三淵嘉子 日本初の女性判事だった方

 2024(令和6)年4月から放送が始まるNHK連続テレビ小説(いわゆる朝ドラ)の主人公のモデルとして、明治大学女子部出身で、女性として初めて弁護士・判事・裁判所所長となった《三淵嘉子》を採用することに決定したと報じられました(ドラマの名称は「虎に翼」、主演女優は伊藤沙莉さん)
 NHKに関しては公金で運営しながら裏で動くドロドロしたものが多く、あまり見ないことにしていましたが、今回は法曹界の日本初の女性判事、簡易裁判所所長ということで、どうしようかと思っています。
 戦前戦中から、戦後を生き抜いた女性の生涯を半年にわたり描いていくドラマが多いですが。経営者、医者、芸術家、技術者、雑誌記者などから、最近はアニメーター、気象予報士と現代らしい女性の職業の主人公も登場しはじめた中で、女性初の弁護士の一人で判事にもなられた三淵嘉子さん。こういった魁のかたが、「なんで女のくせに、」と言われながら、新しい職業の可能性を拓いて行ったからこそ、戦後から今の女性活躍の時代があるのだと思います。
 私の民間企業時代も女性の幹部や上司が増え、現在の職場周りも女性裁判官、女性弁護士、女性書記官がほぼ男性と拮抗した数です。
 私が就職した昭和57年では、まだ4年制大卒総合職での女性割合は低く、かつ数年以内に結婚で退職される女性が多かった時代でした。ほどなく、法改正、社会の変化、さまざまな流れで女性が働ける時代、女性には無理ではと思われる職業が減っていきました。
 伊藤沙莉さんの演技とともに、三淵嘉子さんの挑戦がどう描かれるか少し楽しみです。

冤罪はあってはいけないが、

 国会議員が逮捕されたり、事務所を捜索されたりと、押し詰まった年末に政治とカネへの不信がつのるところです。
 仕事納めの官公庁が多かった昨日ですが、事件の当事者には年末年始もありません。
 検察の動きに快哉を叫ぶ人もおれば、時に冤罪や自殺者までも産んだこともあります。厚労省の村木局長(当時)の冤罪事件はじめ、特捜部の逮捕された政治家、官僚、経営者などにも「なぜ、その人だけ?」というストーリーが描かれ、マスコミが煽っての案件もありました。
 検察、警察の暴走はあってはならないことです。「正義」とか「公正」とか叫びながら、非人道的なやり方はもちろん許されないことですし、ネットやマスコミがイメージで決めつけて袋叩きにすることなどはあってはいけません。
 しかしまた、法治国家に検察や警察の力が必要なのも事実だと、仕事がら痛感します。悪い奴、矯正しないと分からない連中、理不尽で凶悪な輩、狡猾で私服を肥やす人間はいます。
「正義」はギリギリのところで絶対に必要であり、闇落ちしていけないのです。
 特撮ヒーローものや少年ジャンプの世界だけではなく、常に心の中に「正義」がないといけません。

4年で変わった大阪、日本

 2019年6月、令和の元年に私は退職して1カ月目で職探しの面接のため大阪を訪れました。
5年間いた大阪の本町、立売堀界隈でしたがこの時は2年ぶりぐらいの訪問でした。午前中に受けた京都での面接の結果も気になり、トンボ帰りに近い形でしたが、心斎橋から本町までは歩き、懐かしい船場センタービルなどを訪れました。
 この時、G20の大阪サミットで御堂筋に全くクルマが走っていない異様な光景を味わいました。
 営業車を停めていたビル駐車場の受付のキレイなお姉さんが、覚えていてくれていて嬉しかった思い出があります。ひな祭りやハロウイン、クリスマスなどにコスプレをして顧客を楽しませてくれました。当時すでに、100円パークキングなどのセルフ発券が当たり前の時代にいつまでも、人の発券しかもキレイなお姉さんなのがとても不思議なぐらいでした。
 先日、元職場の近くのオリックス劇場での観劇の帰りに4年ぶりに同じビルを訪ねると食堂街はほとんどが閉店、カフェと寿司屋だけが残っていて、中華や、カレー、蕎麦屋など行きつけは無くなっていました。コロナ禍の猛威なのか、活気のありそうなウメキタなどに比べ、下町は厳しかったのでしょうか。
 そして、一番楽しみにしていたお姉さんのいた駐車場は、残念なことに味気ないセルフ発券となっていました。営業車を都市部の拠点で駐車場契約することも止め、テレワークも進めていたので、おそらくこのビルとの契約もとうに終わっていたでしょうが、残念dす。
 10年前も4年前も変わらないものもあれば、大きく変わっているものもあります。
 4年前のG20が行われた時は、まだコロナ前であり、もちろんウクライナ前であって、米大統領はトランプ、日本は故安倍晋三さんで、ロシアのプーチンも中国の習近平も一同にインテックス大阪に集まっていたのです。
 今では亡くなった安倍さんは別にして彼らが揃うことは難しい国際情勢にたった3年ほどの間で変わっています。世界の多くの国で、政権が変わったり、大きなインフレがあったり、革命や体制、政策が変わっている国や地域が、この5~10年にありました。それに比べれば日本は変わらない、伝統なのかジリ貧なのかでしょうか。
 大阪の街は、新入社員でも勤め、港や川があり都市高速と地下鉄が縦横に走り、活気があって好きな場所も多いですし、懐かしさと親しみがあります。
 万博をめぐる情勢も複雑ですが、今年は理屈ぬきのアレが起こった関西です。関西が起爆になって、日本が元気になり、世界の平和と安定につながるイベントに変わることを期待します。

