戦争と平和 6 北方領土問題

キエフ地下鉄

北方領土問題は今回のロシアのウクライナ問題での制裁により、ロシア側から非友好国と認定されたため交渉は打ち切りになる模様です。
 想定はされていたとはいえ、日本とは遠く離れた欧州東部での諍いのために長年続いていた旧島民の墓参がなくなり、平和条約交渉が打ち切られるのは残念至極です。
 前にも書きましたがサケマスなどの漁業交渉は関係者の死活問題であり、ロシアの非難とは別に交渉が必要な課題のはずです。
 そして長年関係者が腐心してきた北方領土交渉はもう完全に断ち切られ糸口さえつかめなくなることは国益を損することには違いない。
 領土は国の根幹であり、これが戻らないということは大きな意味を持ちます。あんなロシアとテーブルには乗れない。いい顔をして経済支援だけ話していつも裏切られるから清々するというのは間違いです。どんな厳しい交渉でも続けて成果を出す道が国益でした。
「アメリカ側につきロシアが崩壊すれば、戦前の千島、樺太まで領土を割譲してもらえる」「今ロシアを毅然と叩いてアメリカ側についておかないと、中国が台湾から尖閣を奪う時に助けてもらえない」
「人道上、国際法上ロシアの行動は許せない」
 この三つが北方領土の国益を上回ると考えられて、ロシア非難に回る方が多いと思われます。正直、一つ目は完全にお花畑以上の楽観ですし、もよくわからないロジックでの行動予想で、その通りに中国やアメリカが動くのかわかりませんし、その場面ごとに交渉していくものです。三つ目は、ロシア側は信じるかどうかは別にして違法な攻撃はしていないというスタンスです。それなら他の国でもテロなど無差別な攻撃はありましたし、日本は世界の裁判所ではありません。
 北方領土交渉は幾度か前進したことがあります。ソ連崩壊後二度ほど経済協力と2島返還直前までいっています。そこで止まったのは日本側難癖をつけ邪魔をしたアメリカが原因です。4島一括に拘る論理も親米の右寄り世論がハードルを極端に上げ交渉を難しくしました。
 平和のための返還交渉なのでその後にアメリカの基地を作る可能性等ないと明言すればすむことのようですが、日米地位協定はじめアメリカのご機嫌伺いがないと何もできないのが日本でした。
 結局アメリカは日本とロシアが仲良くするより、領土問題で角突き合わせている方が良いのです。
 しかし、台湾から尖閣列島で中国と対峙した状態で、ロシアとの国境でも問題を抱えると日本ということは決して国益には見合いません。何とかロシアとは敵対関係にはなって欲しくないところなのです。

戦争と平和 2

 戦争の実体験が無い世代にとっては、映画やドラマ、書物などで想像するしかないです。外国映画にはアクションがかっこよく、映像として素晴らしすぎるものもありました。日本の特攻隊なども悲壮であっても憧れる存在に祭り上げられていたのかもしれません。
 日本の渋い俳優の映画は、日本の悲劇を知っているだけに胸を打ちます。やはり戦死や、空襲で死ぬ運命の悲しさはもしそれが現代の現実ならと、特に子供時代は畏怖を覚えました。
 何でも揃う現代の日本人からは、爆撃を恐れ、瓦礫の山で雨露をしのぐ家も、毎日の満足な食事もままならなかった時代は想像するのも恐ろしいです。
 しかし日本が中国やアジアに攻め入って勝ち進んでいた頃は、やはり対岸の火事で兵隊さんありがとうですんでいたのでしょう。世界地図での日本の赤い領土が大きくなるのは誇りだったでしょう。
 戦争への忌避は。人権とかきれいごともですが、やはり負けること、自分に危害や損失がおこることが大きいのでしょう。
 それまで大きな戦争に負け、侵略を受けたことがなく神風が吹いてサイゴには勝つと思っていた日本人にとっては敗戦は大きな民族のトラウマになっています。
 戦争を放棄し思考停止していることにより、戦争をしている国のお互いの事情を考察して判断するリテラシー、国際情勢の細部への見極めが日本人は苦手になっているように思います。是非は問わず世界には紛争がありその解決手段として望まざる戦争が起こっています。
 近代で世界を巻き込んだ大きな戦争からすでに70年以上たっても、人は戦争と平和を繰りかえしているのです。

