には多いようです。

 もちろん、祖国を必死で応援したり、地元のチームを無我夢中で追いかけ、声を張り上げることは、私もしますし、否定はしません。

 でも、勝つか負けるかに必死になり過ぎて、プロの技とは違うレベルでの姑息な試合は好きではありません。ゲームは楽しんで応援できるものでありたいのです。今回アメリカとイランの代表の試合もありましたが、あまりラフにならずいい試合でした。

 ロシアやウクライナは今回出場していませんが、早く国際舞台に戻ってきて、平和にプレイできる日が来て欲しいです。4年も経つ次回のワールドカップには、参加して欲しいところです。

 サッカーのベスト8、優勝を争うには、日本はまだまだという感じでした。PK戦での負けなので、まかり間違えば勝ってベスト8はあり得たでしょうが、ブラジルには完敗しそうな実力差を感じます。ドイツやスペインにも、何度も勝てる幸運はないでしょうし、イングランドやフランス、アルゼンチン、オランダあたりにもまだ大きな差があります。

 日本が日本がという前に、やはりこれらのチームが戦う方が面白いです。

 私は野球でも大谷やダルビッシュなど日本人メジャーリーガーが引っ込んだ試合もけっこう面白く見ています。

 日本のサッカーには、欧州の一流リーグで野球でいうところの大谷クラスのエース級はいません。メッシやロナウド、ネイマール、エムパべ級のスターができてこそ、日本のサッカーはワンランクアップします。三苫や堂安、久保、浅野クラスは「村神様」というほど見出しにならいません。あと4年で飛躍できるでしょうか、それとももう少し次の世代を待たないといけないのでしょうか。

 野球文化は根強い日本ですが、底辺の裾野は広く、サッカー人口は強国なみですので、今後に期待しつつ、4年に一度の大会の凄さをまずは目に焼き付けましょう。

北の国はもう真冬、12月もはや7日 二十四節気 大雪

二十四節気の大雪(たいかん)が12月7日、今日です。日本列島は南北に長いので、気候にも差があります。北海道はもうまさに大雪(おおゆき)の映像も届くくらいでしたし、首都圏は日中10度を下回る日もありましたが初雪はまだのようです。

 衣類から暖房器具、冬タイヤなど真冬の備えはそろそろ必要でしょう。

 私的には今年は夏に体調を崩したので、冬場にも注意しています。温度自体には人間の身体はそこそこ慣れるものですが、食事や睡眠、適度な運動、ストレスのケアなどに気を使わないと、寒さに負けてウイルスに罹患したり弱いところが病変したりしてしまうのです。

 ワールドカップサッカーは盛り上がりまして、感動や勇気をもらった人も多いのですが、寝不足には注意しないといけません。

12月というと「今年の〇〇」とか振り返りだして、もう気忙しいのですが、あと20日余りの間に、大きな事故や大病を起こしたら振り返った意味すらありません。

 今年一年の活動の集大成であるという意識は必要ですし、追い込みも課題分析、反省もしながらも目の前のことをしっかりこなすことは必要です。

政治家 増税の前に約束したことが忘れられている

 報道は政治や国際情勢、コロナよりもサッカーのワールドカップ一色でしたが、いろいろ需要なことが国会でも進んでいました。そんな中、岸田総理へは厳しい反応が多いようです。

 組織の上、トップに立つ人間を下の人間や脇にいる人間が評価するのは難しいものです。大きな会社のトップや部門長などでも、評価する側から見えている以外にいろんな方面での仕事をしてるからです。

 下々の一般社員には朝礼や会議などの訓示、説話などしか実際に目に触れる時が無いです。自ずと外見やそこでの話の分かりやすさや活舌などが大きなポイントになったりします。政治家で言うと「アジ演説が上手い、有権者のハートをつかみやすい話法」などが重要で、ヒットラーなどがその例にもなります。アメリカの大統領にでもなろうかという政治家には、演説のライターも専門が沢山います。

 もちろん自分の本当の政策に中身が無ければ、どんなに話がうまく、外見が良くてもボロが出ます。小泉総理は「自民党をぶっ壊す」「郵政民営化」とワンイッシュで人気を得て乗り切りましたが、息子の進次郎はイケメンながらボロが出て総理候補からは大きく後退しました。

 総理大臣の評価で言うと、最近の安倍さんや菅さんも一概には難しいです。間違いなく日本のため任期期間は大変な仕事をされたのは分かります。日本の総理大臣がやるべき課題は物凄く多いですし、文句ばかり言う野党や評論家の凡人ではとてもできない偉業ともいえるほどの多くの仕事をこなされたはずです。

 それでも、今の経済状況をみると、安倍政治以降、どうも効果的な国内政治への対策が打たれていないのです。

 残念ながら、トップは問題が起こるとか、不祥事があるといい仕事を苦労して積み上げても、一気に評価は下がります。その時のトップの対応も、細かく見られます。せっかく積み上げ、工夫したイメージも一気に、悪いイメージに塗り替えられます。優秀な人、権力を持ち、報酬も多い方なのですから、失敗が許されないのは当然のことかもしれません。

 コロナへの対応。北朝鮮への対峙、ウクライナ問題への国際協調、防衛費はじめ財政の問題、少子高齢化、円安や物価高、そして統一教会問題。岸田さんの対応への評価はなかなか上がって来ません。

 これだけ賃金の上がらない中、物価が上がり出すと庶民の不満も爆発します。普段なら看過されるスキャンダルも大きく騒がれ致命傷になるほどになります。

 これを機会にもっと、国会は改革すれば良いのでしょうが、今総理大臣一人にそんな権限はなく憎まれてそんなことをやる気力がないのでしょうか。あれだけ長く続けた安倍政権でさえ、評価の分かれるアベノミクスと外交はそこそこしても、一番やりたかった憲法改正や、総理前は手掛けていた北朝鮮拉致問題の解決すら程遠いまま、最後の方はスキャンダルも増えたまま総理を辞められ、故人となられました。バランス感覚のいる調整の大変なのが総理大臣の一面です。

 自民党や与党、改憲勢力は多数を占めながら、大きな改革はできないままです。国会議員の定数を減らそう、歳費を下げようと、民主党政権時代も2割削減とマニュフェストで約束していました。結局、見世物のような行政改革だけでした。野田政権から安倍自民党の解散への約束事でもありましたが、国会議員削減、税と社会保障の一体改革も全然進みません。10増10減でさえ選挙区調整で大モメの与党で、議員そのもの大幅削減など期待は持てないのです。民間の工場や会社は場合によっては大幅な削減を食いますが、議員や公務員は減らない上、余禄が多そうで、辞めてからも天下りもあります。

 こんな政治家や官僚を見ていて、増税する、防衛費のため、コロナのためと言ってもさすがに、自分たちに身を切る覚悟がかけらもないのではさすがに冷めます。森保ジャパンに「勇気をもらった政治のトップの起死回生に期待します。