アフターコロナで浮き彫りにされた「失われた30年」

 コロナ禍で経済どころではなく、生命の危険とパニックになっていた時期も過ぎ、昨年あたりからだいぶ世界経済が回復して、今年は新型コロナがようやく5類にされ、外出や仕事、スポーツ観戦などもコロナ前に戻った感じです。
 旅行や運輸業界はじめいくつかの会社は過去最高の業績や、最大級の前年比というところもあります。
 それでも、コロナ、ウクライナ、ガザと世界で大きな問題が発生した対応、その後の回復を含め、気づけば日本は随分と国際的地位を落としいます。ジャパンアズナンバー1と言われたのは、ほぼ全ての面で遠い昔になりました。
 経済、政治、行政の一つ一つを取ってみても、課題が山積みです。
 バブル崩壊後「失われた30年」とも言われ、専門家は日本が凋落した要因を分析し、復活をするにはという議論も随所で見られてはいますが、完全にこれが原因で、対策はこれだとは出てきていません。小泉総理や竹中平蔵の行った新自由主義の経済政策が悪かったとかいったところで、それを完全に予見してノーと反対して、正しい選択を示していた人などいないですし、アナリストは後付けで結果論めいたものを言うだけで、それも分析としてもたいしたものではありません。ちゃんと、この時点でこう言っていた証拠でも示せば、少しはアナリストの評価は上がるのですが、皆無です。
 あるいは分かっていても、さまざまな事情で表に出なかったのかしれません。それでも同じことです。
 停滞し低迷し海外に水を開けられた日本、淀み切って新陳代謝の少ない企業群にしてしまった責任、それは各時代、各ポジションのリーダー、ジャーナリスト、アナリスト、学者そしてそれぞれの現場にもあります。
 コロナ禍の緊急事態でも、厚生労働省、医師会、医薬品メーカー、医療機関、自治体、そして給付などを行う行政機関、請負業者、テレビで煽る専門家も含め、必死に頑張った現場に比べ、何とも無能な姿、醜い体質をさらしました。その後も不正給付の摘発も含め、無駄な支出も多くあれば、支援や景気対策もその場限りで結局は役立つどころか、コロナで失われなかった命を、経済で失ってしまうこともありました。
 真面目なお医者さん、看護師さんが沢山おられ、少ない給料で休みもなく頑張っておられた反面、同じ医者でも、利権を貪ったワルがゴロゴロいました。
 ワクチンメーカーに喜々と支払ったお金の流れも、この時期に行われたオリンピック同様にあとから膿が出てくるのは確実と言われます。
 その時は、どんなにお金をはたいてもワクチンが必要とされていたというのは、やりかけたオリンピックをアスリートのためと、何とでもやり通そうとしたのと同じで、どこかで検証が必要でした。
 その時、その場、世論や権力者、マスコミの大きな流れに逆らうのは勇気も要りますし、かなり難易度の高い課題です。
 それでも、その一つ一つの選択を誤り続けたのが「失われた30年」です。
 私は、この日本の凋落の本当の原因を、外国の陰謀とか富裕層の搾取のような分かりやすい「悪」が存在するのではなく、複合的で難解ではありますが、結局はその選択の場面や、反撃したり、撤退やチャレンジの機会を逃す、リーダーの懈怠であり、参謀の分析と戦略の不足ではないかと思います。
 富裕層や既得権者が策略的に利権を守り、貧困層は権利を主張する。そんな中で中間層の多くの国民はだまされてきました。選択が難しくて絶対不可能なものばかりではなかったはずです。政治家、立法の懈怠であり、国民も勉強不足でごまかされ続けたのです。
 結局は経済が停滞し少子高齢化や格差などが、どうしようもなく大きな問題となってきました。それでも日本の上昇に期待はかかります。
 どこかにヒントがあり、解決の手段はあるはずです。頭の良い人も沢山いて、AIも考えてくれる。あきらめてはいけない。それでも日本は復活するはずです。
 