    つづく

思い出される東北

男鹿真山伝承館のなまはげ展示

 やはりこの時期、東日本大震災のことが思い出されます。私にとっては東北地方は約7年強住んでいた、生まれ育った関西の次に長く住み愛着の合った土地です。
 30代後半から40代、二人の子供の幼稚園、小学校低学年は東北で過ごしました。仕事もこの時期、ようやく充実、熟練に向かう頃でした。
 そして私が東北を離れて2年過ぎたころにあの震災が発生しました。
 毎年思いだすことは沢山ありますが、今年もコロナ禍が続き、異国での紛争も伝わります。
 大きな悲劇を伝え聞いたとき、人間の無力さと、生き残ったもののなすべきことをいつも思います。
 そしてまた一歩ずつ、歩いていくのです。

超新星もいつかは衰退する

 将棋の羽生善治九段(51)は4日、東京・将棋会館で行われた第80期A級順位戦8回戦で、永瀬拓矢王座(29)に78手で破れて2勝6敗となり、最終9回戦を待たずして、B級1組への降級が決まった。羽生九段はA級在位連続29期(名人在位9期を含む)での降級となった。

 というニュースを聞き、藤井聡太(19)四冠が今圧倒的な話題をさらい勢いの中、栄枯盛衰ヲ感じます。羽生は将棋界のまさに超新星としてその時代に今の藤井以上に着目され将棋の世界を広く世間に広めました。22歳で七冠を奪取して永世名人、国民栄誉賞まで駆けのぼりましたのには伝道師的意味合いもあったのでしょう。
 当面、藤井が七冠、8タイトル全制覇が注目され、やや地味な将棋の世界にまたスポットが当たっていることは良いことです。
 しかし若くして、全てを奪えばあとはひとつずつ失い、さらに若い世代追われ、衰えるだけというピークにもなります。48歳で無冠、51歳でA級転落、栄光が色あせるわけではないですが、一回り下の羽生のニュースは何だか時の流れをわびしく感じてしまいます。藤井聡太は今を頑張って、無邪気に応援する層はそれでいいのですが。

3回目接種 ワクチンの次の手は #ワクチンまとめ

 オミクロン株による急速な感染拡大で3回目のワクチン接種を前倒し、2回目接種8か月後から7カ月そして6カ月となるようです。
 周りでも、陽性者や濃厚接触者が出て、仕事やら学校生活にいろいろ齟齬が起こっています。有効な対策が少ない中、3回目の接種が遅れているからと喧伝されています。しかし苦痛をこらえ2回の接種をしたのが、ほぼチャラというのも何だかとは思います。
 3回目の接種を待望され、打って心から安心できる方はある意味プラシボ効果の高い方で、それはそれでいいと思います。
 ただ、少し考えると今のワクチンにどれだけ効果の期間があり、副作用が少ないのかはなはだ疑問です。
 そんなに焦って打たなくても抗体の減少が予想より激しく、効果は短いのであれば遅く打った方が次の波まで凌ぎやすいともいえます。今をしのぐのにはしっかり体力つけ予防して重症にならないようにしていても期間がスライドするだけで同じです。
 あるいは更なる変異へ対応しないのであれば、変異対応のワクチンや新薬もそろそろ出ます。
 8カ月が6カ月というのも、何が明確な根拠だったのか、ワクチンの供給だけだったのか、それもひどい話ですし、副反応を慮ってならやはり8か月くらい空けた方が無難とも類推されます。現実にモデルナは1回目2回目の半分の量を売るだけなのですが、これもそれで効果があるのか、それとも全量打つと危険なのか情報が不足して邪推を呼んでしまいます。
 プラシボは気休めでも効果があります。
 だから真面目過ぎるお医者さんが、副反応のデメリットを強調しすぎます。
「ワクチン打とうが打たまいが、コロナに感染しても症状の重さには関係なさそう。本当に重症化を防ぐ効果があるのか疑問。
 ワクチン打っている人がたくさん感染している。ワクチンで感染を防げるなんて幻想」
 とありのままを呟くのもまあちょっと言い過ぎかなとも思います。

