所得倍増した池田勇人、人物も時代は違う 

 昭和史をたまたま読んでいると、戦後私が生まれた頃のいわゆる【所得倍増】論の池田勇人元首相の話が目に入りました。
 現在の岸田総理の政治的なルーツとしては、広島県、自民党宏池会ということで、池田勇人、宮澤喜一の流れなのでしょう。
 今の政治が閉塞しているなあと思うのは、ほとんどが3代目以降の世襲になり、その世襲政治家が長い下積みを経た後、さらに時間をかけて根回しをして世間では定年で引退するぐらいの年齢になってやっと首相の座を狙える位置にたどりつくという面です。
 政治信条とか、偉業や実績の評価、賛否は抜きにして、戦後という日本がリセットされた混乱期にあったとはいえ、池田勇人は初当選議員として大蔵大臣に抜擢されます。戦前からの官僚を経て49歳の1年生議員とは言え、今では考えられない重要閣僚へ就任し、経済の舵をとります。
 1960年に首相就任、当時も自民党内では、岸、佐藤の安倍一族との熾烈な争いもあったようです。日本経済は高度経済成長期が迎えられたことで、大いに評価される面もありますが60歳前後で活躍し、65歳ではすでに退陣、ガンで病死されました。
 今66歳の岸田さんの年齢ではもう生きておられないのです。この年齢の差には、時代の流れを感じます。日本人の寿命が延びたと言えばそれまでですが、引退する年齢、活躍する年代もどんどん後ろ倒しになっていることを痛切に感じます。
 また今、66歳の岸田さんでさえ、比較的若い年齢で議員になり、当選回数を重ね閣僚、首相になっています。
 困るのは政界、自民党には、現職やOB 含め、さらに長老、いわゆる老害的な人がたくさん生き残っているのです。これから先の議員は本当に何歳で財務大臣になれ、首相になれるのか最高権力を握れるのか、自分のやりたい政治をやれるかというと、もう暗澹たる思いとなる閉塞感でしょう。
 そんな年齢でお鉢が回ってきても、気力がなく、やりたかったことも忘れているのが普通です。
 これでは、優秀な人材が、政治家や官僚を目指さなくなるのも分かります。

朝のルーティン公開

 毎朝、このブログを仕上げています。
他のルーティンとしては、柔軟体操、ダンベルをして、公園までウォーキングです。軽く汗をかく程度です。
 そして、朝食は自分でコーヒーを淹れて、シリアルとトースト、昨日から妻の仕込んでくれているサラダ、ヨーグルトが定番です。
 あとは、タッチタイピングのソフトをゲーム感覚で、5分ほど。
 これでも起きて仕事に出かけるまで2時間ほどかかってしまう。朝はスロースターターです。

役所にはいろんな階層がある 守秘義務スレスレで話します2

 人間というのは、さまざまな役割を分担する過程で、組織を作り、階層を作り、差別を産んでしえ、まうものなのでしょう。
 短いながら、いくつかの公的機関で働き、上は首長さんやキャリア官僚というカースト最上位がいて、中間に働く真面目な職員さんもいれば、働けるのに働かない穀潰しがいて、下層に非正規がいます。その非正規でさえ長年経験して正職員より知識もあって、現場を知って上から重宝されて、新参には厳しい牢名主やお局みたいなのがいるものです。
 企業や学校、社会は概ね似たり寄ったりなのでしょうが、公務はその仕事が国家や国民の大事な仕事で、かつ預かった税金を俸給としています。その格差や理不尽が良く散見されるには気にはなるところです。そんなことあってはいけない組織じゃないかと思われます。
 最も重要な行政などの重要な仕事をする人が、そんな薄給であってはいけないということもあり、試験をパスして昇進していけば、どんどん俸給も待遇も良くなります。
 同じ人間、下手すれば同じ学校で学び、同程度の学力でも、大きな格差がでていまうことがあります。
 だから、どうせ出世もしないから働かないと言う人も出て、クビにもならず困った事態にもなります。
 そんな人を横目に、俸給は低くとも、現場の前線近くで良く働く「男前」の人もいます。
女性でも男性でも、民間企業ならもう少しおしゃれに、着飾ってそうな人でもわりとラフな格好でコツコツ働いて公務を支えておられました。
 私が巡り合った上司にも、国立大学を出て、本来もっと昇進していてもおかしくない実力もあり、マネジメントも良くできる人が、家庭や出産、介護などのライフイベントを優先にして、低いポジションで頑張っておられました。男前だなと思いました。
 LGBT、障害者雇用などの関係で、民間では信じられないような役割も見ましたが、そういう人でも上手くモチベーションを上げてやっておられました。
 こういう人達を均してみれば、税金はそれほど無駄には使われてはいないとは思います。ただ今後のDXの推進、テレワークなどはまだ難しい段階だとも痛切に感じます。