 

25年ぐらい先を見るリーダーがいないと – 天使の星座 (seizafpkotodama.com)

結婚40年もおれば離婚4回も 

 卒業アルバムや古い年賀状をたまたま見ていたら、高校時代の友人と大学卒業後すぐ結婚してるのを発見し、彼らは最近のSNSでも仲睦まじい姿を見せています。実に40年という月日に驚きます。最近、私の職場やらいろんな場面で結婚は「忍耐」とか「我慢」で「運」だとも教訓か哲学みたいな話をしたこともあります。
 公務の仕事をしていると、暴力だとか不幸な結婚をしている方の相談や申し立ての手続きもよくします。中には、20代で離婚3回、次が4回目という人もいます。ある意味ではうらやましいかもしれません。人生の価値観が違うのかとしか思えないです。
 もちろん、独身を貫く人も増えだし、選択は自由でいろいろだとつくずく思います。まあ、一般的にはお金もかかるので少し我慢しないと、結婚も仕事もある程度長く続けた方がと思います。

25年ぐらい先を見るリーダーがいないと

 今年は最後になってもダイハツの不正が発覚し、BIGモーターズの保険会社まで巻き込んだ不祥事もあり、社会、芸能、政治にも情けないような話が多いです。
 私も企業で営業をやっていた頃、年末は最後まで売上を追われていました、結局、昭和からの多くの日本の企業は、目の前の数字しか見えない人が増えるとダメになります。
 サステナビリティの時代と言われながら、今だけの業績、幹部の延命、損益計算書の瞬間を気にし過ぎることは粉飾につながるのは過去多くの企業の不祥事で明らかになりました。
 人間は弱い者ですし、目先にとらわれます。それでも知識があれば、今だけの評価が会社の全てではないことがわかるはずです。1年先のことや25年先のことよりも目の前の事しか見えないし、目の前で言われた人の意見に左右されます。しかし、たとえば簿記をやっていた人は同じ10万円を払っても一晩で終わってしまう20年以上事務所の備品になり、減価償却されていくものがあることがわかります。伝統や社員の規律が正しく、良い技術を持ち、商品やサービスを提供できる力があると判断されれば、個人の事故やコロナ禍など一過性の評価企業価値は下がらないのです。そして今は、その企業が将来をどう考えてプランニングしているかが、付加的価値として見られています。
 よく期末操作とか、期ヅレとかの不正や粉飾が問題になりますが、企業活動の実力をかかるためには、その実力、営業力や財務体質は瞬間ではなく流れ全体を見ないといけないことは明白です。
 さらにいうと、その活動が25年経ったとして、その間にどのくらい収益を上げ続けられるかなのです。もちろん目の前で現場の人間も頑張るかどうかにかかってきますが、そこは加味しても現場のその時任せではなく、ストーリーとして事業のライフサイクルがどのようなものが描けるかです。
 それが理解され、使命感があれば、目の前の損得は次への課題となって見え、頬かむりごまかしても意味がないことが分かります。現場は描いたデザイン通りやることは必要ですが、全体としては中長期の目標のために邁進していれば良いことです。

 比較的目先の利益を気にしなくてもいいのが行政なのですが、最近は妙に世論や市民の目を気にして、政治家は選挙を気にするため、結局漫然と年度内しか見えず、25年先を見据えられるリーダーがいなくなっています。首相、閣僚、政府与党こそ、25年ぐらい先の国家観を語れないといけないのに、今の国会答弁対策、近くの選挙戦しか見えないのでは、政治家失格です。
 人間にはタイプがあって、過去を振り返り分析する者、今現在の目の前の活動に集中する者、未来を想像しあれこれ考える者がいるそうで、それぞれが必要でもあり、相互のリスペクトも必要です。
 目の前のことだけにガツガツした人間が上に立つと、パワハラや裏ガネ、不正粉飾横行となり、未来が見えなくなります。
 一番情けないのが、30年前世界一だった日本、その国の総理大臣、与党、官僚、多くの企業のリーダーがこの30年、目の前しか見えなかったことです。

