久しぶりに福知山観光

 4年前に、過去に住んだ場所をレビューする思い出シリーズを書いていました。↓
 京都府福知山市は当時23年前と書いていましたのでさらに4年プラスで27年前。新婚で妻がみごもって、その後、授かった娘ももうその年齢で嫁ぎました。その京都府の北部に位置する福知山市、先日新しい鉄道博物館「フクレル」という施設は福知山城公園にできたということで訪れました。
 当時は鉄道にも、まして廃線跡までには深い趣味でもなく、歴史もそうは興味はなかったので、明智光秀の築いたという福知山城さえ訪ねていませんでした。
 北丹鉄道の廃線跡や、残された車両など、今なら垂涎のものも、散策コースもスルーでした。
 それ以上に20年以上時を経て、その時に合った建物が旧くなり、消えた建物、改築され、新築され、また老朽化したものなど、栄枯盛衰さまざまです。当時大手コンビニは一切なかったものが、今やセブンだけでも駅周辺にかなりの数があります。ドラッグストアチェーンもいくつかできており、地場の化粧品店、薬店の苦戦、撤退も顕著でした。
 人の営みも、鉄道の廃線、新線のごとくです。京都と府北部の中核、綾部市、福知山市を結ぶ山陰本線の普通電車で訪れました。赴任当時はディーゼル大国で、キハ181系特急、キハ85系急行、キハ40系普通など、当時でさえ国鉄型動態保存と揶揄されていました。当時も全国で珍しいぐらい、哀愁のあるディーゼル音を響かせて汽笛もわびしさをかもしていて、絶滅した急行ディーゼル、寝台列車も走り、駅弁の立ち売りまであったのです。
 そんな福知山も、私が去る頃には、電化され遅ればせながら電車特急が走り出し、随分経ってようやくJR化後の電車特急や新快速型の223系が回ってきて、一昨年やっとICOCAなので頭交通系ICカードが使えるようになりました。
 しかし、京都から園部までが快速も含めて4両や8両の編成が行きかうものの、園部~綾部間特に、胡麻から綾部は本数も少ない青春18切符の愛好者でのダイヤ上のネックになるほどです。よくここを電化したなあという、小さなトンネルや鉄橋を繰り返す曲がりくねった路線です。
 昭和のはじめにできた鉄道ですから、特急通過用に電化したのですが、地元の方はやはりクルマを利用するのでしょう。これは、高速道路ができると、いつもいわれることですが、正直ドアツードアのクルマが最新設備で幅も広い高速道路を走るのと、大昔の路盤を使う電車では勝負にならない典型です。丹後の、舞鶴、宮津や福知山も京都縦貫道の完成で圧倒的に早く便利になりました。
 かつては、途中の南丹市までしか、高速道路がなく、そこからのカーブの多い国道の山道を身重の妻が気分悪そうに助手席に乗っていたのを思い出します。今は橋立あたりも飛ばせば2時間以内、平成の終わり頃に一気に便利になりました。
 私の転勤した後、水害や花火事故など不幸な出来事も起こっています。治水においては地下排水のある京都などの大都市とは格差があります。
 鉄道、交通の要衝とされた栄えたJRの鉄道部、支社も今は管理部という格下の組織になっています。
 今も大阪方面と京都方面からの特急が接続し、城崎や舞鶴、橋立へのん乗り換えジャンクションの役割を果たす駅ではありますが、同一ホームで乗り換え出来て、逆に日本海方面の乗客は下車する時間もなく、街をスルーします。高速道路に至っては、サービスエリア以外では止めることもなく、京都から一気に日本海方面へ行きます。
「明智光秀」で観光で注目されたのもつかの間、大手が進出し、デリバリで近代化は進んでも、過疎化に悩む地方都市の縮図が見られます。

 私が結婚して新居を構えた当時新築だったころです。外壁をリニュアルしたりしてキレイになっていました。
 周りは、畑だったのがが外食店になっていますし、買い物事情も随分変わっているようですが、20年以上経て残っているのが嬉しく何か懐かしいです。

思い出から6:京都府福知山市 – 天使の星座 (seizafpkotodama.com)