今こそ「ガソリン値下げ隊」を!

 2009年政権奪取した民主党、今では自民党から悪夢の民主党政権時代とも言われますが、当時実現すれば夢にあるマニフェスト、政権公約がいくつかありました。
 「こども手当」「消えた年金を消えない年金に」「農家の個別補償制度」「高速道路無償化」そして「ガソリン税撤廃」等を掲げて、衆院選を勝ちました。マニフェストのほとんどは実現できず、財源を見出す「事業仕分け」とともに民主党とその後継の党でも継続して訴求することなく封印された感じです。
 高騰したガソリン価格を何とかするには時限的にもガソリンに二重にかかる税金を何とかしないと今の政権与党も考えています。名前や体裁は変わっても少子高齢対策の給付、第一次産業に対する支援等は共通の施策です。
 有権者に大向うに受けて、国民の人気、支持率につなげたいのは一緒です。
 民主党は官僚に対する接し方、アメリカやマスコミに対しての対応も、稚拙のわりには自信過剰で墓穴を掘りました。
 それ以降の第二次安倍内閣からは、十分に民主党政権の失敗は研究され、二度と立ち上がれないように官僚と政権与党のタッグは強力になりました。それが官僚主導なのか、政治主導なのかは判断はつきかねます。
結局自民党の安定した長期政権となり良い点もあれば悪い点もあります。東日本大震災の対応などを見ているととても当時の民主党政権に今以上のコロナ対応は難しいと想像はされます。しかし一つ一つの施策は是々非々です。どうしても選挙を考えて施策を行うと本当に国民目線で早くできず、支持層に迎合した施策になり対応も後手になりがちになります。
 ガソリンの高騰などは早く、うまく収めて欲しいものです。少子問題、子供を育てるための支援も、自民党総裁選では話題になりましたが、喫緊であり早く対応しないと、日本に未来はありません。

雪深い里 #歌舞伎 文楽 名作の舞台 #菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)

 めったに出張はないのですが、右京区の中に京北地区があり、先日まとまった要件があって市内では溶けた雪の残る周山街道を北に。
 最後の案件はさらに東に進んだ黒田地区。廃校になった小学校の跡、外国人向け就労研修センターも閉鎖された経緯を確認。高尾三尾以北、人もクルマも少ない。
 黒田地区芹生(せりょう)は歌舞伎や文楽で有名な菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)寺子屋の段の舞台となった里。
 歌舞伎、文楽の作品、数々の情景多しと言えどこれほど哀しき情のこもった段はありません。
 昔は河川を船で材木を運べたので林業で栄えており、船という交通手段で都近くに直結して行き来できるのが他の山里より便利だったのです。今は自動車で昔より便利に移動でき道路は舗装が行き届いていますが、たぶん他の地区がずっと便利になり相対的に林業が衰え活気がなくなり過疎が止まらないのでしょう。