路面電車ブーム が再燃 交通網の再構築を

 「ひろでん」の愛称と被曝電車のドラマなどでも知られる広島市内を走る路面電車中心の広島電鉄、1978年に京都市電が廃止となったのを受け、京都市交通局から購入されたものが今も走り続けています。屋根の両サイドに取り付けられた前照灯と車体中央のオレンジのラインが特徴です。各車両に京都にちなんだ愛称を募集した名前がついています。
 広島には若手社員の頃赴任して住んだことがありますが、その当時でもレトロ感があった車両が40年以上走り続けているのには驚きます。川が多く、砂地で地下鉄の建設が難しいとは言え、JRや新交通もある中、広島市内はひろでんで回れる場所が多く、都市交通として便利に機能しています。
 広島や岡山、富山、函館、熊本、鹿児島、長崎と市内交通の多くを路面電車が占めている都市は多く、宇都宮でLRTができるなど、昨今路面電車は見直されています。
 京都や神戸などでは早々に廃止されましたが、地下鉄の業績は芳しくなく、路面電車を残しておいても良かったのではと思われるところもあります。昨今は消防上の退避経路や、バリアフリー化でエレベーターは必須となり、建設コストが高くなるわりには、アップダウンがお年寄りには結局敬遠されています。新規で軌道を作るにも踏み切りの規制があったりで、路面電車を残しておけば、施設もそのまま親しみもあり利用されやすいエコな乗り物だったのです。モータリゼーションの時代と考え急いで市内電車を廃止したところは、時代の先が読めなかった典型です。
 今後もインバウンド観光、病院やモールと住宅地を結ぶ基幹の交通として、地域のいわゆるコミュニティバスやライドシェアと連動したLRTやトロリーバス、BRTなどを使う街は増えるかもしれません。ライドシェアの法改正、高齢者の運転免許返納などだけでなく、地域全体、しいては日本全体の交通をきめ細かく実態を見て再構築することが必要です。
 

大河ドラマ終了で1年の終わりを感じる寂寥

 テレビ離れの時代と言われながらも、元祖テレビっ子でドラマウォッチャーでした。NHKも内情が暴露されいろいろ問題を知ると最近はかなり嫌いになりましたが大河ドラマに関しては1年もかけて歴史上の人物を追うという、民放ではできないことをやり続けてますので、何となく1年見続けました。子供や若者時代から描かれた英傑が、年末に来ると老境を迎えるのが何とも時の移ろいを感じ寂寥、年の瀬を覚えます。

 ドラマとして良くできている内容、優れた役者、伸び盛りで旬を迎える人や、年齢を重ね上手くなるベテラン俳優もおられます。思い入れをしたドラマが終わると民放の1クール10回3か月ほどは短いようにやはり思います。
 ジャニーズ問題が大きく騒がれた年で、今年は大河ドラマの主役家康も、準主役の信長もジャニーズ系でした、どうする家康というかどうしようかとNHKも悩んだでしょう。ジャニーズ系がしぼむとイケメン枠でいうと、今回本多忠勝を好演した山田裕貴くんのような戦隊ヒーローやライダーなどの特撮系の俳優、舞台やミュージカル系からもチャンスは広がるでしょう。
 毎クールのように顔を出す売れっ子も男女を問わずおられます。役作りも大変でしょうが、見る方の感情移入がファンでさえついて行けないこともあります。
 昔に比べて、人気俳優をNHKが1年以上も抑えきるのは主役以外は無理になりました。朝ドラでさえ半年とはいえ、すでに売れっ子を主演にしますから、サブの登場人物枠を増やし主演クラスの負担を考えている感じがミエミエです。
 そこらあたりで、脚本に制限がかかり面白さが半減になります。
 時代モノも、視点が散漫になり、家康の物語でも、織田や武田、真田、豊臣の家の中で時間を割きます架空の人物もご都合で登場します。いくら大河、歴史とはいえその時代だから活躍した人物を総花で出せば、人物の掘り下げは浅くなります。
 オールスターキャストとなり勝ちなとくに戦国の大河ドラマですが、武将もお姫様も多いの、今度は誰がとか楽しみにもします。 
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 リアルさや重厚さはなくなっていますが、そもそも言葉など昔のことや方言など再現もできないし誰にもわかりません。NHKらしい採算度外の豪華なキャストを組めるところが、民放と違う楽しみではあります。
 季節感や、人間の成長が味わえるので、来年以降見るかは迷うところです。
 民放も個性的なドラマも増えました。その10月に始まったクールの民放のドラマも次々と終わり、年末年始の長時間のうんざりする特番の時期を迎えると、何だかんだあった1年が終わるのを感じます。
 仕事も日常も我々はそれぞれ12月31日まで続くのです。心身を整え乗り切りたいです
 