ITリテラシー、デジタル能力の格差

 ゲームの憑りつかれた人など一部を除いてパソコンを持っていない学生さんや、新入社員が増えました。連絡やらたいていのことはアプリでできる時代で、卒論を少しコピペするかしないかは別にししても、ワープロソフトぐらいは、スマホかタブレットで十分です。表計算ソフト、いわゆるマイクロソフトExcelもプレゼンソフトなどは日常ではそう使わないものでうから、いざビジネスマンで必要に迫られると一から始めるのでこれがまた大変な世代になっています。
 元々、ITやデジタル苦手という人種はどの世代にもいます。今の大臣、閣僚たちも怪しい世代が多いです。
 何となく、人に頼りながら、背伸びしながらやってると、毎回本人も周りにも、知らぬ間にストレスが溜まるものです。
 デジタルのスキルを上げるというのは、それ自体は仕事ではありません。何か仕事の目的があって、それを早く的確に、スマートに仕上げるためのスキルですし、いまだとパスワードの設定とか暗号化、圧縮化とかセキュリティなども当たり前に煩雑なことを身に着けないとやっていけません。
 人間として、仕事をする上で、本質的なものではないのですが、時代の要請として、全くできないではやはり難しい時代になっています。
 昔は、この資料仕上げといてでまかり通ったものが、今の経営者はそれでは無理ですね。

コロナ後、返せぬ負債に苦しむ人々

 新型コロナウイルス禍に関連した企業の倒産が今年に入って増加している。 コロナ対策の実質無利子・無担保融資(ゼロゼロ融資)などの支援でしのいできた中小・零細企業の「息切れ」が目立つ。 物価や人件費の高騰が続く中、融資の返済が本格化するとみられる秋以降は倒産件数がさらに増える可能性がある。 【報道寄り】
私が公私で知りうる京都府の企業やお店なども、老舗を含め、結構な数が廃業されています。 コロナとその後の息切れだけでなく、高齢などで後継ぎもなく、コロナ禍では支援金で息をつないだところが、堰を切って廃業というケースも含まれるようです。
 また、難しい問題ですが、業種によっても支援が手厚いところは、逆に汗水たらして働いて儲けるよりも、支援や給付、借入でお金が入ったことで、勤労意欲がなくなったような面もあるようです。
 行政の支援も、アフターコロナのグランドデザインをしっかり示せず目先の対応に追われていました。 飲食や旅行業には予定通り復興への支援はしたものの、地元の中小零細のところは大きな景気回復もなく、物価高で材料や運賃が上がり、青息吐息でコロナ前に戻ることもなく、借金返済どころではないのでした。
政府の支援というのも、禁断の果実のようなものがあり、一度そういう果実を味わうと、仕事で汗を流す体力や気力を奪われてしまう人がいるものです。本当の意味でセーフティネットはいくつかあるのですが、プライドや見栄でなかなか苦境を詳らかにしないうちに、最悪の結果を迎えるケースもあります。
 政府が民間の支援策に深くからむと、どうもいいことがありません。業界の一部の言いなりになるため、結局その業界全体の未来を奪う可能性を秘めます。飲食や宿泊、運輸に毎年税金キャンペーンを張るわけにはいきません。しかも、大儲けしているのは提案を受注した広告代理店や大手だけで、中小は少し以前に近づいた程度で、翌年このキャンペーンが無いとまた苦しいとなります。厚生労働省もさまざまな企業支援はしていますが、本業で苦しくなると最後は体力、気力がないところはアウトです。
 日本の国もワクチンや医療の面で負債を残しているのかもしれません。

32年前の橋桁落下事故

Wikipediaより

 私が広島に勤めていたのはまだ昭和62年とかでした。若手バリバリ、イケイケで仕事も遊びもしたもので、当時の若手グループが3人ほどと集まり広島会というのもやったぐらいで、ベテラン社員になっても、当時の広島での3年足らずはいろいろ思い出になっています。
 
 そんな広島から転勤して4年ほど過ぎた時、広島で痛ましい事故があって、新聞で見た死亡者の名前に見覚えがありました。
【広島新交通システム橋桁落下事故は、1991年3月14日に当時建設中であった広島高速交通広島新交通1号線(愛称アストラムライン)の工事現場で、橋桁が落下し、一般人と作業員の14人が死亡、9人が重軽傷を負った事故】Wikipediaより

 会社の幹部に問いあわせると、亡くなった女性はすでに退職しているが、やはり良く知った事務員の子でした。同僚によるといわゆる寿退社前の20代でした。
 軽自動車で買い物途中か何かではないかと言われています。
 それにしても、悲惨の極みの、上からいきなり構造物が落下しての圧死です。
 しかも原因を聞けば、請負業者の信じられない現場でのミス、怒りをおびえる内容でした。
 