【死生観4】生物が死ぬことは次世代を生み、社会に役立つ

 日本人の寿命を戦前戦中と比べたり、人間と動物の寿命を比べたりすることがあります。しかし前提として、いわゆる寿命をまっとうする生涯と、不慮で死ぬケースを同列にあつかってしまう計算になります。
 動物の場合、元々繁殖を終えたら死が待っているとか、数多く生まれ肉食の天敵などに捕食されて死ぬのが大多数の寿命だったりします。
 捕食されたり、土に還り植物や他の生物のためになります。
 人間は知恵をもって生まれているため、最も死を恐れてしまいます。
 私の友人にも優れた才能を持ち努力もされ、素晴らしい人生を送っている人が何人もおられます。
 いくつもの事業を手掛け、多くの夢を実現して人の何倍も人生を楽しんだのでいつ死んでもいいぐらいと呟いていた方がいます。60歳も過ぎこれからは人生のボーナスステージだと、力を抜きながらも、さらにいろいろ挑戦されているようです。
 一方別の友人は、このコロナ禍で移動やさまざまな制限で仕事も余暇も満足に過ごせずに、家族のロスやペットロスも重なり、不幸や不満ばかりぶち上げストレスをため嘆き悲しんでいます。
 生きている者が老い、死ぬのはごく自然当たり前のこと、多くの人が聞けば分かっていることですがいざ自分の目の前に来ると受け入れがたいものなのでしょう。本当の意味で死が地球全体、社会全体への貢献と思えれば、もう少し軽くならないのかと思います。
 いつ死んでもいいというぐらい、人生を全うした気持ちには私もなかなかなれません。自分はその友人らに比べても凡庸で才能はありません。それでも、20代や50代で親を失くしたり仕事や人間関係で悩む人に比べ、60歳で、自分の健康や先行きが不安だとか、親が死ぬ友人が離れる、飼っていたペットを失う等という悲しみは悩みは俯瞰してみれば小さいものです。
 かつて人生50年とも言われた時代もあり、30や40で死ぬのも多くあり、60歳まで生きられた今、こんな時代に生を受け、食べるものに困らず生きてるだけで丸儲けとしないといけません。
 もちろん経験を活かし、向上心は必要ですが、すべては自己のためエゴではなく。社会のため子供たちのためと思えた時に、いつ死んでもいいと思えるのでしょう。【完】

【死生観3】コロナ禍 高齢者を優先の誤解

 新型コロナの感染拡大による規制等は社会に大きな影響を与えました。
 当初の武漢ウィルスは特に日本では高齢者を重症化し、死に至らしめるということでワクチンも医療関係者、高齢者優先でした。
 逆に基礎疾患のない若い世代は感染リスクが低く、行動制限を守らない、ワクチン接種に懐疑的でした。高齢者のために若い世代が制限を受けるのを嫌がる世代間の意識の違い、対立が生まれました。陰謀説の中には元々新型コロナは高齢者中心に人口削減のために人工的に画策されたという説も根強いです。
 尊厳死の時にも語りましたが、日本には高齢者をいたわる気持ちがいたずらな延命、自立と尊厳を奪う過度のやさしさになってしまっている面があります。電車やバスで席を譲られるのは、優しさではあっても、その方の持続する体力や尊厳を奪ってしまうことでもあるのです。
 コロナのワクチンの場合は、高齢者が重篤になりやすいという分かりやすい点がありました。しかし今後別の危険な感染症が流行した際、ワクチンや新薬が限られた数ずつしか供給されない場合、若い人と高齢者とどちらを優先にすべきでしょうか。老人や高齢者に優しくとはいいいながら、重要なエッセンシャルワーカーを除けば若者に医療を優先すべきです。
 経済を止めるか感染対策で規制するか、日本で若い世代にほとんど重症者が出ない時期でも海外の状況を見て、外国のような厳しいロックダウンやワクチンの早期承認と集団接種を煽る意見が多かったです。しかし結果経済は疲弊し、若者は職を失い自殺も増えました。高齢者中心に感染拡大を広めないためとはいえ、結局損をしてこれからもツケを払うのは若い世代です。これからコロナにかかった対策費のほとんどは税金として次の世代が負担していきます。
 ワクチンの副反応で接種後の死者を問題にするワクチン懐疑や反対の向きがおられます。そのことはここでは取り上げません。(若い人が副反応でなくなるのはそれはそれで問題ですが)
 もともと、日本では毎年100万人以上の高齢者が死んでいます。ワクチンを打とうが打とまいが毎日のように老人は死んでいきます。持病の悪化はもちろん、正月に限らず食べ物をのどに詰まらせ、風邪をこじらせ、出歩いて事故にあったり、ある日脳や心臓が急に止まったりで亡くなっています。
 80や90になってコロナで死んだとか、ワクチンが原因で死んだのかというのは些末な問題だと考えるのが本稿です。もうさすがにその世代になるとお迎えが何らかのきっかけで来たのだと納得するのが普通です。
 