守秘義務スレスレで話します 役所の個人情報管理 – 天使の星座 (seizafpkotodama.com)

男前に働く女性に感心 – 天使の星座 (seizafpkotodama.com)

クリアファイルの謎 

 推理小説でも、ミステリドラマでもないので、この何気ない謎の真実はたぶん分からないでしょう。
 役所、公務というところは、まだまだ紙媒体の申請や提出を受けています。そして申請書には控えや、関連を証明する添付書類があります。年金手続きでも、労働保険でもそうですが、1つの案件にいくつもの書類があります。他案件と絶対混ざらないように、入力処理や決済完了で編綴されるまで、クリアファイルに入れている場合が多いのです。
 ファイルの色や保管のBOXの色、どこまではクリップに止めるとかは、それぞれ役所、部署によってルールが決まっているのだと思います。クリアファイルは登場して、一般に使われだしてどのくらい経つのでしょうか、マニュアル的なルールにもなっていますのでかれこれ20年以上は優に経過しているでしょう。
 この前、京都労働局の労働保険年度更新の繁忙期を終え、最後の中間整理をしているとき、上の写真の何と以前勤めていた、懐かしい会社のロゴの入ったクリアファイルを見つけました。左上に小さく今は使われないベルのマーク、ちょっとわかりにくいので下地を赤にして右側にアップで撮りました。
 この部署では、整理用に、透明、黄色、赤、ブルーを使用して、透明を最も使用し、新規購入もしますが、提出してきた企業様からのファイルも、下に社名が入っているぐらいのものは一時的に流用してはいます。
 しかし、今は使用していないおそらく少なくとも15年くらい前の制作であろう、ベルのマークの入った、カネボウのクリアファイルが何故に今、私の手元に回ってくるのか。
 一体、いつどこで作られ誰に配られ、どういう経緯でここに回りまわって、残されて令和5年に残っているのか?
 これは、まさに事務用には重用されるシンプルなものですが、いわゆる景品とかノベルティとして、渡されて喜ばれるものではありません。ブランドやモデルの入った透明でないクリアファイル(変な言葉)はよく私も販促で使いましたし、鉄道の何かは集めています。
 しかし、これは本当に使途が、社用に限られそうです。COMETICと入ってないので、化粧品部門が使ったのではないのか。繊維、アパレルや食品、住宅関連、薬品まで手広くはやっていた全盛期はあれど、逆に他部門にしてもシンプル過ぎるような感じで、どう推理しても出所不明です。
 このカネボウのベルのデザインが使用できる末期に、社内外の書類管理、書類提出用ぐらいにまとめて作ったもののでしょうか。
 余ったものが、透明部分も多く、企業色が弱いため、形状や保存が良かったものが労働局に提出され残っていたのでしょうか。
 真実は一つなのでしょうが、スッキリとした回答は分からない、それでも懐かしい謎でした。
 

阪神優勝に学ぶ 再生 適材適所 褒めて育てる

 阪神の優勝で関西ではあらゆるところで、その話題がマクラになります。予想以上の独走の要因に、充実した先発投手陣があげられます。ベテラン生え抜きに加え今年台頭した、村上、才木とともにソフトバンクから現役ドラフトで移籍してきた大竹耕一郎投手が11勝(9月15日現在)あげてるのも大きな要因でしょう。
 今年度から始まった現役ドラフトは、各チーム1軍出場が少なく埋もれた戦力を指名し合い、潜在力を発揮させるものです。前半では楽天から巨人へ行ったオコエが注目され、シーズンを通しては、DeNAから中日へ行ってレギュラーを獲った細川外野手など、一定の顕在化、戦力発見、再生につながっています。
 大竹投手を出したソフトバンクは、FAの人的保障でプロテクトしなかった田中正義も日本ハムに移籍してクローザーとなってブレイクされてしまいました。肝心の自軍投手陣は一人も10勝を挙げる投手が出ず、優勝の本命といわれるほど大金をかけ補強してオリックスに大差をつけられてAクラスも危うい戦いぶりにファンから非難ごうごうです。 