 重量物のジャッキ降下というたいへん危険な作業でありながら素人同然の作業員に任せている状態であった。または素人の寄せ集め故にH形鋼の積み間違い(橋桁を受けるためには、完全に強度不足)という、致命的な作業ミスをしていることに気付く者が誰一人いなかったのです。この背景にはアジア大会準備のために広島市内各所で建設工事が行われており、深刻な人手不足のため熟練した作業員が不足していたこともある。そのため工程に間に合わせるために頭数だけそろえた素人作業員が危険な作業をしていたとされています。Wikipediaより

 同事故を教訓として、全国的に危険が予想される現場では交通を遮断する措置が行われることになったといわれています。国の対応も危険な交差点で死人が出てから横断歩道や歩道橋を作るようなものですが、尊い犠牲者のおかげではあります。
 最近でも数年前2016年工事中だった新名神の兵庫県有馬川橋で死傷者10名の橋桁落下事故があり、クルマは何とか奇跡的なタイミングで難を逃れました。乗用車に乗っていて、上から構造物で圧死する確率は、天文学的に低いはずですが、何の因果か当たってしまう人もいたのです。
 

 それにしても、突然の圧死とはなんという悲劇でしょうか。そんなものに巡り合う確率が低いだけに、ご両親や、関係者そしてご本人の無念はいくばくか。 それは運命というには、あまりにも過酷で衝撃的なものでしょう。
1994年、広島アジア大会観戦にこの新交通システムに乗車して、通過地点で黙とうしました。

 広島というと、どうしてもかつて原爆投下ということも思い出します。しかし、全て周りが平和になり、豊かに発展していこうとする中で、その発展への突貫工事の犠牲に、何の責もない人間が召される理不尽さには、嘆くしかありませんでした。
 多くの理不尽な事件もそうですが、亡くなられた方に輪廻があり、今よくドラマであるタイムリープなどで、もう一度生まれ変われる人生があることを、切に願いたくなる。そんな切ない事件が30年以上前にありました。きっと、どこかで生まれ変わて良い人生を過ごしていることと信じます、
 
 

守秘義務スレスレで話します 役所の個人情報管理

 ある程度良識ある方は、公務員の仕事は、一見安定はしているけども堅苦く、何か問題が起こると非難の矢面に立たされる辛い面もある忍耐だとご理解いただいているのではと思います。
 もちろん、官僚の上の方へ行くと、俸給も高く、かといって政治家の顔色を窺って結構楽しでいるとも思われがちです。
 少なくとも、一般の国民にとって、ネットで呟けても、身近に文句を言える相手は、近くの役所や公的機関の窓口や電話に直接出た人です。
 そんな人に岸田総理や、デジタル大臣、官僚や市長クラスへの文句を言っても始まらないのはわかるのですが、世の中ボヤキたくなるこのは多いのでしょう。だから忍耐のいる仕事です。これは正職員も有期雇用の非正規も変わらないのがまた辛いところです。
 民間企業を定年退職して、何の因果か公的機関のお仕事をしています。その中で守秘義務があって、退職しても軽々には言えないこともありますが、違反にならない程度に、今騒がれているマイナンバーカードに関連した部分で、個人情報の取り扱いってどうなっているのかを書きます。もちろん、全ての役所の現場を知る由もないので、自分の経験や伝聞から、誰でも想像、推理できる程度のものです。

 前置きが長くなりましたが、結論をひとつ、
「役所、公的機関はマイナンバーカードやそれから導かれる個人情報をとても大切にしています」
 それは窮屈で、面倒くさく、時には残業になったり、細かなミスを糾弾したり、煩雑な申請を書き、承認や管理のハード、ソフトの仕組みがあります。
 もちろん、マイナンバーカードの連携による電子申請なども急速にできたものもあり、現場の省庁、役所にもよりさまざまな温度差や格差はあります。
 もちろん、映画やドラマに出てくるような超絶スキルのハッカーが侵入しないとも限れませんが、パソコンそのものからUSBメモリでデータが簡単に抜かれるようなことはできません。未だにテレビでは、USBメモリに大事なデータを移すシーンが描かれていますが、私が最後にいた会社もそうでしたが、その後の公的機関もパソコンそのものが基本USBメモリは使えません。挿し込むだけでウイルス感染するかもしれませんから、そんな甘い体制のところはもうよほど田舎の役場でもあまりないでしょう。個人情報管理の研修はどこもやらされています。そういう点は、過剰なほど手間をかけているので安心と断言できます。