1円でもダメ、1日遅れてもダメなのが法律

 自民党の派閥パーティーで届出をしなかった議員に対しては厳罰に処するべきと考えています。
 税金のかからないお金を安易に扱い、政治資金規正法を遵守しなかった議員は法律により罰を受けるのは当然の責務だと思います。なかんずく、国会議員の中に、あるいは捜査側や報道する側にも、金額が小さいと大丈夫とか後で修正すれば良いという甘い間違った考えがあるのは残念です。
 刑法38条 3項、法律を知らなくても罪に問われる様な事をした時に、罰せられるのは「不知はこれを罰す」という原則があるからです。
 知らないからという理由で罪を逃れる事は出来ない、ということです。
 また天下国家を考える政治家が、そんな些細な金銭のやり取りは秘書や事務方に任せているというのも間違いです。天下国家を担う役職だからこそ犯罪は赦されないのです。罪は罪として、罰せられ反省をしてその後に禊を受けて復帰しないと、誰も法を守らなくなり、法治国家ではなくなります。

ワンダラーアウト!という意味 – 天使の星座 (seizafpkotodama.com)

スポーツ界不祥事の処分と、感情煽る報道への疑問

 度重なる不祥事があり、大麻のも問題で伝統ある日大のアメフト部が廃部と決定したようです。
 大学スポーツということで、処分の是非、軽重にさまざま意見もあり、テレビなどで関係者や街の声も報道されていました。
 私の大学でも不祥事があり片方で、大学特権的なアスリート優遇を廃止して伝統があろうと廃部せよという声と、スポーツに一途に賭けた若者からはく奪するのは酷だし大学の名前を売るのにずっと貢献してきたのにという意見も出ます。
 高校野球はもっと厳しく、部員はもちろんよく選手でない生徒が起こした問題でさえ連帯責任で大会辞退という場合もあります。
 大麻の温床で何人もの選手となると指導者や寮の環境にも相当の問題があり、部の処分は仕方ない面もあります。
 廃部は、嘆願により復活の可能性はありますが、当面卒業するまでの現役生徒は居場所を失い厳しい処分ではあります。
 同じアスリートでもプロは、不倫や暴力、イジメの基準が厳しくなった昨今とは言え、球団自体が自粛することはなく、大物選手はなんだかんだ救う球団が出て、シャーシャーと高給で復帰しています。開き直って黙殺してほとぼりが冷めるのを待つ球団もあります。
 大学だから、プロだから、高校だからと、どうも一貫性がないのが気になります。都度、その大学や球団の関係者が利害がらみで相談していては、そこでも時と場所により運不運の結果が生まれます。大物だから再契約できて、中堅以下だと路頭に迷うというのは何か違う気がします。
 大学の処分で言うと、今回の日大の廃部は潔いと思います。もちろん、学生への同情という感情論は抜きにです。教育としても、学生全体でこの問題を考える機会でいいのではと思います。
 プロスポーツも個人への処分もですが、ファンの暴言なども含めて、チーム、団体として協会で決め無観客などもっと厳しい処分があってもいいと思います。コロナでかなりの期間無観客で成り立っていたのですから少々の期間自粛しても潰れはしないのです。その代わり、暴力や麻薬、イジメや飲酒運転などがいけないことを徹底して社会へ訴える機会になれば良いことです。
 個人への処分を楽しんだり同情したりするのが一般ファンの楽しみになってはいけないのです。ファンに個人を罰する権限などないのです。特に大学生、高校生に至ってはマスコミにも処分の権限はないので、報道で煽ること自体が問題です。
 人気のある高校や大学のスポーツが異常なまでに集客がありお金に繋がり、トラブルがあれば守る力のない親や教員しかいない彼らに、正義感ぶって同情を煽る感情論で語るのは間違いです。
 日本のプロスポーツは、野球だと巨人中心とかで儲かるとこだけが多く設けて分配や還元の考えがなく、チーム数が少ない寡占体制で新規参入が難しいので、経営やコミッショナー、機構や協会は飾り物で管理はなれ合いの体質です。
 一部の既得権者が利権をあさるため、結局組織が大きくならないのではと思います。
 罪には毅然と罰を課して、利益は分配して苦しいところを助けて組織全体が大きくならないと、グローバル化は無理です。
 日本のスポーツ界は、MLBやプレミアなど欧米のメジャースポーツにいつの間にか、大きく水を開けられました。この差が開いたのも、既得権の集団、何かこういう大学や高校からのスポーツの在り方を含めて、澱んだものが一因ではとさえ思います。