 阪神も逆にかつては、今メジャーの藤波や、日ハムで活躍する江越など、1軍半や2軍でくすぶる、埋もれかける人材の宝庫でした。
 大竹や、田中正義のように、チーム事情で活躍の場が与えられずに新天地で活躍するというのは一般社会でもよくあります。
 編成など組織風土、上司など環境の問題もあります。高年俸のスター選手や外国人選手が顔を揃え、先発のローテやスタメンが固定していると、なかなかチャンスがないのと同じです。本当に適材適所を見極める人事や経営陣がいないと、人の配置や育成はうまくいかないものです。転勤して、新天地で再生する場合もありますし、逆に配置転換もないと、がんじがらめで鬱屈したストレスがたまり、実力発揮どころではありません。
 限られた総年俸、採用された人材を有効に使うことが使命なら、マネジメントする人間は、その人を見極めて、長所を伸ばし、能力を最大限に活かすことを考えるしかありません。言葉にすれば、ごく当たり前のことですが、これがしがらみや、過去の経験、拘り、慣習などさまざまなバイアスにかかって、的確な指導や組織運営はできていないことが多いのが世の中です。
 現役ドラフトの成功などをみて、何でそれができなかったと思い、自らの組織運営に活かすなら、自分のバイアスをよく分析して、指導や運営を見直してみることです。

SNSの反応が遅くても、ちゃんと挨拶してくれる人

 仕事でのやりとりとかはできる人でも、SNSは苦手とか、反応や返事が遅い人はおられます。
 クイックレスポンスが当たり前の友達が多いと、ついつい「アイツ読んでくれてるのか」「見てるのに、返事くれずシカトかよ」とか思ってしまいます。
 忙しい時に、どうでもいい間合いの友達にいちいちリアクションしたくない場合もあります。また、人により、筆まめと筆不精のようい、丁寧に文章を考え入力しようとか、考えすぎて、仕事よりプライベートなやり取りには時間のかかる人もいます。
 たかがSNS、されどSNSです。リアルにお会い出来た時、無精の詫びでご挨拶の品をご用意していただく人もいます。忘れられているのかと、思うタイミングで手書きの挨拶状で近況を知らせる方もおられます。
 SNSには、最低限の罰則以外、確実に示されたマナーとかルールがありませんが、そこには人間としての常識が守られ、その方らしい個性が示されれば良いです。

久しぶりに福知山観光

 4年前に、過去に住んだ場所をレビューする思い出シリーズを書いていました。↓
 京都府福知山市は当時23年前と書いていましたのでさらに4年プラスで27年前。新婚で妻がみごもって、その後、授かった娘ももうその年齢で嫁ぎました。その京都府の北部に位置する福知山市、先日新しい鉄道博物館「フクレル」という施設は福知山城公園にできたということで訪れました。
 当時は鉄道にも、まして廃線跡までには深い趣味でもなく、歴史もそうは興味はなかったので、明智光秀の築いたという福知山城さえ訪ねていませんでした。
 北丹鉄道の廃線跡や、残された車両など、今なら垂涎のものも、散策コースもスルーでした。
 それ以上に20年以上時を経て、その時に合った建物が旧くなり、消えた建物、改築され、新築され、また老朽化したものなど、栄枯盛衰さまざまです。当時大手コンビニは一切なかったものが、今やセブンだけでも駅周辺にかなりの数があります。ドラッグストアチェーンもいくつかできており、地場の化粧品店、薬店の苦戦、撤退も顕著でした。
 人の営みも、鉄道の廃線、新線のごとくです。京都と府北部の中核、綾部市、福知山市を結ぶ山陰本線の普通電車で訪れました。赴任当時はディーゼル大国で、キハ181系特急、キハ85系急行、キハ40系普通など、当時でさえ国鉄型動態保存と揶揄されていました。当時も全国で珍しいぐらい、哀愁のあるディーゼル音を響かせて汽笛もわびしさをかもしていて、絶滅した急行ディーゼル、寝台列車も走り、駅弁の立ち売りまであったのです。
 そんな福知山も、私が去る頃には、電化され遅ればせながら電車特急が走り出し、随分経ってようやくJR化後の電車特急や新快速型の223系が回ってきて、一昨年やっとICOCAなので頭交通系ICカードが使えるようになりました。
 しかし、京都から園部までが快速も含めて4両や8両の編成が行きかうものの、園部~綾部間特に、胡麻から綾部は本数も少ない青春18切符の愛好者でのダイヤ上のネックになるほどです。よくここを電化したなあという、小さなトンネルや鉄橋を繰り返す曲がりくねった路線です。
 昭和のはじめにできた鉄道ですから、特急通過用に電化したのですが、地元の方はやはりクルマを利用するのでしょう。これは、高速道路ができると、いつもいわれることですが、正直ドアツードアのクルマが最新設備で幅も広い高速道路を走るのと、大昔の路盤を使う電車では勝負にならない典型です。丹後の、舞鶴、宮津や福知山も京都縦貫道の完成で圧倒的に早く便利になりました。
 かつては、途中の南丹市までしか、高速道路がなく、そこからのカーブの多い国道の山道を身重の妻が気分悪そうに助手席に乗っていたのを思い出します。今は橋立あたりも飛ばせば2時間以内、平成の終わり頃に一気に便利になりました。
 私の転勤した後、水害や花火事故など不幸な出来事も起こっています。治水においては地下排水のある京都などの大都市とは格差があります。
 鉄道、交通の要衝とされた栄えたJRの鉄道部、支社も今は管理部という格下の組織になっています。
 今も大阪方面と京都方面からの特急が接続し、城崎や舞鶴、橋立へのん乗り換えジャンクションの役割を果たす駅ではありますが、同一ホームで乗り換え出来て、逆に日本海方面の乗客は下車する時間もなく、街をスルーします。高速道路に至っては、サービスエリア以外では止めることもなく、京都から一気に日本海方面へ行きます。
「明智光秀」で観光で注目されたのもつかの間、大手が進出し、デリバリで近代化は進んでも、過疎化に悩む地方都市の縮図が見られます。