「マイナンバーカードで、家族構成や所得の情報だってとれるのに、何で未だに公的な手続きにはいろんな書類が必要なの?」
 相続や、年金受給の手続き、扶養の手続き、マイナンバーカードで、一本化されたのに、戸籍であるとか、いろいろ添付書類を求められるのはなぜなのでしょう。役所の人は調べたら何でもわかるなら、いちいち細かいことを求めないで欲しいとも言われます。
 一部は過渡期だからかもしれません。しかし、この必要書類がいまだにいるというのは、法律で決まっているものと、先に述べたマイナンバーカードのセキュリティの強さ、個人情報の管理の裏返しなのです。
 マイナンバーカードを記入して、申請しただけで、その書類を受け取った職員が役所のパソコンを叩けばその人のあらゆる個人情報を見れるわけではないのです。
 例えば悪質な所得隠しや、財産隠しがあって、国税とかで調べるとしたら、マイナンバーから、上司を通して関係部署、いろんな手続きを踏んで閲覧許可や記録もとり、限られた時間と用途で、一切別の目的を外して許可が下ります。こういうことは、少し考えれば想像がつきます。
 ですから、マイナンバーカードを渡しても、ストーカー的な変な職員がいても、記入情報以上のことは調べられないし、落したとしてもそこから何かを引き出すことは難しいのです。
 そして添付書類が必要なのは、それが入手できることで本人である信頼度が高まり、手続き業務が早くなるのです。これも過渡期のものもあるかもしれませんが、仮に添付書類なしから、所得や雇用や家族状況にたどり着こうとすれば、1枚の申請書から申請が回るまでに担当者は大変なセキュリティを外す時間を強いられます。
 あとは添付による申請が、条件と決められているものです。年金の免除であれば、添付必要と「失業の証明」「所得激減を申告する申立書」と書かれてれていたら、「俺が失業したのは、あんたら調べたらすぐわかるやろ」「ウチの店が売れていないのは調べれば分かるはず」といっても決められたことだから、それには書類が要るのです。書類さえ添付されていればルーティンで早く流れることです。
 マイナンバーを書けば、名前も住所も要らないじゃないかと言われても。申請の名前の欄には本人の名前がないと申請書にはなりません。保険診療を受けるのには、保険証の提出が必要で、それがマイナンバーカードでできるようになったわけであり、マイナンバーの数字と、顔写真の入った運転免許証を持ってきて、「本人だと分かって、番号もわかるから、どうせ機械に番号を入れて診察させろ」と言われても、それは従来通りで保険証がないのと同じで不可能なのは、わかると思います。
 多くの添付書類も今の段階では、決め事と、マイナンバーカードからのセキュリティのためと迅速な処理のため必要なのです。
 そのために、役所の人は結構苦労して、煩雑で間違いなく面倒な仕事をしています。