 コロナ禍は、世代の対立や死生観の煩悩をあぶり出したと言えます。その課題が明らかになったことはそれはそれで良かったとも思います。
 若い世代、老いた世代とも今後どういう生き方をしていけば良いのかを、図らずも震災や疫病は示してくれているのかもしれません。
 (もう一回、つづく)

何だかピントの外れるコロナ対策

 これはすでにオミクロン株が騒がれだした今年の正月、京都、伏見稲荷の参道です。
 関西の一部鉄道会社は密をさける1月中の初詣をポスター等で提案していましたが、そんなもの誰もきかないで三が日は物凄い集中でした。関西の京都でこれですから、東京の浅草、明治神宮はじめ首都圏の有名どころの詣る場所の密や待ち時間は物凄いものになっていってます。
 私はコロナによる極端な規制には反対で、コロナな一般の風邪やインフルより少し警戒を強めたらいい程度と思っています。
 しかし、冬の寒い時期に人混みに出かけるのは元々良くないとは思っています。こんな初詣を何の制限も距離もなく許してるなら、本来もう何でもありということだったのではと思うのです。
 それが未だに水際対策で入国者は2週間の隔離、オミクロンの濃厚接触は入院隔離、大学受験も移動制限、別室とか特定の者にだけ細かい厳しいことを言っています。オミクロンがいよいよ流行り出すと、今度は恒例の飲食イジメ、東京は4人までの集まりにとする、感染地域は成人式の取りやめも決定したようです。。
 何だかやってることが矛盾とツッコミどころだらけです。
 厳しいロックダウンを打ち出していたイギリスのポリスジョンソン首相も、もうオミクロンには特別の規制はしないと明言しています。毎日10万人とか感染が出ても死亡者、重症者も出ていないので仕事や学校を制限して経済を止めないためです。
 毎年、人数を数えていなかった「風邪」や「インフルエンザ」の数を騒いで報告しているだけと、無視しだす人が増えています。そうなる方が危険な面もあるので、嘘っぽい煽りではなく、初詣や何万人というイベントは制限をかける程度ではないのかと思います。
 今回のまん延が米軍基地のある沖縄、岩国等から大きく増えていることも、米国軍人はフリーで入国していた。一般の出入国者が我慢し、長期隔離をしているときに何なのかと嘆く向きもあります。日米地域協定で難しいとはいえ、この問題を取り上げると右の方からそれは日米の緊密関係を妨害する中国側の陰謀だというトンデモ批判があるそうです。愛国心のある方は米国追従ではなく、是々非々で日米同盟、地域協定、あがり続ける防衛費負担にも注目していただかないと困ります。
米国だって中国や北朝鮮といくつも外交ルートのパイプあはあります。日本は金を産む打ち出の小づちで、ちょっと北朝鮮がミサイルを打てば米軍防衛費負担にも米軍人が何をしても文句言えないと思っています。
 せめてコロナのまん延に対しての責任ははっきりしてもらいたところです。そしてイギリスと同じくもうコロナとは同居して経済を上げていく時期が来たと明言すれば済むことです。