 私が結婚して新居を構えた当時新築だったころです。外壁をリニュアルしたりしてキレイになっていました。
 周りは、畑だったのがが外食店になっていますし、買い物事情も随分変わっているようですが、20年以上経て残っているのが嬉しく何か懐かしいです。

思い出から6:京都府福知山市 – 天使の星座 (seizafpkotodama.com)

ITリテラシー、デジタル能力の格差

 ゲームの憑りつかれた人など一部を除いてパソコンを持っていない学生さんや、新入社員が増えました。連絡やらたいていのことはアプリでできる時代で、卒論を少しコピペするかしないかは別にししても、ワープロソフトぐらいは、スマホかタブレットで十分です。表計算ソフト、いわゆるマイクロソフトExcelもプレゼンソフトなどは日常ではそう使わないものでうから、いざビジネスマンで必要に迫られると一から始めるのでこれがまた大変な世代になっています。
 元々、ITやデジタル苦手という人種はどの世代にもいます。今の大臣、閣僚たちも怪しい世代が多いです。
 何となく、人に頼りながら、背伸びしながらやってると、毎回本人も周りにも、知らぬ間にストレスが溜まるものです。
 デジタルのスキルを上げるというのは、それ自体は仕事ではありません。何か仕事の目的があって、それを早く的確に、スマートに仕上げるためのスキルですし、いまだとパスワードの設定とか暗号化、圧縮化とかセキュリティなども当たり前に煩雑なことを身に着けないとやっていけません。
 人間として、仕事をする上で、本質的なものではないのですが、時代の要請として、全くできないではやはり難しい時代になっています。
 昔は、この資料仕上げといてでまかり通ったものが、今の経営者はそれでは無理ですね。