いかにも日本的会計基準の「辞める相手にボーナスは払えない」

 会計基準とかIFRSというと、いかにも硬い難しそうな話ですが、ちょっとしたところが日本って変わらない変えられないのだなあという話です。
 退職時に、退職金を貰えるのは当たり前、でもボーナスはというとたいていの会社は6月か12月が賞与月で、その時に在籍していないと貰えないところが多かったものです。
 まだ退職したことがない、あるいは勤めたことがない人でも、同僚や家族、後輩らが会社を辞めることになって、その際ボーナスを貰ってからとか、あるいは急だったので貰い損ねたという話を聞いたことがあるかもしれません。
 実際、退職時期を決める時、ボーナス時期、有給消化は考慮しないといけない問題でした。
 ところが、昔は部下の女性の退職をさんざん扱ってきて、人が足りないときや優秀な人材には「何とか次の12月賞与までいないと損だよ」と引き延ばしていたものです。
 ところが、いろいろ体制の変わった中で、定年退職で60歳の誕生日月の20日で規定通り辞めた際、新体制の会社では在籍期間を計算した「退職賞与」が貰え、次の6月に貰える賞与より少し少ないくらいの金額が貰えました。
 IFRS(国際会計基準)で退職金引き当て金を計上している会社なので、どの時期に辞めてもそれに相応する賞与が貰えるのです。
 カネボウが花王傘下に入った時、当時の組織に無理をいい花王のアカウンティング(会計)幹部養成教育に最年長で参加させてもらいました。1週間以上にわたり、簿記と国際会計基準や未来会計戦略を学びました。極めて合理的で、よく考えれば道理にかなうことが多いのです。
 日本の会計基準は「細則」「前例」に拘り、全体的な考えが歪むのです。粉飾なども、法律の抜け穴とか、ギリギリの基準なら許されるだろうという「法は守っても道徳は守らない」のが許されるのです。
 賞与の問題でいうと、辞める相手にボーナスは払えない、残っている者に悪いし、経営として当たり前じゃないかという考えは今でも多くの会社や公的機関にもあります。
 しかし、労働者の公平を考えれば、5月まで働いた人と6月まで働いた人に給料2か月分の賞与がオールオアナッシングになるというのはおかしい話です。そのために退職時期が賞与月に集中するのは、会社としても全く得になることはありません。どうしても時期を急いだ人以外が、賞与まで待ち、フルの賞与を貰い、その間モチベーションの低い仕事をされれば、会社に害の方が多いからです。
 こう考えると、退職時に計算して賞与支給は合理的に思えるのですが、結局その後公的機関に3年勤めるも、4月に入り、6月賞与貰えずで次の12月から貰いだし、夏冬あと2回貰いましたが3月退職では次の6月分はゼロでした。
 公務員系は全く、そういう計算なしです。
 退職賞与は労働協約の賞与規定で決められていますから、貰えないところは多いです。
 誰も損しないのに、国際的な基準にならない。日本にはそういう変わらない慣習が多いものです。
 
 あの時の研修は本当に良い内容で、現場ではもちろん役には立たないが、世の中の会計的仕組みが目から鱗が落ちるように分かりました。強い会社というのは、こういうところなのかと思います。
 

どんどん進化する変身術 ビジュアル

  化粧品の会社にいて、女性の変身というものはよく見てきていました。あくまで男性視点の話で申し訳ありません。
 昔だと高卒の美容部員さんが多く、ある年齢から全く老けなくなり年齢不詳になって美しさに磨きがかかる人が多かったです。
 学生の友達や、やがては同期入社からも別人になって、芸能人のように年齢詐称的なつじつまの合わないとこ出てくる人もいました。
 最近はさらに美容整形の技術も進み、一般的なものになり、化粧とのコンビネーションでAIなみの完璧な美女が増えだしました。
 長くチームで仕事をしていると変身前や、その性格や内情を知る立場にあり、それはまたそれで恐ろしいようなものを見る感じです。
 そこを隠す恥じらいに可愛いところがある人もいます。一方で、まるでそういうことに無頓着な人が、だらしないメイクや中途半端な毛染め放置などを見るとやはりキレイに仕上げている人が良く見えます。
 人間はもちろん外見だけではないとは言われますが、おしゃれとか身だしなみの感覚でここまで仕上げてくる方が増えるのは何だかコワイような時代です。

忖度業界の反動と性暴力問題

 海外メディアや国連が騒ぐほど、日本の芸能界は問題あのでしょうか。
 何とも複雑な気持ちでこういう騒ぎを見ています。
 まず、中学や高校ぐらいの男性であれば、自我も目覚め抵抗もできるはずであり、半ば「枕営業」を許したケースが多いのでは想像できます。
 それを被害者への同情を煽るようなバッシング、いわゆるキャンセルカルチャーの拡大には違和感はあります。
 それをいうと、芸能の業界自体が忖度まみれであり、女性のグループを牛耳っている人は問題ないのかということです。
 男性、少年だから話題が大きくなるのでしょうか、妊娠をはじめトラウマとしては女性の性被害の方があくまで大きいと私は個人的に考えます。男性文化というのは日本に江戸時代からあり、戦前戦中にも根強くはびこり、戦後もボーイズラブとして一定の割合はありました。

 問題は業界を牛耳ているところには、近接の業界や報道はなかなか立ち入れないことです。 普段は見て見ぬふりで、雑誌にスクープされたぐらいでは、テレビ局は報道と芸能が一緒くたなので忖度してダンマリ、大きな波が来ると勢いにのってその抑圧の反動でバッシングの列に加わる。
 報道と芸能は当たり前に分ければいいのではないでしょうか。役割は違うのだから、NHKでさえ、大河や朝ドラ、歌合戦にお金かけるところと、報道、スポーツはそれぞれ契約ごと分けるぐらいにはして欲しいものです。TBSやテレ朝にしろ、フジ、日テレもドラマはいいもの作るときもあるし、報道の色とはまた別なのだから、分ければ良いとつくづく思います。
 芸能人がMCに入るニュースショー的番組や華美なほど多い女子アナも、日本独自の特殊な文化ですが、事務所の不祥事に硬直した表情になるMCタレントも何だかもういい輪という感じです。
 AIがニュースを読める時代なので、正直地上波テレビ局の社員が高給を取って、毎日衣装を変え、豪遊できるほどの業界構造は時代遅れすぎるのです。
 地上波がニュース報道に特化できないのが、旧態依然の社会が変わらず劣化が進む日本の忖度社会です。

デジタルディバイトの問題

 デジタル・ディバイドとは、「インターネットやパソコン等の情報通信技術を利用できる者と利用できない者との間に生じる格差と総務省では定義されています。
 国際間や地域的な差もありますが、年齢や経験、学歴など主に個人のリテラシーの差によるものが大きいと思われます。
 IT難民とか、デジタルに取り残された人と言われます。
 かつて、ソロバンや電卓で帳簿を仕上げるのは完璧だった人が会計ソフトはできないとか、営業でトップだった人がパソコンでの勤退管理や営業日報はできない、あるいはお年寄りがスマホやタブレットを扱えないとかいう現象はよく言われます。
 マイナンバーカードのトラブルもどちらかというと、運営側が慣れていない知らないと思われる節が多いです。
 地域のITアドバイザー資格を委譲されていますが、これも総務省のデジタル推進の一貫です。この問題は千差万別で、個々の対応しかありません。

 この問題は根が深いです。年齢に限らずデジタルに対する感覚が合っていない、新しいものに対して他人任せになる人はどこでもいます。
 マイナンバーカードで、コンビニで安く便利に、証明書が出るといっても、時間がかかり値段は高くても、役所で並んで人にやってもらう方がいいと言われればそれまでです。
 マイナンバーカードで何か間違いが起こると大騒ぎですが、役所の市民窓口で取り間違いが皆無というわけではないです。同じ人間がやっていますから、ミスの割合も似たようなものです。
 問題は、そういうゆったりした役所の仕事が、税金で賄われ、どうしても必要な人でなくても存続していき、結局税金がデジタル化にも使われ、デジタルディバイドにも使われ続けていくことです。
 財源が有り余っているなら良いですが、こんな時代ですからデジタル化の意味あいは本当に難しいです。

京都番組小学校の跡地

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 時代は幕末から明治の転換期で、首都機能の東京移転などにより京都は衰退の危機にひんしていました。 そこで復興に向けて立ち上がった町衆たちが、とくに力を入れたのが教育だったのです。1869年(明治2年)には、27程度の町を1番組として、上京に33の番組、下京に32の番組、同年中に64校の小学校が開校されました。

 これらの小学校は、1872年(明治5年)の、国家による学校制度(学制)の創設に先立つ、日本で最初の学区制小学校でした。
 琵琶湖疎水を作り、その電気を使って日本最初の市電、路面電車も京都に作られました。
 当時の町衆や市長の、危機感と変革への意欲と迅速な行動は、古都の歴史に残るものでした。私は下京の第一番組、乾小学校、現在の洛中小学校の出身となります。


 番組小学校は、平成に入り、都市部のドーナッツ化子供の減少で、統廃合されました。廃校の一部は施設に転用されてきています。有名なのは上京第25番組龍池小学校の京都国際マンガミュージアムでしょうか、その他も公共施設、教育機関、文化施設、民間のホテルなどに転用されていますが、20年以上経ってまだ放置されているところもあります。
 地域の、防災や体育会にグランドは使われていますが、市内の一等地で長々と待機のままはもったいないと思います。
 転用から20年経ち、老朽化も進み必ずしも、活性していないところも含め、これらを早く有効に使おうという、京都の行政も市民も明治期に比べ、危機感や躍動感が足りなくなってきているような気がします。
 京都に限らずでしょうし、明治維新ほどのドラスティックさがないため、徐々に生気が無くなっていくのが今の日本かもしれません。武士という身分もなくなり。公家もいなくなる「だったら、何をすればいい、何をさせたらいい、社会に何が必要か」根源的な危機が今の中途半端な豊かさの中からは生まれないのかもしれません。
 もう一度、教育の原点、本を読んで必死に勉強しないといけないのでしょう。