コロナ後、返せぬ負債に苦しむ人々

 新型コロナウイルス禍に関連した企業の倒産が今年に入って増加している。 コロナ対策の実質無利子・無担保融資(ゼロゼロ融資)などの支援でしのいできた中小・零細企業の「息切れ」が目立つ。 物価や人件費の高騰が続く中、融資の返済が本格化するとみられる秋以降は倒産件数がさらに増える可能性がある。 【報道寄り】
私が公私で知りうる京都府の企業やお店なども、老舗を含め、結構な数が廃業されています。 コロナとその後の息切れだけでなく、高齢などで後継ぎもなく、コロナ禍では支援金で息をつないだところが、堰を切って廃業というケースも含まれるようです。
 また、難しい問題ですが、業種によっても支援が手厚いところは、逆に汗水たらして働いて儲けるよりも、支援や給付、借入でお金が入ったことで、勤労意欲がなくなったような面もあるようです。
 行政の支援も、アフターコロナのグランドデザインをしっかり示せず目先の対応に追われていました。 飲食や旅行業には予定通り復興への支援はしたものの、地元の中小零細のところは大きな景気回復もなく、物価高で材料や運賃が上がり、青息吐息でコロナ前に戻ることもなく、借金返済どころではないのでした。
政府の支援というのも、禁断の果実のようなものがあり、一度そういう果実を味わうと、仕事で汗を流す体力や気力を奪われてしまう人がいるものです。本当の意味でセーフティネットはいくつかあるのですが、プライドや見栄でなかなか苦境を詳らかにしないうちに、最悪の結果を迎えるケースもあります。
 政府が民間の支援策に深くからむと、どうもいいことがありません。業界の一部の言いなりになるため、結局その業界全体の未来を奪う可能性を秘めます。飲食や宿泊、運輸に毎年税金キャンペーンを張るわけにはいきません。しかも、大儲けしているのは提案を受注した広告代理店や大手だけで、中小は少し以前に近づいた程度で、翌年このキャンペーンが無いとまた苦しいとなります。厚生労働省もさまざまな企業支援はしていますが、本業で苦しくなると最後は体力、気力がないところはアウトです。
 日本の国もワクチンや医療の面で負債を残しているのかもしれません。

32年前の橋桁落下事故

Wikipediaより

 私が広島に勤めていたのはまだ昭和62年とかでした。若手バリバリ、イケイケで仕事も遊びもしたもので、当時の若手グループが3人ほどと集まり広島会というのもやったぐらいで、ベテラン社員になっても、当時の広島での3年足らずはいろいろ思い出になっています。
 
 そんな広島から転勤して4年ほど過ぎた時、広島で痛ましい事故があって、新聞で見た死亡者の名前に見覚えがありました。
【広島新交通システム橋桁落下事故は、1991年3月14日に当時建設中であった広島高速交通広島新交通1号線(愛称アストラムライン)の工事現場で、橋桁が落下し、一般人と作業員の14人が死亡、9人が重軽傷を負った事故】Wikipediaより

 会社の幹部に問いあわせると、亡くなった女性はすでに退職しているが、やはり良く知った事務員の子でした。同僚によるといわゆる寿退社前の20代でした。
 軽自動車で買い物途中か何かではないかと言われています。
 それにしても、悲惨の極みの、上からいきなり構造物が落下しての圧死です。
 しかも原因を聞けば、請負業者の信じられない現場でのミス、怒りをおびえる内容でした。
 
 重量物のジャッキ降下というたいへん危険な作業でありながら素人同然の作業員に任せている状態であった。または素人の寄せ集め故にH形鋼の積み間違い(橋桁を受けるためには、完全に強度不足)という、致命的な作業ミスをしていることに気付く者が誰一人いなかったのです。この背景にはアジア大会準備のために広島市内各所で建設工事が行われており、深刻な人手不足のため熟練した作業員が不足していたこともある。そのため工程に間に合わせるために頭数だけそろえた素人作業員が危険な作業をしていたとされています。Wikipediaより

 同事故を教訓として、全国的に危険が予想される現場では交通を遮断する措置が行われることになったといわれています。国の対応も危険な交差点で死人が出てから横断歩道や歩道橋を作るようなものですが、尊い犠牲者のおかげではあります。
 最近でも数年前2016年工事中だった新名神の兵庫県有馬川橋で死傷者10名の橋桁落下事故があり、クルマは何とか奇跡的なタイミングで難を逃れました。乗用車に乗っていて、上から構造物で圧死する確率は、天文学的に低いはずですが、何の因果か当たってしまう人もいたのです。
 

 それにしても、突然の圧死とはなんという悲劇でしょうか。そんなものに巡り合う確率が低いだけに、ご両親や、関係者そしてご本人の無念はいくばくか。 それは運命というには、あまりにも過酷で衝撃的なものでしょう。
1994年、広島アジア大会観戦にこの新交通システムに乗車して、通過地点で黙とうしました。

 広島というと、どうしてもかつて原爆投下ということも思い出します。しかし、全て周りが平和になり、豊かに発展していこうとする中で、その発展への突貫工事の犠牲に、何の責もない人間が召される理不尽さには、嘆くしかありませんでした。
 多くの理不尽な事件もそうですが、亡くなられた方に輪廻があり、今よくドラマであるタイムリープなどで、もう一度生まれ変われる人生があることを、切に願いたくなる。そんな切ない事件が30年以上前にありました。きっと、どこかで生まれ変わて良い人生を過ごしていることと信じます、